出来心 – できごころ
泥棒 | えぇ、親分、こんちわ...こんちわ... |
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親分 | ン? 誰でぇ...おぅ、おめぇか...まぁ、こっち入んねぇ。ちかごろ、ツラぁ見せねぇが、どうしてるんだィ? ...おめぇ、どうも仲間内で評判がよくねぇなぁ、あれじゃぁ将来、まるっきり見込みがねぇ、って...いったい、おめぇは何のためにおれの子分になったんだ? |
泥棒 | へぇ...えぇっと...しょ、将来は、親分のようなりっぱな大泥棒ンなろうかなと心がけまして... |
親分 | なんだよ、そのなろう「かな」ってぇのは、えぇ? なろうかななんて思ってる野郎になれたヤツがいたためしがねぇや。ま、なんにしても、おめぇはドジだから、今のうちに堅気ンなったほうがおめぇのためなんじゃないか? |
泥棒 | エッ? あ、あたくし、破門ですか? あの、せ、せっかくご縁があって親分子分の杯を頂いたんですから、もうちょっとおいといてください。あたしも心を入れ替えて、一生懸命悪事に励みますから、どうか今までどおり、幾久しくお側において可愛がって... |
親分 | 気持ちの悪リィことを云うなよ...いや、おめぇが真人間に立ち返ってだよ、額に汗して稼業に励むってんなら、置いてやらねぇこともねぇが、ちょっとはおめぇだって仲間内で自慢できるような仕事をしてみろぃ |
泥棒 | えぇ、ですから、あたし、こないだ土蔵破り、やりました! |
親分 | お、おめぇがか? へぇ、そりゃぁずいぶんと大きな仕事をやったなぁ。うまくいったのか? |
泥棒 | ちょうどからだの入るような穴を空けまして、そこから潜り込んだ... |
親分 | ふんふん |
泥棒 | すると、中は草ぼうぼう |
親分 | 蔵の中がか? |
泥棒 | 石ころがごろごろ |
親分 | おかしいじゃねぇか |
泥棒 | 上を見るとお月見ができる |
親分 | なんだよ、そりゃぁ |
泥棒 | あたしも「ちょっと変だ」と思いまして... |
親分 | たいそう変だよ! |
泥棒 | よくよく見ましたら、親分の前ですが、これが、あぁた、大笑いで |
親分 | なんだ? |
泥棒 | 土蔵じゃなくて、お寺の練塀を破って、お墓に入り込んでた |
親分 | ばか野郎...土蔵だか寺だかわからねぇのか? |
泥棒 | それがどうも、辺りが暗くて... |
親分 | おめぇは身分不相応な土蔵破りなんて仕事をするんじゃないよ。ちょいと庭でもある、こぎれいな家に入ってみな |
泥棒 | えぇ、ですから、こないだ、庭のあるうちに入りました |
親分 | そうか。へへ、ちゃんと心得てるじゃぁねぇか |
泥棒 | 柵を乗り越えて入っていきますと、池にゃ噴水があって、コイが泳いでて、花壇があって... |
親分 | そいつぁ、りっぱな庭だなぁ |
泥棒 | もうちょっと行きますてぇと、ぶらんこがあって、滑り台があって、芝生があって、ベンチがあって、若い男女が植え込みの陰でなんかやってて... |
親分 | いったいなんだよ、それは... |
泥棒 | それが親分の前ですが、これが大笑いで... |
親分 | また大笑いか、いったいなんなんだよ、そこは |
泥棒 | 日比谷公園に入っちまってたんで... |
親分 | バカだね、どうも...公園なら噴水や芝生があって当然じゃねぇか |
泥棒 | いやぁ、あたしも立派すぎる庭だと思いました |
親分 | 思ったら、よく考げぇろ! だからだなぁ、そんな大きいところをねらわずに、こぎれいに片付いてて、電話の一本もひいてあるような家をねらってみろ |
泥棒 | えぇ、あたしもそう思いまして、こぎれいに片付いてて、電話が引いてある家へ入りました。ちょうど手ごろな物件が四つ角にあったんで... |
親分 | 物件...て、不動産あつらえてんじゃないよ。しかし、そんなうちがよく近所にあったなぁ。いってぇなに商売だ? |
泥棒 | それが、親分の前ですが、これが大笑いで... |
親分 | またか。こんどはどんなオチだ? |
泥棒 | それが交番で |
親分 | ばか野郎! てめぇ、泥棒が交番に忍び込んでどうするんでぇ! |
泥棒 | だって、親分、こぎれいに片付いてるし、ちゃんと電話も引いてあるんですぜ |
親分 | だめだ、だめだ。おめぇみてぇなやろうはとても満足な仕事はできゃしねぇ。おめぇのがらにあってんのはせいぜいが、空き巣だ |
泥棒 | あきす、ってなんです? |
親分 | おめぇ、泥棒のくせに、空き巣を知らねぇか? |
泥棒 | へぇ、まだ頂いたことはありません |
親分 | 食いもんじゃねぇ! 空き巣ってぇのはな、たとえば、亭主は仕事に出ていて、女房は買い物に出ていて、うちン中は留守にしているてぇうちに入ることだ |
泥棒 | 親分、そいつぁ、たちがよくねぇ |
親分 | たちのいい泥棒がいてたまるか! いいか、おれがやり方を教えてやる。よく聞いてろ。いいか、まず、このうちは留守らしい、と思ったら、まず、言葉をかけてみろ |
泥棒 | お宅は留守ですか? ...って? |
親分 | そんなことを聞くやつがあるかよ。まずは「ごめんください」というんだ。それで「はい」と返事があれば、人がいるんだからだめだけれど、返事がなけりゃぁ、中へはいって仕事をするんだ。もっともなかにゃぁ、返事をしねぇで、いきなりはばかりからにゅーっと現れるようなヤツもいるから、気をつけなきゃいけねぇ |
泥棒 | そんなときはどうしたらいいんで? |
親分 | こりゃもう、現場を押さえられちゃ、どうにもならねぇ。こんなときゃ謝っちまうに限るな。泣き落としてぇやつだ。盗んだものを全部差し出して、「まことに申し訳ございません。長い間、職にあぶれておりまして、うちに帰りますと七つをかしらに五人の子供がございまして、六十五になる年寄りは長の患い...医者にかけることもできません。貧の末の出来心でございます」と涙のひとつもこぼせば、「ああ、出来心じゃしかたがねぇ」ってんで、許してくれるだろうし、うまくいけば、銭の少しもくれる奴がいるかもしれねぇ |
泥棒 | くれねぇときは、親分のところに請求書回しますから |
親分 | 図々しいことを云うんじゃないよ。しかし、今、云って聞かせたこと、ちゃんと分かったんだろうな? |
泥棒 | えぇ、つまりですね...ごめんください、と言葉をかけて...返事がなかったら留守だから仕事をする、返事があったら、いるんだから、どうもすいません、貧の末の出来心で... |
親分 | おいおい、何もしねぇうちから白状しちまってどうするんだよ! もし返事があったら、しらばっくれてものを尋ねるんだ |
泥棒 | 昨今の世界情勢をどのように... |
親分 | だから、柄にねぇことをするなって云ってんだろ! 人の家でも訪ねてるふりをするんだよ。いいか、こんなぐあいにするんだ。「何丁目何番地はどの辺になりましょうか?」「このご近所に、ナニ屋ナニ兵衛さんてかたはいらっしゃいましょうか?」てな調子だ。相手が知ってても知らなくてもいいから、何か云ったら、ありがとうございます、と頭を下げて出てくりゃあいいんだ |
泥棒 | あぁ、そうすれば正体が知れねぇってぇわけだ。ではさっそく出かけますから、風呂敷きを貸してください |
親分 | そんなもの、どうするんだよ |
泥棒 | 盗んだ品物を包んで... |
親分 | どうせ盗みに行くんだから、そのうちの風呂敷きィつかやぁいいだろう |
泥棒 | でも、返しに行くのが手間だから... |
親分 | ばか野郎! 返さなくていいんだ! |
泥棒 | それでは義理が... |
親分 | 何を云ってやがんだ! このうすら! とっとと行け!! |
泥棒 | へい... では親分! 空き巣に行ってきます!! |
親分 | 大声を出すんじゃねぇ。そっと出かけろ |
泥棒 | では、行ってきます...えぇ、少々、ものをうかがいます |
親分 | おーい、隣でやるんじゃねぇ! 町内を出ろ、町内を... |
泥棒 | あはは...親分も気が小さいや。隣に遠慮してる。町内を離れろって云ってたなぁ...離れたかなぁ...いいかなぁ、こんなもんかなぁ...では、この辺で... えー、御免ください、御免ください... |
甲 | おーい |
泥棒 | へい? |
甲 | そこ、空き家だよ |
泥棒 | 空き家ですか...あぁ、貸し家札が出てらあ |
甲 | 貸し家探しか? |
泥棒 | いいえ、留守探しで |
甲 | 留守探し? なんだよ、そりゃぁ...へんな野郎だなぁ... |
泥棒 | 分かりますか? |
甲 | 怪しい野郎だ |
泥棒 | ごもっともで... |
甲 | なんだと、この野郎! |
泥棒 | さようなら...空き家はいけませんよ、空き家は。人が住んでなきゃ盗みようがねぇや...この家はどうかな? えー、御免ください |
乙 | はい |
泥棒 | さようなら |
乙 | なんだよ。おーい、ご近所、気をつけなよ! 怪しいのがうろついてるよ。下駄でもなくならないかい? |
泥棒 | やれやれ、人を下駄泥棒みたいに云うんじゃないよ。慌てたから、いけなかったんだ。えぇ、ごめんください、に、「はい」と来たら...えぇ、っと...何か聞くんだったな。よし、このうちでやってみよう ご免くださーい |
丙 | はい、なんのご用で? |
泥棒 | おや、そこにおいでンなりましたか |
丙 | えぇ、さっきからこに坐っておりましたよ |
泥棒 | それは、それは、あいにくさまで。いつごろお留守になりますか? |
丙 | 留守にゃしませんよ |
泥棒 | それは用心のよろしいことで。ではまた、お留守のときに... |
丙 | なんだよ、あいつぁ... |
泥棒 | いけねぇ、いけねぇ...いきなり目の前に坐ってたたぁ、気がつかなかった。なかなかうまくいかねぇもんだ...えー、ご免下さーい |
丁 | あいよ! |
泥棒 | あれ、このうちもいるんじゃねぇか...たまにゃ留守のうちくらいあったっていいじゃねぇか |
丁 | なんだい、ひとりでぐじぐじ云って。何の用だ? |
泥棒 | えー、ちょいと、ものを伺いますが... |
丁 | なんだ |
泥棒 | えぇ、何丁目何番地というのはどのへんでございましょうか |
丁 | なんだとォ? |
泥棒 | いえ...その...ナニ屋ナニ兵衛さんのお宅はこの辺で? |
丁 | なんだと、この野郎、訳ンわからねぇことばっかり云いやがって...何しに来やがった! |
泥棒 | いえ、よろしいんです...もうわかりました... |
丁 | 何が分かったってんでぇ! おぅ? 何丁目何番地のナニ屋ナニ兵衛だなんて、いってぇ何がわかったってぇんでぇ! まごまごしてっと張り倒すぞ! いってぇ何を聞きに来やがった!! |
泥棒 | いえ...あの...この辺に、ちょうちん屋ぶら衛門という方はいらっしゃいませんか? |
丁 | ちょうちん屋ぶら衛門だぁ? そんな間抜けなやろうは知らねぇ |
泥棒 | へぃ、あたしも知らない |
丁 | なんだと! |
泥棒 | ごめんなさい! はぁ、はぁ、驚いた...あぶなく張り倒されるところだった。しかし、とっさの場合とは云いながら、ちょうちん屋ぶら衛門とはよく出たもんだなぁ...これからはみんなこれで行こう... おっ、このうちは玄関がすこしあいてるじゃねぇか...ご免くださーい、少々ものを伺いまーす...お留守でしょうか? ...泥棒が入りかかってますよ...ぶっそうですよ...戸締まりはしっかりしなくちゃいけませんよ...はばかりから出てきて、「バア」なんてのは無しですよ...しめ、しめ...いないんだ。こうなりゃぁこっちのもんだ。あがっちまおう。 へへっ、こりゃぁいい長火鉢だ。けやきだな。いい品モンだよ、うん。湯が沸いてるね。いい鉄瓶だよ。南部かな...そうだ。ここでグッと落ち着かなきゃならねぇ。お茶でも入れるかな...うーん、いいお茶だ。口がおごってるな...なんだい、この器に入ってるのは...羊羹...うーん、いい羊羹だよ。羊羹はいいけど...ずいぶんと薄く切りやがったねぇ...しみったれてやがんねぇ...これで数を余計に見せようてぇ魂胆だ。しかし、こっちゃぁその上をいくね。敵の計略の裏をかいて、三切れいっぺんに食うという荒業で...あー、こりゃぁうめぇや...うめぇ |
戊 | おーい、下に誰かいるのか? |
泥棒 | ぐぐぉっ...ぐほっ、げほっ...す、すいません...よ、羊羹が喉に...ちょっと背中を叩いてもらえませんか...く、苦しい |
戊 | えぇ、こ、こうか? (ドン、ドン)どうだ? |
泥棒 | あぁ、な、なおりました。どうもご親切に、ありがとうございました |
戊 | いや、どういたしまして...って、そうじゃねぇ! おめぇ、いったい誰だ!? |
泥棒 | いえ、二階にいらっしゃったとはちっとも気がつきませんで |
戊 | そんなことを聞いてるんじゃないよ。いったい何なんだ? おめぇは... |
泥棒 | ......しょーしょーモノをうかがいます |
戊 | ふざけんなよ。ものを聞く人間が、人んちに上がり込んで、羊羹食って、かってに茶まで入れて飲んでるなんてぇ話しがどこにあるんだ! |
泥棒 | はぁ、ちょぃと不思議でござんすねぇ |
戊 | ちょぃとじゃねぇ! いってぇ何を聞きてぇんだ? |
泥棒 | この辺に、おいでになりますかなぁ |
戊 | 誰が? |
泥棒 | えぇ、あの...そのぅ...へへっ、そんな方、いるはずがございませんよね |
戊 | だから、誰だよ |
泥棒 | えぇっと、あの...ちょうちん屋ぶら衛門さん |
戊 | そうかい、そうならそうと、早く云えやい。ぶら衛門はおれだ |
泥棒 | ええっ? あなたが? あなた、そんな間抜けな名前なんで? |
戊 | 間抜けたぁなんでぇ! ぶら衛門はおれだ |
泥棒 | いゃ、あなたじゃないぶら衛門さんで...いい男の方 |
戊 | なにを! |
泥棒 | よろしく申しておりました |
戊 | 誰が? |
泥棒 | あたしが |
戊 | 何だ? このやろう、ふざけやがって。張り倒してやる! |
泥棒 | さよなら! いゃぁ、驚いたねぇ...世の中にゃ間抜けな野郎がいるもんだ。ちょうちん屋ぶら衛門だなんて...ま、いいや。羊羹くっだけあたしの勝ちだ...あっ、いけねぇ! 買ったばかりの下駄、置いて逃げて来ちゃった...羊羹食ったくらいじゃもとが取れない...どこで損するか分かりゃしねぇや... なんだい、逃げた勢いで、えらく薄汚い長屋に迷い込んじゃったなぁ...おや、このうちは戸が丸開きだねぇ...あぁ、開いてんじゃねぇや。戸が無いんだ...これかい? 噂で聞いた戸無し長屋てぇのは...ま、いいや。留守らしいから、入ってみよう。台所の窓に越中ふんどしが干してある...まぁ、何も盗まないよりいいや。これ、いただいとこう...キンが入るなんて縁起がいい...かなぁ...あ、七輪に土鍋がかかってる。何か煮てるな。なんだろう...おじやだ...なんのおじやだ? 米だけだよ、えぇ? こんなもの食ってるようじゃろくな品は持っちゃいねぇな...まぁ、いいや。ここまでの足代に、これ食っちゃおう。すきっ腹に不味いもん無しって云うけど、塩だけでもけっこううめぇや。ああ、うめぇ |
八五郎 | あぁ、どうもおとなりのおばさん、えぇ、留守、中誰も来なかった? そうかい、どうも... |
泥棒 | えぇっ? こ、こりゃ、大変だ! 帰って来やがった! おじや食ってる場合じゃねぇや! 裏口は...と、このうち、裏口がねぇじゃねぇか! ど、どうしよう...仕方ねぇ、この踏み板上げて、縁の下へ潜っちまえ! |
八五郎 | あれ? お隣は誰も来なかったって云ってたけど、なんだよ、うちじゅう大きな足跡がベタベタ...いけねぇ! こりゃ、泥棒がへぇりやがった! ...とはいうもんの、考えてみればどうってことねぇや。うちにゃなんにもありゃぁしねぇんだからなぁ。あれ、おれの干しといた越中ふんどし...持ってっちまいやがったな...へっ、けちな泥棒じゃぁねぇか...あっ、おまけにおじや、食っちまった。なんてぇがっついた泥棒なんだ? だが、待てよ...こいつぁ、案外、救いの神かも知れねぇ。大家に言い訳のタネができた。なんか、ありがてぇことンなっちゃったなぁ。「大家さんちに持っていこうと思ってた店賃を盗まれました」と云えば、まさかそれでもよこせ、とは云わないだろう。そうだ、そうだ。大家を呼んでこよう...大家さーん、大家さーん、早く来て下さいよーっ、てぇへんですよーっ、泥棒だぁ、泥棒がへぇったぁぁっ、大家さーん、泥棒ですよーっ、泥棒、大家さーん、泥棒大家! |
大家 | なんだ、誰が泥棒大家だよ |
八五郎 | いえ、今、「大家さん、泥棒が入りました」という心を込めて、あいだを抜かして... |
大家 | そんなものを抜かしなさんな...で、なんだって、お前さんのところに泥棒が? |
八五郎 | そうなんで |
大家 | そうか。そりゃぁ、災難だったなぁ、泥棒の奴。あんまり何にも無いんで、さぞかし驚いたろう。何か置いて行ったか? |
八五郎 | まさか...盗んで行ったんですよ |
大家 | へぇ、お前さんのうちでも盗むものがあったのかい? |
八五郎 | そりゃぁねえゃ、大家さん、あっしんちでもものくれぇありまさぁ。それに今日はこっちの方へ越してくる友達の荷物を預かってましたんでねぇ |
大家 | そんなものがあったのかい? そりゃぁ大変だ |
八五郎 | それに、大家さんちに持ってく積もりだった店賃も盗られちまった...そんなわけで、申し訳ねぇんですが、店賃のところはもうちょいと待ってもらいてぇんで... |
大家 | うん? まぁ、盗まれちまったものはしょうがねぇなぁ...まぁ、少し待ってやるから... |
八五郎 | へへっ、しめた! |
大家 | なにィ? |
八五郎 | いえ、こっちのことで...では、これで話しは終わりですから、どうぞ、お帰りを |
大家 | 何を云ってるんだよ。警察へ盗難届けてぇものを出さなきゃいけねぇ。ちょうど紙と筆を持ってるから、盗まれたものを云ってみな。ここへ書き取ってやる |
八五郎 | え? ...いやぁ、それ、結構です |
大家 | 結構じゃないんだよ。こういうことは後で警察にうるさく云われるんだから、ちゃんとしとかなきゃぁいけねぇ。お前さんの荷物だけじゃないんだろ。友達の荷物も預かってたんだろ。ちゃんと届けを出しておけば、あとで品物が出て来たときに戻ってくるんだから。さぁ、云ってみなよ。何が無くなったんだい? |
八五郎 | いや、それが、その...参ったなぁ...じゃぁ、越中ふんどしが一本 |
大家 | そんなものを盗難届けに書けるかよ。もっと重々しいモノを云ってみな |
八五郎 | そんなら、たくあん石が二つ |
大家 | 目方の話しじゃないよ。もうすこし金目のものがなかったかと聞いてるんだ |
八五郎 | 金目...じゃぁ、金の茶釜なんてどうです? |
大家 | 金の茶釜? そ、そんな高価なものがあったのかい? |
八五郎 | いいぇ、ねぇから、盗られねぇ |
大家 | あたしゃ盗られたものを聞いてるんだよ! |
八五郎 | いやぁ、そんなものが長屋から盗まれたら、大家さんの鼻が高いか、と思いまして |
大家 | あたしの顔なんか心配してくれなくていいよ。そんな余計なことを云ってないで、いったい何を盗られたんだい? |
八五郎 | 何を...って云われると、弱るんですが...泥棒ってぇモノはいったい何を持ってくもんなんですかねぇ... |
大家 | そんなこと、あたしゃ知らないよ! |
八五郎 | 大家さんの懇意にしてる泥棒はどうです? |
大家 | そんなもの、いないよ! しかし、まぁ、ちょぃとしたところでは着物、衣類だな |
八五郎 | それなら、夜具布団なんかで... |
大家 | ほう、ずいぶんと大きなモノを持ってったな...こりゃひとりじゃないな。二人組か三人組だな。で、どんな布団だい? |
八五郎 | いえ、お構いなく |
大家 | いや、お構いなくじゃないんだよ。いったいどんな布団だい? |
八五郎 | しごく上等の布団で |
大家 | だから、ものはなんだと聞いてるんだよ。表はなんだよ |
八五郎 | 表は源さんちと辰っつぁんちで |
大家 | おまえさんちの表を聞いてんじゃない! 布団の表の柄は何だって聞いてるんだよ! |
八五郎 | ええっ...と、大家さんちによく干してあるのと同じで。あの草の葉っぱが絡まったような... |
大家 | ありゃぁ、唐草って云うんだ。あんまり上等の布団にゃああいう柄はねぇ。まぁ、いいや。表は唐草だな。で、裏はなんだ? |
八五郎 | 裏は行き止まりです |
大家 | おまえんちのことを聞いてるんじゃないと云ってるだろ! 布団の裏だよ! |
八五郎 | 大家さんとこのは? |
大家 | うちは、丈夫であったけぇように、花色木綿 (‘花色木綿:花色は「はなだ色」で、露草で染めた淡い紫。浅葱色ともいう。花色木綿は花色で無地の木綿の布で、夜具や衣類の裏地によく使われた’) だよ |
八五郎 | あぁ、それそれ、うちも同じで。花色木綿です |
大家 | 裏は花色木綿、と... で、何組だ |
八五郎 | 一年三組 |
大家 | 一年三組? なんだい、それは |
八五郎 | 大家さんちのお孫さんの学校の...へへっ、可愛らしい、利口な、元気なお孫さんだってバカな評判で... |
大家 | えぇ? ははっ、いやぁ、うちの金坊は... いやいや、うちの孫の話しはいいんだよ。布団が何組あったか、を聞いてんだよ。何組あったんだ? |
八五郎 | えぇ...と、五十組... |
大家 | ご、五十組? 五十組も布団があったら、このうち、布団だけで一杯ンなっちまうだろう |
八五郎 | ですから、表通りの布団屋に預けてます |
大家 | 何を云ってるんだよ。お前さんが盗られた布団が何組か、と聞いてるんだよ! |
八五郎 | いゃぁ、何組も何も、あっしが寝るだけなんで... |
大家 | じゃぁ、一組だけじゃぁねぇか...それだけのことを云うのに、なんでこんなに余計なことを云うんだよ...ったく、おめぇってぇやつは...で、やわらかものなんて、無かったか? |
八五郎 | へぇ、やわらかものということについては、賤しい泥棒で、せっかく作っといたおじやを食っていきました |
大家 | いや、やわらかものてぇのはそういうのじゃないんだ。つまり、絹物で、例えば羽二重とか... |
八五郎 | ええ、それそれ。羽二重が盗られました。羽二重といえば、なんてっても黒羽二重で |
大家 | 黒羽二重なんて、持ってたのかい? ふーん...紋付きだな...そんなもの、どこへ着て行くつもりだい? で、紋はなんだ? |
八五郎 | モンは雷門 |
大家 | そうじゃぁねぇ。着物の紋だよ。これなんか、品物が見つかったときにいい目印ンなる。紋はなんだ? |
八五郎 | 紋...ですか? えぇっと、ケツみてぇのが三つ、ついてます |
大家 | ケツが三つ? |
八五郎 | ...大家さん、うちの先祖はおカマですかねぇ |
大家 | そんなこと、知るもんか...ケツ...そりゃかたばみじゃないか? |
八五郎 | そうそう。ウワバミです、そのバミで |
大家 | うわばみってぇやつがあるか。かたばみだよ。で、裏は何だ? |
八五郎 | 裏は...花色木綿で |
大家 | おいおい、黒羽二重の裏に花色木綿をつける奴があるか...で、あとは? |
八五郎 | 帯です |
大家 | 帯か...なんの帯だい? |
八五郎 | 岩田帯 |
大家 | なんで、独り者のお前さんが岩田帯なんか持ってるんだい? だれか子供でもできたのか? |
八五郎 | へぇ、熊公ンちのメス犬が... |
大家 | 犬に岩田帯なんぞ絞めさせるか...本当はどんな帯を盗られたんだ? |
八五郎 | はだか帯 |
大家 | それを云うなら博多帯だ |
八五郎 | ええ、裏は花色木綿です |
大家 | 帯に裏なんぞつけるか! そりゃぁ帯の芯かなにかにしてるんだろう |
八五郎 | そうなんで。芯は花色木綿 |
大家 | 夏物か何かなかったかい? |
八五郎 | 夏物は、うちわと蚊取り線香 |
大家 | そういう夏物じゃなくて、着るもののことだよ |
八五郎 | へぇ、あの、大家さんが出かけるときによく着ていくやつ |
大家 | 上布 (‘上布:平織りの上等の麻織物’) かい? |
八五郎 | へー、わかんねぇもんだねぇ...年を取っても浮気は止まぬ 止まぬはずだよ 先が無い...なんてね! はぁぁ~ |
大家 | 何を云ってんだよ! |
八五郎 | 情婦でござんしょ、いよっ! 色女が、大家さんに...長屋の皆さん、大家さんにゃ... |
大家 | お止め!! 着物の上布だよ。そんな人聞きの悪いことは店賃払ってから云っとくれ! |
八五郎 | そ、そんな、大家さん...いや、洒落ですよ、洒落。分かってますよ。ね、着物上布。裏は花色木綿 |
大家 | おいおい、上布に裏なんぞ付けたのかい? |
八五郎 | 丈夫で暖かくて、寝冷えしねぇ |
大家 | ...わかったよ...で、後はなんだ? |
八五郎 | えぇ、蚊帳が一枚 |
大家 | そりゃ「一張り」と云うんだ。大きさはどのくらいだ? |
八五郎 | ええ、一人前で |
大家 | 寿司を頼んでるんじゃないんだよ...まぁ、五六くらいだろう |
八五郎 | へぇ、裏が花色木綿で |
大家 | ばかなことを云うな。かやに裏を付ける奴があるか |
八五郎 | 丈夫で暖かくて、寝冷えしねぇ |
大家 | まだ云ってやがる。で、他に盗られたものは? |
八五郎 | たんす |
大家 | たんすなんか持ってったのか? ふーん...これはやっぱり二人組か、三人組だな。で、たんすは総桐か? それとも三方桐か? |
八五郎 | 夕霧 |
大家 | 花魁の名前を聞いてるんじゃねぇ...総桐か? |
八五郎 | そうぎりを欠いちゃぁ人の道に背く...だから総桐 |
大家 | ばかな洒落を云ってんじゃないよ...総桐...と。あとは? |
八五郎 | 鉄瓶がひとつ |
大家 | うん、鉄瓶か...で、南部か? |
八五郎 | さぁ、ずいぶん前に買ったんで、いくらだったか... |
大家 | 値段を聞いてるんじゃねぇ。南部鉄瓶か、と聞いてるんだよ |
八五郎 | そうなんで。裏は花色木綿 |
大家 | 鉄瓶に...まぁ、いいや |
八五郎 | へぃ、丈夫で暖かくて、寝冷えしねぇ |
大家 | あきれて話しになりゃぁしねぇ... |
八五郎 | あとはお札です |
大家 | お札か... |
八五郎 | 裏は花色木綿 |
大家 | 札に裏ァ付ける奴がどこの世界に... |
泥棒 | プゥファッ...ヒーッヒッヒッヒ...ウヒャヒャヒャヒャ... |
八五郎 | なんだ? 誰だ、てめぇ...おかしな野郎が笑いながら縁の下から出てきやがったじゃぁねぇか...いってぇなんだ、おめぇ! |
泥棒 | ヒーッヒッヒッヒ...あんまりばかばかしいじゃぁねぇか。おぅ! さっきから黙って聞いてりゃぁ、なんでも「裏は花色木綿」だってやがらぁ...おまけに札にまで裏がついてるたぁ... この唐変木!! |
大家 | この野郎...縁の下から這い出して来たところを見ると、ははぁ、おめぇ、泥棒だな? |
泥棒 | おや、大家さんですね。あっしゃぁ、稼業は泥棒にゃちげぇねぇけれど、このうちにゃぁ何も盗るものなんざありゃぁしねぇ |
八五郎 | なんにも盗らなくったって、人ンちに黙ってへぇりゃぁ立派な泥棒でぇ! ふざけた野郎だ。警察ゥ突き出してやる |
泥棒 | あ、いけねぇ...親分が教えてくれたのはここだな...ええ、どうも申し訳ありません...何しろ長い間、職にあぶれ、三つを頭に六十五人の子供がおりまして...七つの年寄りが長の患い... |
八五郎 | 何を云ってるんだ、トンチンカンな |
泥棒 | そのトンチンカンを医者にかけることも出来ねぇありさまで...ほんの貧の末の出来心で...ここで涙を...あれ、出ねぇな...ま、出た、ということにして、哀れっぽく持ち掛けますから、出来心じゃ仕方ねぇ、と許した上に、銭の少しもくれ! |
八五郎 | 誰が銭なんぞやるか! 盗人に追い銭じゃぁねぇか! |
大家 | まぁ、しかし、まだ何も盗られたわけじゃなさそうだし...うそにもせよ、出来心だって云うんだ。ここは許してやってもいいが、それにしても八、おめぇもおめぇだ。おめぇんとこにこんなに盗まれる品物があるわけがねぇと思ってたんだ。よくまぁ、これだけウソ八百ならべ立てやがったなあぁ...おぃ、八! |
八五郎 | へぃ... |
大家 | この野郎、今度はてめぇが縁の下、潜ろうってのか! 早くこっちへ来い! |
八五郎 | へぇ、どうも、代わり合いまして... |
大家 | なんだ、落語家みてぇなこと云いやがって...おい、八公、いま、この泥棒に聞いてみりゃぁ、何も盗っちゃいねぇそうじゃぁねぇか...それをよくまぁ、あんなウソばかり並べ経てやがったな。いったいどういう積もりだ!? |
八五郎 | へぇ、大家さん、これもほんの出来心でござんす |
引用元:「東西落語特選」
http://www.niji.or.jp/home/dingo/rakugo2/
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