上方落語『出来心』|無料で読むテキスト落語

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出来心 – できごころ

 

泥棒えぇ、親分、こんちわ...こんちわ...
親分ン? 誰でぇ...おぅ、おめぇか...まぁ、こっち入んねぇ。ちかごろ、ツラぁ見せねぇが、どうしてるんだィ? ...おめぇ、どうも仲間内で評判がよくねぇなぁ、あれじゃぁ将来、まるっきり見込みがねぇ、って...いったい、おめぇは何のためにおれの子分になったんだ?
泥棒へぇ...えぇっと...しょ、将来は、親分のようなりっぱな大泥棒ンなろうかなと心がけまして...
親分なんだよ、そのなろう「かな」ってぇのは、えぇ? なろうかななんて思ってる野郎になれたヤツがいたためしがねぇや。ま、なんにしても、おめぇはドジだから、今のうちに堅気ンなったほうがおめぇのためなんじゃないか?
泥棒エッ? あ、あたくし、破門ですか? あの、せ、せっかくご縁があって親分子分の杯を頂いたんですから、もうちょっとおいといてください。あたしも心を入れ替えて、一生懸命悪事に励みますから、どうか今までどおり、幾久しくお側において可愛がって...
親分気持ちの悪リィことを云うなよ...いや、おめぇが真人間に立ち返ってだよ、額に汗して稼業に励むってんなら、置いてやらねぇこともねぇが、ちょっとはおめぇだって仲間内で自慢できるような仕事をしてみろぃ
泥棒えぇ、ですから、あたし、こないだ土蔵破り、やりました!
親分お、おめぇがか? へぇ、そりゃぁずいぶんと大きな仕事をやったなぁ。うまくいったのか?
泥棒ちょうどからだの入るような穴を空けまして、そこから潜り込んだ...
親分ふんふん
泥棒すると、中は草ぼうぼう
親分蔵の中がか?
泥棒石ころがごろごろ
親分おかしいじゃねぇか
泥棒上を見るとお月見ができる
親分なんだよ、そりゃぁ
泥棒あたしも「ちょっと変だ」と思いまして...
親分たいそう変だよ!
泥棒よくよく見ましたら、親分の前ですが、これが、あぁた、大笑いで
親分なんだ?
泥棒土蔵じゃなくて、お寺の練塀を破って、お墓に入り込んでた
親分ばか野郎...土蔵だか寺だかわからねぇのか?
泥棒それがどうも、辺りが暗くて...
親分おめぇは身分不相応な土蔵破りなんて仕事をするんじゃないよ。ちょいと庭でもある、こぎれいな家に入ってみな
泥棒えぇ、ですから、こないだ、庭のあるうちに入りました
親分そうか。へへ、ちゃんと心得てるじゃぁねぇか
泥棒柵を乗り越えて入っていきますと、池にゃ噴水があって、コイが泳いでて、花壇があって...
親分そいつぁ、りっぱな庭だなぁ
泥棒もうちょっと行きますてぇと、ぶらんこがあって、滑り台があって、芝生があって、ベンチがあって、若い男女が植え込みの陰でなんかやってて...
親分いったいなんだよ、それは...
泥棒それが親分の前ですが、これが大笑いで...
親分また大笑いか、いったいなんなんだよ、そこは
泥棒日比谷公園に入っちまってたんで...
親分バカだね、どうも...公園なら噴水や芝生があって当然じゃねぇか
泥棒いやぁ、あたしも立派すぎる庭だと思いました
親分思ったら、よく考げぇろ! だからだなぁ、そんな大きいところをねらわずに、こぎれいに片付いてて、電話の一本もひいてあるような家をねらってみろ
泥棒えぇ、あたしもそう思いまして、こぎれいに片付いてて、電話が引いてある家へ入りました。ちょうど手ごろな物件が四つ角にあったんで...
親分物件...て、不動産あつらえてんじゃないよ。しかし、そんなうちがよく近所にあったなぁ。いってぇなに商売だ?
泥棒それが、親分の前ですが、これが大笑いで...
親分またか。こんどはどんなオチだ?
泥棒それが交番で
親分ばか野郎! てめぇ、泥棒が交番に忍び込んでどうするんでぇ!
泥棒だって、親分、こぎれいに片付いてるし、ちゃんと電話も引いてあるんですぜ
親分だめだ、だめだ。おめぇみてぇなやろうはとても満足な仕事はできゃしねぇ。おめぇのがらにあってんのはせいぜいが、空き巣だ
泥棒あきす、ってなんです?
親分おめぇ、泥棒のくせに、空き巣を知らねぇか?
泥棒へぇ、まだ頂いたことはありません
親分食いもんじゃねぇ! 空き巣ってぇのはな、たとえば、亭主は仕事に出ていて、女房は買い物に出ていて、うちン中は留守にしているてぇうちに入ることだ
泥棒親分、そいつぁ、たちがよくねぇ
親分たちのいい泥棒がいてたまるか! いいか、おれがやり方を教えてやる。よく聞いてろ。いいか、まず、このうちは留守らしい、と思ったら、まず、言葉をかけてみろ
泥棒お宅は留守ですか? ...って?
親分そんなことを聞くやつがあるかよ。まずは「ごめんください」というんだ。それで「はい」と返事があれば、人がいるんだからだめだけれど、返事がなけりゃぁ、中へはいって仕事をするんだ。もっともなかにゃぁ、返事をしねぇで、いきなりはばかりからにゅーっと現れるようなヤツもいるから、気をつけなきゃいけねぇ
泥棒そんなときはどうしたらいいんで?
親分こりゃもう、現場を押さえられちゃ、どうにもならねぇ。こんなときゃ謝っちまうに限るな。泣き落としてぇやつだ。盗んだものを全部差し出して、「まことに申し訳ございません。長い間、職にあぶれておりまして、うちに帰りますと七つをかしらに五人の子供がございまして、六十五になる年寄りは長の患い...医者にかけることもできません。貧の末の出来心でございます」と涙のひとつもこぼせば、「ああ、出来心じゃしかたがねぇ」ってんで、許してくれるだろうし、うまくいけば、銭の少しもくれる奴がいるかもしれねぇ
泥棒くれねぇときは、親分のところに請求書回しますから
親分図々しいことを云うんじゃないよ。しかし、今、云って聞かせたこと、ちゃんと分かったんだろうな?
泥棒えぇ、つまりですね...ごめんください、と言葉をかけて...返事がなかったら留守だから仕事をする、返事があったら、いるんだから、どうもすいません、貧の末の出来心で...
親分おいおい、何もしねぇうちから白状しちまってどうするんだよ! もし返事があったら、しらばっくれてものを尋ねるんだ
泥棒昨今の世界情勢をどのように...
親分だから、柄にねぇことをするなって云ってんだろ! 人の家でも訪ねてるふりをするんだよ。いいか、こんなぐあいにするんだ。「何丁目何番地はどの辺になりましょうか?」「このご近所に、ナニ屋ナニ兵衛さんてかたはいらっしゃいましょうか?」てな調子だ。相手が知ってても知らなくてもいいから、何か云ったら、ありがとうございます、と頭を下げて出てくりゃあいいんだ
泥棒あぁ、そうすれば正体が知れねぇってぇわけだ。ではさっそく出かけますから、風呂敷きを貸してください
親分そんなもの、どうするんだよ
泥棒盗んだ品物を包んで...
親分どうせ盗みに行くんだから、そのうちの風呂敷きィつかやぁいいだろう
泥棒でも、返しに行くのが手間だから...
親分ばか野郎! 返さなくていいんだ!
泥棒それでは義理が...
親分何を云ってやがんだ! このうすら! とっとと行け!!
泥棒へい...

では親分! 空き巣に行ってきます!!

親分大声を出すんじゃねぇ。そっと出かけろ
泥棒では、行ってきます...えぇ、少々、ものをうかがいます
親分おーい、隣でやるんじゃねぇ! 町内を出ろ、町内を...
泥棒あはは...親分も気が小さいや。隣に遠慮してる。町内を離れろって云ってたなぁ...離れたかなぁ...いいかなぁ、こんなもんかなぁ...では、この辺で...

えー、御免ください、御免ください...

おーい
泥棒へい?
そこ、空き家だよ
泥棒空き家ですか...あぁ、貸し家札が出てらあ
貸し家探しか?
泥棒いいえ、留守探しで
留守探し? なんだよ、そりゃぁ...へんな野郎だなぁ...
泥棒分かりますか?
怪しい野郎だ
泥棒ごもっともで...
なんだと、この野郎!
泥棒さようなら...空き家はいけませんよ、空き家は。人が住んでなきゃ盗みようがねぇや...この家はどうかな? えー、御免ください
はい
泥棒さようなら
なんだよ。おーい、ご近所、気をつけなよ! 怪しいのがうろついてるよ。下駄でもなくならないかい?
泥棒やれやれ、人を下駄泥棒みたいに云うんじゃないよ。慌てたから、いけなかったんだ。えぇ、ごめんください、に、「はい」と来たら...えぇ、っと...何か聞くんだったな。よし、このうちでやってみよう

ご免くださーい

はい、なんのご用で?
泥棒おや、そこにおいでンなりましたか
えぇ、さっきからこに坐っておりましたよ
泥棒それは、それは、あいにくさまで。いつごろお留守になりますか?
留守にゃしませんよ
泥棒それは用心のよろしいことで。ではまた、お留守のときに...
なんだよ、あいつぁ...
泥棒いけねぇ、いけねぇ...いきなり目の前に坐ってたたぁ、気がつかなかった。なかなかうまくいかねぇもんだ...えー、ご免下さーい
あいよ!
泥棒あれ、このうちもいるんじゃねぇか...たまにゃ留守のうちくらいあったっていいじゃねぇか
なんだい、ひとりでぐじぐじ云って。何の用だ?
泥棒えー、ちょいと、ものを伺いますが...
なんだ
泥棒えぇ、何丁目何番地というのはどのへんでございましょうか
なんだとォ?
泥棒いえ...その...ナニ屋ナニ兵衛さんのお宅はこの辺で?
なんだと、この野郎、訳ンわからねぇことばっかり云いやがって...何しに来やがった!
泥棒いえ、よろしいんです...もうわかりました...
何が分かったってんでぇ! おぅ? 何丁目何番地のナニ屋ナニ兵衛だなんて、いってぇ何がわかったってぇんでぇ! まごまごしてっと張り倒すぞ! いってぇ何を聞きに来やがった!!
泥棒いえ...あの...この辺に、ちょうちん屋ぶら衛門という方はいらっしゃいませんか?
ちょうちん屋ぶら衛門だぁ? そんな間抜けなやろうは知らねぇ
泥棒へぃ、あたしも知らない
なんだと!
泥棒ごめんなさい!

はぁ、はぁ、驚いた...あぶなく張り倒されるところだった。しかし、とっさの場合とは云いながら、ちょうちん屋ぶら衛門とはよく出たもんだなぁ...これからはみんなこれで行こう...

おっ、このうちは玄関がすこしあいてるじゃねぇか...ご免くださーい、少々ものを伺いまーす...お留守でしょうか? ...泥棒が入りかかってますよ...ぶっそうですよ...戸締まりはしっかりしなくちゃいけませんよ...はばかりから出てきて、「バア」なんてのは無しですよ...しめ、しめ...いないんだ。こうなりゃぁこっちのもんだ。あがっちまおう。

へへっ、こりゃぁいい長火鉢だ。けやきだな。いい品モンだよ、うん。湯が沸いてるね。いい鉄瓶だよ。南部かな...そうだ。ここでグッと落ち着かなきゃならねぇ。お茶でも入れるかな...うーん、いいお茶だ。口がおごってるな...なんだい、この器に入ってるのは...羊羹...うーん、いい羊羹だよ。羊羹はいいけど...ずいぶんと薄く切りやがったねぇ...しみったれてやがんねぇ...これで数を余計に見せようてぇ魂胆だ。しかし、こっちゃぁその上をいくね。敵の計略の裏をかいて、三切れいっぺんに食うという荒業で...あー、こりゃぁうめぇや...うめぇ

おーい、下に誰かいるのか?
泥棒ぐぐぉっ...ぐほっ、げほっ...す、すいません...よ、羊羹が喉に...ちょっと背中を叩いてもらえませんか...く、苦しい
えぇ、こ、こうか? (ドン、ドン)どうだ?
泥棒あぁ、な、なおりました。どうもご親切に、ありがとうございました
いや、どういたしまして...って、そうじゃねぇ! おめぇ、いったい誰だ!?
泥棒いえ、二階にいらっしゃったとはちっとも気がつきませんで
そんなことを聞いてるんじゃないよ。いったい何なんだ? おめぇは...
泥棒......しょーしょーモノをうかがいます
ふざけんなよ。ものを聞く人間が、人んちに上がり込んで、羊羹食って、かってに茶まで入れて飲んでるなんてぇ話しがどこにあるんだ!
泥棒はぁ、ちょぃと不思議でござんすねぇ
ちょぃとじゃねぇ! いってぇ何を聞きてぇんだ?
泥棒この辺に、おいでになりますかなぁ
誰が?
泥棒えぇ、あの...そのぅ...へへっ、そんな方、いるはずがございませんよね
だから、誰だよ
泥棒えぇっと、あの...ちょうちん屋ぶら衛門さん
そうかい、そうならそうと、早く云えやい。ぶら衛門はおれだ
泥棒ええっ? あなたが? あなた、そんな間抜けな名前なんで?
間抜けたぁなんでぇ! ぶら衛門はおれだ
泥棒いゃ、あなたじゃないぶら衛門さんで...いい男の方
なにを!
泥棒よろしく申しておりました
誰が?
泥棒あたしが
何だ? このやろう、ふざけやがって。張り倒してやる!
泥棒さよなら!

いゃぁ、驚いたねぇ...世の中にゃ間抜けな野郎がいるもんだ。ちょうちん屋ぶら衛門だなんて...ま、いいや。羊羹くっだけあたしの勝ちだ...あっ、いけねぇ! 買ったばかりの下駄、置いて逃げて来ちゃった...羊羹食ったくらいじゃもとが取れない...どこで損するか分かりゃしねぇや...

なんだい、逃げた勢いで、えらく薄汚い長屋に迷い込んじゃったなぁ...おや、このうちは戸が丸開きだねぇ...あぁ、開いてんじゃねぇや。戸が無いんだ...これかい? 噂で聞いた戸無し長屋てぇのは...ま、いいや。留守らしいから、入ってみよう。台所の窓に越中ふんどしが干してある...まぁ、何も盗まないよりいいや。これ、いただいとこう...キンが入るなんて縁起がいい...かなぁ...あ、七輪に土鍋がかかってる。何か煮てるな。なんだろう...おじやだ...なんのおじやだ? 米だけだよ、えぇ? こんなもの食ってるようじゃろくな品は持っちゃいねぇな...まぁ、いいや。ここまでの足代に、これ食っちゃおう。すきっ腹に不味いもん無しって云うけど、塩だけでもけっこううめぇや。ああ、うめぇ

八五郎あぁ、どうもおとなりのおばさん、えぇ、留守、中誰も来なかった? そうかい、どうも...
泥棒えぇっ? こ、こりゃ、大変だ! 帰って来やがった! おじや食ってる場合じゃねぇや! 裏口は...と、このうち、裏口がねぇじゃねぇか! ど、どうしよう...仕方ねぇ、この踏み板上げて、縁の下へ潜っちまえ!
八五郎あれ? お隣は誰も来なかったって云ってたけど、なんだよ、うちじゅう大きな足跡がベタベタ...いけねぇ! こりゃ、泥棒がへぇりやがった! ...とはいうもんの、考えてみればどうってことねぇや。うちにゃなんにもありゃぁしねぇんだからなぁ。あれ、おれの干しといた越中ふんどし...持ってっちまいやがったな...へっ、けちな泥棒じゃぁねぇか...あっ、おまけにおじや、食っちまった。なんてぇがっついた泥棒なんだ?

だが、待てよ...こいつぁ、案外、救いの神かも知れねぇ。大家に言い訳のタネができた。なんか、ありがてぇことンなっちゃったなぁ。「大家さんちに持っていこうと思ってた店賃を盗まれました」と云えば、まさかそれでもよこせ、とは云わないだろう。そうだ、そうだ。大家を呼んでこよう...大家さーん、大家さーん、早く来て下さいよーっ、てぇへんですよーっ、泥棒だぁ、泥棒がへぇったぁぁっ、大家さーん、泥棒ですよーっ、泥棒、大家さーん、泥棒大家!

大家なんだ、誰が泥棒大家だよ
八五郎いえ、今、「大家さん、泥棒が入りました」という心を込めて、あいだを抜かして...
大家そんなものを抜かしなさんな...で、なんだって、お前さんのところに泥棒が?
八五郎そうなんで
大家そうか。そりゃぁ、災難だったなぁ、泥棒の奴。あんまり何にも無いんで、さぞかし驚いたろう。何か置いて行ったか?
八五郎まさか...盗んで行ったんですよ
大家へぇ、お前さんのうちでも盗むものがあったのかい?
八五郎そりゃぁねえゃ、大家さん、あっしんちでもものくれぇありまさぁ。それに今日はこっちの方へ越してくる友達の荷物を預かってましたんでねぇ
大家そんなものがあったのかい? そりゃぁ大変だ
八五郎それに、大家さんちに持ってく積もりだった店賃も盗られちまった...そんなわけで、申し訳ねぇんですが、店賃のところはもうちょいと待ってもらいてぇんで...
大家うん? まぁ、盗まれちまったものはしょうがねぇなぁ...まぁ、少し待ってやるから...
八五郎へへっ、しめた!
大家なにィ?
八五郎いえ、こっちのことで...では、これで話しは終わりですから、どうぞ、お帰りを
大家何を云ってるんだよ。警察へ盗難届けてぇものを出さなきゃいけねぇ。ちょうど紙と筆を持ってるから、盗まれたものを云ってみな。ここへ書き取ってやる
八五郎え? ...いやぁ、それ、結構です
大家結構じゃないんだよ。こういうことは後で警察にうるさく云われるんだから、ちゃんとしとかなきゃぁいけねぇ。お前さんの荷物だけじゃないんだろ。友達の荷物も預かってたんだろ。ちゃんと届けを出しておけば、あとで品物が出て来たときに戻ってくるんだから。さぁ、云ってみなよ。何が無くなったんだい?
八五郎いや、それが、その...参ったなぁ...じゃぁ、越中ふんどしが一本
大家そんなものを盗難届けに書けるかよ。もっと重々しいモノを云ってみな
八五郎そんなら、たくあん石が二つ
大家目方の話しじゃないよ。もうすこし金目のものがなかったかと聞いてるんだ
八五郎金目...じゃぁ、金の茶釜なんてどうです?
大家金の茶釜? そ、そんな高価なものがあったのかい?
八五郎いいぇ、ねぇから、盗られねぇ
大家あたしゃ盗られたものを聞いてるんだよ!
八五郎いやぁ、そんなものが長屋から盗まれたら、大家さんの鼻が高いか、と思いまして
大家あたしの顔なんか心配してくれなくていいよ。そんな余計なことを云ってないで、いったい何を盗られたんだい?
八五郎何を...って云われると、弱るんですが...泥棒ってぇモノはいったい何を持ってくもんなんですかねぇ...
大家そんなこと、あたしゃ知らないよ!
八五郎大家さんの懇意にしてる泥棒はどうです?
大家そんなもの、いないよ! しかし、まぁ、ちょぃとしたところでは着物、衣類だな
八五郎それなら、夜具布団なんかで...
大家ほう、ずいぶんと大きなモノを持ってったな...こりゃひとりじゃないな。二人組か三人組だな。で、どんな布団だい?
八五郎いえ、お構いなく
大家いや、お構いなくじゃないんだよ。いったいどんな布団だい?
八五郎しごく上等の布団で
大家だから、ものはなんだと聞いてるんだよ。表はなんだよ
八五郎表は源さんちと辰っつぁんちで
大家おまえさんちの表を聞いてんじゃない! 布団の表の柄は何だって聞いてるんだよ!
八五郎ええっ...と、大家さんちによく干してあるのと同じで。あの草の葉っぱが絡まったような...
大家ありゃぁ、唐草って云うんだ。あんまり上等の布団にゃああいう柄はねぇ。まぁ、いいや。表は唐草だな。で、裏はなんだ?
八五郎裏は行き止まりです
大家おまえんちのことを聞いてるんじゃないと云ってるだろ! 布団の裏だよ!
八五郎大家さんとこのは?
大家うちは、丈夫であったけぇように、花色木綿 (‘花色木綿:花色は「はなだ色」で、露草で染めた淡い紫。浅葱色ともいう。花色木綿は花色で無地の木綿の布で、夜具や衣類の裏地によく使われた’) だよ
八五郎あぁ、それそれ、うちも同じで。花色木綿です
大家裏は花色木綿、と... で、何組だ
八五郎一年三組
大家一年三組? なんだい、それは
八五郎大家さんちのお孫さんの学校の...へへっ、可愛らしい、利口な、元気なお孫さんだってバカな評判で...
大家えぇ? ははっ、いやぁ、うちの金坊は... いやいや、うちの孫の話しはいいんだよ。布団が何組あったか、を聞いてんだよ。何組あったんだ?
八五郎えぇ...と、五十組...
大家ご、五十組? 五十組も布団があったら、このうち、布団だけで一杯ンなっちまうだろう
八五郎ですから、表通りの布団屋に預けてます
大家何を云ってるんだよ。お前さんが盗られた布団が何組か、と聞いてるんだよ!
八五郎いゃぁ、何組も何も、あっしが寝るだけなんで...
大家じゃぁ、一組だけじゃぁねぇか...それだけのことを云うのに、なんでこんなに余計なことを云うんだよ...ったく、おめぇってぇやつは...で、やわらかものなんて、無かったか?
八五郎へぇ、やわらかものということについては、賤しい泥棒で、せっかく作っといたおじやを食っていきました
大家いや、やわらかものてぇのはそういうのじゃないんだ。つまり、絹物で、例えば羽二重とか...
八五郎ええ、それそれ。羽二重が盗られました。羽二重といえば、なんてっても黒羽二重で
大家黒羽二重なんて、持ってたのかい? ふーん...紋付きだな...そんなもの、どこへ着て行くつもりだい? で、紋はなんだ?
八五郎モンは雷門
大家そうじゃぁねぇ。着物の紋だよ。これなんか、品物が見つかったときにいい目印ンなる。紋はなんだ?
八五郎紋...ですか? えぇっと、ケツみてぇのが三つ、ついてます
大家ケツが三つ?
八五郎...大家さん、うちの先祖はおカマですかねぇ
大家そんなこと、知るもんか...ケツ...そりゃかたばみじゃないか?
八五郎そうそう。ウワバミです、そのバミで
大家うわばみってぇやつがあるか。かたばみだよ。で、裏は何だ?
八五郎裏は...花色木綿で
大家おいおい、黒羽二重の裏に花色木綿をつける奴があるか...で、あとは?
八五郎帯です
大家帯か...なんの帯だい?
八五郎岩田帯
大家なんで、独り者のお前さんが岩田帯なんか持ってるんだい? だれか子供でもできたのか?
八五郎へぇ、熊公ンちのメス犬が...
大家犬に岩田帯なんぞ絞めさせるか...本当はどんな帯を盗られたんだ?
八五郎はだか帯
大家それを云うなら博多帯だ
八五郎ええ、裏は花色木綿です
大家帯に裏なんぞつけるか! そりゃぁ帯の芯かなにかにしてるんだろう
八五郎そうなんで。芯は花色木綿
大家夏物か何かなかったかい?
八五郎夏物は、うちわと蚊取り線香
大家そういう夏物じゃなくて、着るもののことだよ
八五郎へぇ、あの、大家さんが出かけるときによく着ていくやつ
大家上布 (‘上布:平織りの上等の麻織物’) かい?
八五郎へー、わかんねぇもんだねぇ...年を取っても浮気は止まぬ 止まぬはずだよ 先が無い...なんてね! はぁぁ~
大家何を云ってんだよ!
八五郎情婦でござんしょ、いよっ! 色女が、大家さんに...長屋の皆さん、大家さんにゃ...
大家お止め!! 着物の上布だよ。そんな人聞きの悪いことは店賃払ってから云っとくれ!
八五郎そ、そんな、大家さん...いや、洒落ですよ、洒落。分かってますよ。ね、着物上布。裏は花色木綿
大家おいおい、上布に裏なんぞ付けたのかい?
八五郎丈夫で暖かくて、寝冷えしねぇ
大家...わかったよ...で、後はなんだ?
八五郎えぇ、蚊帳が一枚
大家そりゃ「一張り」と云うんだ。大きさはどのくらいだ?
八五郎ええ、一人前で
大家寿司を頼んでるんじゃないんだよ...まぁ、五六くらいだろう
八五郎へぇ、裏が花色木綿で
大家ばかなことを云うな。かやに裏を付ける奴があるか
八五郎丈夫で暖かくて、寝冷えしねぇ
大家まだ云ってやがる。で、他に盗られたものは?
八五郎たんす
大家たんすなんか持ってったのか? ふーん...これはやっぱり二人組か、三人組だな。で、たんすは総桐か? それとも三方桐か?
八五郎夕霧
大家花魁の名前を聞いてるんじゃねぇ...総桐か?
八五郎そうぎりを欠いちゃぁ人の道に背く...だから総桐
大家ばかな洒落を云ってんじゃないよ...総桐...と。あとは?
八五郎鉄瓶がひとつ
大家うん、鉄瓶か...で、南部か?
八五郎さぁ、ずいぶん前に買ったんで、いくらだったか...
大家値段を聞いてるんじゃねぇ。南部鉄瓶か、と聞いてるんだよ
八五郎そうなんで。裏は花色木綿
大家鉄瓶に...まぁ、いいや
八五郎へぃ、丈夫で暖かくて、寝冷えしねぇ
大家あきれて話しになりゃぁしねぇ...
八五郎あとはお札です
大家お札か...
八五郎裏は花色木綿
大家札に裏ァ付ける奴がどこの世界に...
泥棒プゥファッ...ヒーッヒッヒッヒ...ウヒャヒャヒャヒャ...
八五郎なんだ? 誰だ、てめぇ...おかしな野郎が笑いながら縁の下から出てきやがったじゃぁねぇか...いってぇなんだ、おめぇ!
泥棒ヒーッヒッヒッヒ...あんまりばかばかしいじゃぁねぇか。おぅ! さっきから黙って聞いてりゃぁ、なんでも「裏は花色木綿」だってやがらぁ...おまけに札にまで裏がついてるたぁ...
この唐変木!!
大家この野郎...縁の下から這い出して来たところを見ると、ははぁ、おめぇ、泥棒だな?
泥棒おや、大家さんですね。あっしゃぁ、稼業は泥棒にゃちげぇねぇけれど、このうちにゃぁ何も盗るものなんざありゃぁしねぇ
八五郎なんにも盗らなくったって、人ンちに黙ってへぇりゃぁ立派な泥棒でぇ! ふざけた野郎だ。警察ゥ突き出してやる
泥棒あ、いけねぇ...親分が教えてくれたのはここだな...ええ、どうも申し訳ありません...何しろ長い間、職にあぶれ、三つを頭に六十五人の子供がおりまして...七つの年寄りが長の患い...
八五郎何を云ってるんだ、トンチンカンな
泥棒そのトンチンカンを医者にかけることも出来ねぇありさまで...ほんの貧の末の出来心で...ここで涙を...あれ、出ねぇな...ま、出た、ということにして、哀れっぽく持ち掛けますから、出来心じゃ仕方ねぇ、と許した上に、銭の少しもくれ!
八五郎誰が銭なんぞやるか! 盗人に追い銭じゃぁねぇか!
大家まぁ、しかし、まだ何も盗られたわけじゃなさそうだし...うそにもせよ、出来心だって云うんだ。ここは許してやってもいいが、それにしても八、おめぇもおめぇだ。おめぇんとこにこんなに盗まれる品物があるわけがねぇと思ってたんだ。よくまぁ、これだけウソ八百ならべ立てやがったなあぁ...おぃ、八!
八五郎へぃ...
大家この野郎、今度はてめぇが縁の下、潜ろうってのか! 早くこっちへ来い!
八五郎へぇ、どうも、代わり合いまして...
大家なんだ、落語家みてぇなこと云いやがって...おい、八公、いま、この泥棒に聞いてみりゃぁ、何も盗っちゃいねぇそうじゃぁねぇか...それをよくまぁ、あんなウソばかり並べ経てやがったな。いったいどういう積もりだ!?
八五郎へぇ、大家さん、これもほんの出来心でござんす

引用元:「東西落語特選」
http://www.niji.or.jp/home/dingo/rakugo2/

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