たらちね
縁は異なもの、あじなもの...と申します。若い者がひとりでおりますと連れ合いを世話してやろう、というような世話好きなお人というものは今も昔も町内にひとりくらいはおりましたもので...
家主 | おう、八っつぁんかい。呼びにやったらすぐに来てくれなくちゃあ仕様が無いじゃないか。何をしてたんだい? |
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八五郎 | いや、どうも面目ござんせん。持って来ようとは思っちゃいるんですがねぇ、どうもここんところ、仕事がはんちくんなっちまって、出銭も多いんで、すいませんが、もうしばらく待っちゃもらえませんか? |
家主 | なんだい、その待てってぇのは? |
八五郎 | 大家さんが呼んでるってことは、店賃の催促でしょ? |
家主 | なんだよ、あたしの用事ってぇのは店賃の催促しかないと思ってるのかい? いやいや、そうじゃないよ |
八五郎 | え? じゃ、なに? 大家さんが、呼んどいて、店賃の催促じゃない? へへっ、とうとう諦めやがった... |
家主 | 何を言ってんだい、諦めちゃいないよ。ま、いずれは入れてもらわなきゃならないがな、それはそうと、お前さん、いったいいくつになる? |
八五郎 | ...何がですか? |
家主 | 歳はいくつになるんだよ |
八五郎 | やだな、出し抜けに歳を聞かれるてぇと、照れるけど...二十四です |
家主 | 二十四か...うんうん、年回りもちょうどいい案配だな。いや、今日来てもらったのは他でもねぇ。長屋に若いものはいくたりかいるが、どいつもこいつもろくなもんじゃねぇ。そこへいくと、八っつぁん、お前さんはちょっとできが違うねぇ。いや、お前さんの死んだ親父さんも義理堅い、腕のいい職人だった。お前さんは親父さんの若けぇ頃にそっくりだ。気風はいいし、さっぱりとして陽気でな。ま、ちょっとおっちょこちょいのところはあるが...ま、そんなお前さんを見込んで、云うんだが、お前さん、固まる気は無いかい? |
八五郎 | なんすか? |
家主 | 固まんな、って言ってんだよ |
八五郎 | ...モルタルか何かで? |
家主 | 違うよ、持つものを持ちなって言ってんだよ。嫁さんをもらう気は無いかって聞いてるんだよ |
八五郎 | 嫁ねぇ...いや、そりゃ仲間内でもみんなが言うんですよ。「ひとりで寝るのは寝るのじゃないよ、枕担いで横に立つ」なんて冷やかされてましてねぇ。そりゃいっしょになりてぇけどねぇ。あっしのようなもののところへ来ようってぇ女がいますかねぇ |
家主 | あぁ、それなんだが、実はちょっとしたご縁でお前さんを見初めてねぇ。いやぁ、話しをすると長くなるんだが、先だって、あたしが横丁の縁台で涼んでいたとき、お前さんが仕事帰りに通りかかっていっしょに小半時ほど話しをしたことがあったな |
八五郎 | あぁ、そんなことがありましたねぇ |
家主 | あのときあたしといっしょにいた、年の頃ならはたちちょっと過ぎの娘さんを覚えていないかい? |
八五郎 | え? いたちちょっと過ぎの娘...? |
家主 | いたちじゃないよ、はたち、二十歳だよ。器量のいい娘さんだよ、覚えてないかねぇ。まぁ、向こうはそうでしゃばるようなお人じゃないから、お前さんと話しはしなかっし、覚えてなくても無理はないがな。 この娘さんというのが、ご両親は幼い頃に亡くなって、親戚を頼って京都で育った娘さんだ。ちゃんとした家柄の娘さん、世が世ならばお嬢様だ。子供の頃からご大家のお屋敷に奉公に出てな、つい最近、お暇を頂いて、こっちへ戻って来た。そんなもんだから、もう堅苦しいのはうんざりなんだそうだ。こないだあたしとお前さんが話しているのを聞いてな、あんなサッパリとして気軽な人と添うてみたい、とこう云うんだ。ま、本当なら、こんな長屋のかみさんに収まるようなお人じゃぁないんだがな、本人がそう望んでるてんじゃ仕方がねぇ。それで、お前さんに話しをしているてぇわけなんだが、どうだい。お前さん、固まっちゃぁどうだい? |
八五郎 | ...あっしのところへ、ですかィ? 大家さん、あっしを担いじゃいませんか? ...ははぁ、わかった。その娘、キズもンだろ |
家主 | なにぃ? |
八五郎 | いや、あっしのところへ来ようてぇくらいだから、キズもんにちげえねぇや |
家主 | キズものとは恐れ入ったねぇ...しかし、そう言われると...いや、キズになるかなぁ |
八五郎 | キズもンだよ。横っ腹に穴が開いてるでしょ |
家主 | 壊れた土瓶じゃないんだよ。いや、実はな、さっきも云った通り、こないだまで京都のあるお屋敷に奉公してた、そのせいで...言葉がなァ、少々丁寧なんだ |
八五郎 | え? なんスか? |
家主 | いや、言葉が丁寧なんだよ |
八五郎 | 言葉がていねい? 言葉がていねいだ、なんてのがキズになりますかねぇ |
家主 | いや、物事はな「過ぎたるは及ばざるがごとし」の言葉どおりでな、丁寧なのも度が過ぎると、われわれには言っていることが分からない。分からないとキズになる。 この間も、ちょぃと、道端でばったり出会った。するとその娘さんが丁寧に頭を下げて、 「これはこれはおいえぬし、こんちょうはどふうはげしゅうして、しょうしゃがんにゅうし、ほこうなりがたし」 とこう来た |
八五郎 | ...ようよう、音羽屋! |
家主 | 何を言ってんだよ。いや、お前さんには何のことだか分からないだろ。無理も無い。あたしも分からなかった。よくよく考えてみるとだよ、「こんちょう」ってぇのは「今朝」だな |
八五郎 | はぁはぁ...「けさ」ね |
家主 | 「どふう」ってぇのは「怒った風」だ。つまり「すごく強い風」だ。「しょうしゃ」ってぇのは「小さい砂」だな。これが「がんにゅう」つまり「眼に入る」 |
八五郎 | ほう、コリャァうめえこと言ったじゃねェか... |
家主 | 「ほこうなりがたし」は「歩き行くのが難しい」ってぇわけだな。どうだい、分かるかい? |
八五郎 | はぁはぁ...なるほどねぇ、ヘェッ...で...要するに、その娘っ子は何を言いたかったんで? |
家主 | これだけ云っても分からないのかい? だから、要するに、「今朝は風が強くて砂埃が目に入って歩けない」って、そう言ったんだよ |
八五郎 | へぇ...ハッハァ、あ、なるほどォ...いやぁ、その短い一言にそれだけの意味がありますかねぇ...で、大家さんは何て答えたんスか? |
家主 | そりゃあな、わたしだって、子供じゃないんだから、何も言わずに別れるわけにゃァいかないよ。「いかにもすたん、ぶびょうでございます」とこう切り返したな |
八五郎 | 何っすか? その...すたん...何とかってぇのは |
家主 | まぁ、これはたいしたことじゃないんだ。脇の道具屋の店先にたんすと屏風が並んでたからな、それをひっくり返して、「すたん、ぶびょう」だ |
八五郎 | へぇ、こりゃあおでれぇたねぇ。物言いのわけのわからねぇ娘っ子も娘っ子だが、たんすと屏風で返事をする大家も大家だ。で、向こうはなにか言ってましたか? |
家主 | なんか、妙な顔をしていたなぁ |
八五郎 | そりゃあそうでしょうねぇ。あっしだったらそんな返事はしないよ |
家主 | ほう、お前さんだったらどういう返事をする? |
八五郎 | あっしなら「願山秀礼でござんす」くれえのことは言うねぇ |
家主 | ほう、それはどういう挨拶? |
八五郎 | いやぁ、こりゃぁ、親父の戒名で |
家主 | 戒名で挨拶する馬鹿があるかよ。で、どうだい、そういう娘さんだが、もらう気はあるかい? 歳かい? 歳は二十二歳だ |
八五郎 | 二十二歳? ふたつ違いか。いいねぇ。ありがてぇ...まぁ、大家さんの世話だから、仕方ねぇや。いつくれるんっすか? |
家主 | 仕方ないからもらう、てぇ奴があるかい。じゃぁ、もらうんだね。そうか。じゃぁ、うちへ帰っていい日を選ばないと... |
八五郎 | いや、いい日なんて言ってないで、今日下さい |
家主 | なんだよ、仕方が無いからもらうんじゃなかったのかい? 今日云って今日もらうなんてことができるかよ。ネコの子をもらうにしたって、かつお節くらいつけなくちゃいけないんだから |
八五郎 | でもねェ、昔から「思い立ったが吉日」っていいますよ |
家主 | お、こりゃ上手いこと言ったねぇ...「思い立ったが吉日」か...よし、先方にそういう具合に話しをして、向こうも都合が良かったら今晩にでも輿入れってぇことで話しをまとめよう |
八五郎 | いやだよ、そんなの... |
家主 | なんだよ、お前が言い出しっぺぇじゃねぇか。何が気に入らないんだい? 今晩、輿入れだよ |
八五郎 | 腰だけもらったってしゃぁねぇや。全部下さい |
家主 | くだらないことをいってんじゃないよ。輿入れってのは...まぁ、いいよ。ちゃんと上から下までそっくり連れて来るから、お前も掃除して湯と床屋行って、ちゃんと用意して待ってろ。夕方には連れてくるから |
八五郎 | 分かりました、ありがとやんした。どうも、よろしく へっへっへ...ありがたいねぇ、世話好きなんだねぇ、おれなんざ、カカァなんか来ねぇと思ってたよ。金はねぇし、男前でもねぇし、稼ぎはねぇし、こういうところへくる女がいようとは思わなかったねぇ。言葉が丁寧なんていいんだよ。おれがぞんざいなんだから、かきまわしゃぁちょうどいい加減になるんだ、こんなのは...湯とおんなじだ... へへっ、どうも、海苔屋のばあさん...ヘッヘッヘ...おめでとう... |
婆さん | なんだい、笑いながら歩いてるね。なにかいいことが持ち上がるのかい? |
八五郎 | へっへっへ、今夜、長屋でめでてぇことがあるんだよ |
婆さん | 知らなかったねぇ。どこで赤さんが生まれるんだい? |
八五郎 | いや、赤ん坊じゃねぇよ。嫁さんが来るんだよ |
婆さん | お嫁さんが...こりゃ初耳だ...ちょっと待ちなよ。この長屋で独り者てぇと何人かいるけど...誰だい? どこにお嫁さんが来るんだい? |
八五郎 | へっへっへ、いやぁ、実はあっしのところなんで...どうもおめでとう |
婆さん | 自分でおめでとうってぇやつがあるかい。そうかい、そりゃおめでたいねぇ。なにか手伝うこと無いかい。なんでも、そう言っとくれ |
八五郎 | そうかい、すまないねぇ。じゃぁ、部屋んなか掃除してください |
婆さん | こりゃまた、早速だねぇ。じゃ、お前さんがいちゃぁ邪魔になるから、お前さんは湯に行って床屋に行って、ちょっとは磨いて男前になっておいで |
八五郎 | ありがてぇ、いやぁ、年寄りの考えることってぇのは同じだねぇ。大家にもそう言われてるんですよ。じゃ、あっしゃぁそっちへ回りますんで... ********************************************************* あーぁっ、いい湯だったねぇ...ヘェーッ、久しぶりに湯に入っちゃった...あぁ、さっぱりした... あ、ばあさん、いまけぇりました、ありがとございましたぁ... へぇ、部屋ん中、すっかりきれいになっちゃったねぇ。女が掃除するとこうも違うもんかなぁ。女ったって、バケるほど女やってんだけどねぇ...え? あ、どうもばあさん、えぇ、ほんとにきれいにしてもらっちゃって、ありがとございました! あぁ...早く、女こないかなぁ...なんか楽しみになっちゃったなぁ...来たらなんて言おうかなぁ......え、らっしゃい! ...妙だなぁ...言葉が丁寧な人だってぇからなぁ、向こうになんか言ってもらった方がやりいいなぁ... なんて言うかなぁ...こんちわ? 毎度? こんな時、丁寧な人ってぇのはなんて言うんだろうねぇ...だいたい、おれのことはなんて呼ぶんだろうね、町内のカカァ連中は口が悪いよ、 「ちょぃと、アンタ! 宿六!」 てなことを言うよ。うちのは違うよ、言葉の丁寧な人だってぇからね、なんかしたら 「あなた...」 くらいのことは言うよ。それが照れくさいから、返事も短いよ。 「ん?」 くらいのこと言ってやろう。 あなた... ん... あなた... ん... あぁたン... んっふ~ン... あぁたァァ~ン... うふ~ンぁぁぁ、ああン、あぁぁっ!! |
婆さん | 八っつぁん、変な声出して、どうかしたのかい? |
八五郎 | ババァ、聞いてやがる...なんでもねぇよ、返事の稽古してただけだよ |
婆さん | 嫁さんが来ないうちに返事の稽古するバカがあるかい。静かにおしよ |
八五郎 | 妬いてやがる。てめえの骨、焼け! いや、なんでもない、なんでもない! 長屋の壁は薄いから筒抜けだよ。だけどねぇ、何が楽しみかねぇ。「楽しみは、春の桜に秋の月、夫婦仲良く三度食う飯」ってぇ唄があったね。飯を食うのが楽しみだよ。「八寸を四寸ずつ食う仲のよさ」てなぁ。お膳が真ん中にあって、カカァが向こう側にいて、おれがこっち側。カカァが向こうでお膳真ん中、おれこっち。お膳真ん中、おれがこっちでカカァが向こうでお膳真ん中、おれこっち... いつまでやっても同じだよ... 「いつも脂っこいものばっかりじゃ、胃がもたれてしょうがねぇなぁ」 「そう? じゃ、今日はお茶漬けにしましょ」 てなことを言うよ。茶漬けてぇことになると大変だね。おれなんか五郎鉢茶碗にたっぷりとご飯をよそってね、お茶をたっぷりかけてザクザク掻き込むよ。箸だってぶっといよ、杉の丸太くらい...いや、擂り粉木くらいかな...茶碗が安手だから、縁へ当たるとガンガラガンと音がするね。沢庵だってちいせぇってぇと歯ごたえが無くていけねぇから分厚く切ってあるよ。三つ四ついっぺんに奥歯で噛むってぇとバリバリ音がするねぇ。ザークザクのバーリバリのガンガラガンだ。 そこいくとカカァはそうじゃねぇや、上品だから。茶碗だってごく上等の薄手のやつだからね。茶碗の中におまんまちょいとよそって茶をかけて、おまんま粒が中で泳いでやがる。箸だって可愛いよ。銀の袴かなんか履いててね。小さい口でサクサクッと掻き込むね。焼き物がいいからチンチロリンってぇ、いい音がするよ。沢庵だって恥ずかしそうに前歯でもってポリポリッと齧りやがるねぇ...サークサクの、ポーリポリのチンチロリンてぇやつだ ザークザクのバーリバリのガンガラガン サークサクの、ポーリポリのチンチロリン ザークザクのバーリバリのガンガラガン サークサクの、ポーリポリのチンチロリン ザークザクのバーリバリのガンガラガン! |
家主 | そこ、ちょぃとどぶ板が壊れてて危ないから、気をつけなさい。もうちょっとこっちの方を歩きなさい... いまあそこでバカ騒ぎしてるだろう。あそこがこれからお前さんが行くうちだから...いやいや、脅えることはないよ。べつにとって食われるわけじゃない。当人は喜ぶとちょっと見当はずれのことを始める、ちょいと変わったところのある男だが、腕は確かだよ。しっかりしてる。稼ぎも悪くない。お前さんの舵の取り様によっちゃぁいくらでも出世できようてぇ男だ...大丈夫だよ。気立てのいい男だ。そうじゃなきゃぁお前さんを娶わせたりしないよ |
八五郎 | ザークザクのバーリバリのガンガラ... ...すいません、店賃、もうちょっと待って... |
家主 | しつこい男だねぇ、あたしの顔を見ると店賃のことしか思い出さないのかい? 条件反射てぇやつだねぇ。そうじゃないよ、嫁さん、連れて来たんだよ |
八五郎 | そうだよ、それで揉めてたんだよ! ありがとうございます! どうぞ、入っておくんなさいな! |
家主 | いや、そうもいかないんだよ。お前さんが帰ると、入れ違いに熊公だ。犬も食わない、てぇやつ...夫婦喧嘩だよ。あそこもあたしが仲人だ。仲裁は時の氏神。これからさっそくいって止めてやらなきゃ。ま、こっちは祝い事だ。いずればあさんといっしょに祝ってやるとして、今日のところは 高砂や~ はい、おめでとさん! |
八五郎 | あ、大家さん...大家さん... いっちゃった...嫁さんなんて、荷物じゃねぇんだぜ、届けりゃいいってもんじゃねぇじゃねぇか、しょうがねぇなぁ... あ..あの...へっへっ、お...お控えなすって! じゃ、おかしいなぁ...こ、こりゃ参ったなぁ...挨拶考えてなかったよ...ま、まぁ、ど、どうぞ、お上がりになって...汚い座布団ですが、どうぞお座りになって... |
新妻 | ひんよくせんだんにいって、これをまなばざれば、きんたらんとほっす |
八五郎 | .........へっへっへ...そ、そうでしょう!? せ、節句にはまだ早いんですよ、えぇ...まだ金太郎干さなくてもいいんですけどね...あ、いけねぇ...大家にお前さんの名前、聞くの忘れちゃった...あ、あの...お前さん、あっしの名前、知ってますか? あっし、八五郎...あなた、名前、なんですかぁ? |
新妻 | みずからことの、せいめいを、といたもうや |
八五郎 | ええ、いま帰った大家は清兵衛ってぇんですよ、そうそう。よく知ってんねぇ。あいつもいずれは戸板に乗って運ばれるんですけどね、清兵衛の戸板はどうでもいいんで、お前さんの名前はどうなってんです? |
新妻 | みずからことのせいめいは、ちちはもときょうとのさんにしてせいはあんどう、なはけいぞう、あざなをごこう、はははちよじょともうせしが、わがははさんじゅうさんさいのおり、あるよたんちょうをゆめみてわらわをはらみしがゆえ、たらちねのたいないをいでしときはつるじょ、つるじょともうせしが、それはようみょう。せいちょうののち、これをあらため、ちよじょともうしはべるなり~ |
八五郎 | .........そ...それ、おまはん、一人前? 長いねぇ...もっともこの長屋にこの前生まれた子が、寿限無寿限無五劫の擦り切れ...なんとかってぇ一息で言えねぇ名前なんすけどね、お前さんのも負けてないねぇ。驚いたねぇ、こりゃいっぺんにゃ覚えられねぇや。すいませんけどねぇ、紙に書いてもらえませんかねぇ。あ、職人ですから、仮名でおねげぇします。へぃ... あ、書けましたか...ああ、きれいな手ですねぇ...えぇっと...ハナは「みずから」でしたよねぇ。ここだけは覚えてる。ハナ、みずから...はなみず...汚いねぇ、どうも...ハナはいらない? へい... み、みみ...みず...みずからことのせいめいは...ちちはもときやうとうのさんにして...え? 「きやうとう」で「京都」? へぇ、京都ですかい? はっはぁ...きょうとのさんにしてせいはあんどうなはけいぞう...あざなはごごう...ハハハ...へ、「母は」ですか...ヘィ、はははちよじよとまうせしが...わがははさんじやうさんさいのおり...あるよたんちやうをゆめみてわらわをはらみしがゆえ、たらちねのたいないをいでしときはつるじよつるじよとまうせしがこれはようみやう、せいちやうの~のちこれをあらため~ちよじよちまうし~はべる~な~り~~~ チーン...なんまんだぶ、なんまんだぶ...なんまんだぶ、ってなんだいこれ! 辰公のとこなんざお照さんだからなぁ、簡単でいいや。 「おう! お照! 湯いくから、手ぬぐい取ってくれ!」 「あいよ! お前さん!」 噺がトントンッと運ぶねぇ。そこいくと、うちはそうはいかないよ。 「おう、みずからことのせいめいは、ちちはもときょうとのさんにしてせいはあんどう、なはけいぞう、あざなをごこう、はははちよじょともうせしが、わがははさんじゅうさんさいのおり、あるよたんちょうをゆめみてわらわをはらみしがゆえ、たらちねのたいないをいでしときはつるじょ、つるじょともうせしが、それはようみょう。せいちょうののち、これをあらため、ちよじょともうしはべるなり~、湯いくから、手ぬぐい取ってくれ!」 湯が無くなっちゃうよ 火事のときなんか大変だよ、半鐘がジャンジャン、 「おい! みずからことの...」 焼け死んじゃうよ! じゃこうしましょ、明日大家と相談して、具合のいいところでぶった切ってお前さんの名前にしますから、今日のところはもう寝ましょ |
って、変な夫婦ができあがりました。やかでカラスカァで夜が明けました。当時のご婦人は、夫に寝顔を見られるのが恥とされておりましたので、朝早くに起きまして、朝の拵えをしようといたしましたが、お米のありかが分からない。
新妻 | あ~らわがきみ |
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八五郎 | ...ぇ...ぁぁ..え? わがきみ? もう帰っちゃうんですか? え? まだいる? わがきみ、って...あっし? あっしが? わがきみ? ブルブルッ...勘弁しておくんなさいな! そればっかりは... もう明日から仕事に出られねぇ。あたしの仲間ってぇのはみんな口が悪いんだ。「わがきみの八公」なんてみょうな渾名つけられて笑い者にされますんで...呼び捨てで結構でござんす...で、何かご用ですか? |
新妻 | しらねのありか、いずくなるや? |
八五郎 | ...まぁ、そりゃね、独り者で不精してましたから、虱もいるかも知れませんけどね、もう夫婦なんだから、湯でもかけて殺して、あとよく洗っといてください |
新妻 | わらわのもうすははむむしにあらず、よねのこと |
八五郎 | ヨネ? ヨネ公のこと知ってるんですか? こないだからどっかへふけちまって、みんな心配してるですよ。ヨネにどこで会いました? |
新妻 | わらわがもうすはひとにあらず。ぞくにもうすこめのこと |
八五郎 | なんだ、米なら米と最初から言ってください。しらめだよねだと符丁で言うからわからねぇ。米は台所の隅のみかん箱に入ってますから、かってに使ってください |
さて、ご飯は炊きあがりましたが、味噌汁に入れる実がございません。その頃の長屋は重宝でございました。小商人が天秤にネギを掛けて売りに参ります。
小商人 | ネギやネギ、ネギはいらんかな... |
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新妻 | のうのう、もんぜんにいちなす、しずのおのこ、おのこやおのこ |
小商人 | ......門前? どこに門があるんだよ...あっしですか? |
新妻 | そもじじゃ |
小商人 | しゃもじ? あごがしゃくれてるから、しゃもじってやがんのか? 口の悪い女だねぇ なんかご用ですか? |
新妻 | そのほうがせんがのうちにたずさえし、これなるひともじぐさ、あたいなんきんなるや? |
小商人 | 勘弁してください。あっしゃ別に怪しいものじゃねぇんで、これだって盗んで来たものじゃねぇんですよ。これ、ネギって言いましてね、一把二百になってございます |
新妻 | なに、にひゃくとな、めすやめさずや、わがきみさまにうかごうよって、そこなもんのせきねにひかえてぅおりゃぁぁぁぁぁっ!!!! |
小商人 | へへぇ~~~~~~~~っ!!! |
『たらちね』でございました...
引用元:「東西落語特選」
http://www.niji.or.jp/home/dingo/rakugo2/
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