持参金
お金の値打ち、貨幣価値というものは時代とともに移り変わっていくものですな。落語の方でも「あの太鼓が三百両で売れた!」「ええっ!?」てな噺がございます。一両の値打ちやなんてどのくらいのものか、ほんまのところはようわかりまへんけど、時代劇やなんかで馴染みがあるものやさかい、なんとなしに見当は付きますが、わからんのは「円」の値打ちですな。
円、てなものは今でもあるだけに、戦前までの「円」の値打ちというものはどうもピンとこんとこがございます。「十円やろう」「十円もおくなはるのか!?」てな事をいいますが、今どき、十円では飴玉も買いかねますな。
ところが昭和初期の円の値打ちというものは大変なものでございまして、当時、百円札などいうものは簡単に庶民の懐に入るものや無かったんですな。何十年、年期を入れた職人でも月の収入が八十円の九十円のと、なかなか百円に届かんもんでした。ところが、なんかの拍子に軍需工場で働いてる息子が、ボーナスかなんかで百円札もろうてきたりしたら大変ですな。
●あぁっ...こ、これ、お前がもろてきたんか!? ひ、百円札...お、おぃ、カカ、お前もみてみい、百円札や...こいつが百円札もろうてきよった!...ぶ、仏壇にお灯明上げなさい、ご先祖様に見てもらおう
てなことを言うておりますと、長屋の壁てなものはごく薄いものですから、お隣のおばあちゃんが...
△あんた、なんじゃてな! あんたとこに百円札が...
●おばあちゃん、これ、見たって! うちの子供がもろうてきた百円札...
△あぁ、これが百円札...うちのおじいさん、これ見んと死んでしもうたんやなぁ...なんまんだぶ、なんまんだぶ...うちの嫁にも見せてやりたい...
ちゅうて持っていんでしもうて、そのうちどこへ行ったかわからん。
●百円札、どこ行った?
△なんや長屋じゅうグルッと回ってるらしいえ
●そんなアホなこと! 早う行って取返しておいで
言うてるうちにまた戻ってきて、やれうれしや、と裏返してみると、一軒ずつ順番にはんこが押してあった...
というくらいに、百円でも大騒ぎでございました。ましてや明治時代ともなりますと、十円の値打ちがそれどころやなかったんでございますな。その時分のお古いお噂でございます。
伊勢屋番頭 | おはよう! |
---|---|
辰 | おこし! ああ、こら伊勢屋の番頭はん... |
伊勢屋番頭 | ああ、よう起きてたな。いやぁ、辰っつぁん、おまはんのことやさかい、まだ寝てるのとちゃうかいな、と、実は案じながら来たんや |
辰 | へぇ、いつもはな、まだ寝てる時分でんねや。今日はどういうわけか早う目が覚めてしもうて、ま、ええわ、たまには洒落で早起きしたれ、と... |
伊勢屋番頭 | これこれ、洒落で早起きするやつがあるかいな。相変わらずおもろい男やな。まぁ、ええわいな。早起きする、ちゅうことはええこっちゃで。昔の人がええこと言うたる。「早起き三両、宵寝は五両」ちゅうてな、長い年月考えたら、三両や五両のこっちゃないわいな。 まぁ、今日はそんな話しをしに来たんとちゃうねん |
辰 | なんでんねん |
伊勢屋番頭 | いや、実は他でもないんじゃが、ずっと前に、おまはんに、金を二十円貸したことがあったやろ |
辰 | ...あれだっか...いや、気にはしてました。返そう、返そうと思いながら、つまらん所帯してるもんやさかい、思うようにならんで、そんなりになってまして、すんませんでした |
伊勢屋番頭 | いや、わしも偉そうなことは言えん、というのは、金を貸したときに「おまはんの親父さんにはずいぶんと世話になった。いわばその恩返しに貸すのやさかい、いつまでとは言わん。都合がついたときに返してくれたらええがな」と言うた手前、こんなことはまことに言い難いことやが、あの金、返して欲しい |
辰 | いや、そんな言われ方したら、こっちがつらいがな。もろうたんとちゃうねんから。借りたんやから、返さんと...ほんなら、今度の節季までになんとか都合つけて... |
伊勢屋番頭 | いや、今度の節季までてな悠長なことは言うてられんねん |
辰 | あ、そうだっか? 急ぎまんのか。ほんなら、十日ほど待って... |
伊勢屋番頭 | 十日、具合悪い |
辰 | なら、四、五日... |
伊勢屋番頭 | 四、五日、あかんねん |
辰 | 二、三日? |
伊勢屋番頭 | 二、三日、困るねん |
辰 | 明日? |
伊勢屋番頭 | 明日までまたれへん。なんとか今日の晩方までに何とか二十円、段取りして...いや、無理は承知の上や。おまはんとこに無かったら、他から借金してでも工面して欲しいんや...いや、その借金はわしが後でなんとかして返してもええ。とにかく、今日の晩方までに二十円、何とか都合して...ほたら、頼んだで! |
辰 | あ、もし...ちょっと... いてまいよった...たまに早起きしたらろくなことが無い...何が「早起き三両」や......あの借金、忘れてたんや...二十円どころか、逆さに振っても二十銭も出ぇへんで...それも、今日の晩方までやなんて...へっ! あほらしなってきた! もういっぺん、寝直したろかいな! |
金物屋太助 | おはようさん! |
辰 | あ...おこし! あぁ、金物屋の太助はん... |
金物屋太助 | ああ、よう起きてたな。辰っつぁん、おまはんのことやさかい、まだ寝てるのとちゃうかいな、と、実は案じながら来たんや。いやいや、人間、早起きするちゅうのはけっこうなこっちゃな。昔の人はええこと言うたで。「早起き三両、宵寝は五両」... |
辰 | も、もう、それ、あかんねん。古い人の言うたことなんか当てにならん |
金物屋太助 | そんなことあるかいな。昔の人の言うたことに愚かは無いで。ただなぁ、朝早うに起きたらええ、ちゅうもんやないで。お前みたいに、布団の中につくぼって、煙草ばっかり吸うてたんでは身体に悪い。ちょっと外へ出て、朝の空気を吸うとか、なんとかせんとホンマに身体をめいでしまうで...というのは、おまはん、やもめ ?! やさかいや。悪いこと言わん。嫁はん、もらい。悪いこと言えへん。嫁はんや、嫁はん |
辰 | ...おのれ一人、食いかねてるちゅうのに、そんな嫁はんなんか、養うていけまっかいな! |
金物屋太助 | それがいかん。昔から... |
辰 | また「昔」や |
金物屋太助 | まあまあ、聞きぃな。昔から「ひとり口は食えんが、ふたり口は食える」と言う |
辰 | ひとり食えんもんが、ふたりやったら、食えまっか? |
金物屋太助 | まあな。考えてみなはれ。やもめ、ちゅうのは無駄が多いもんや。 おかず拵えすんのがじゃま臭いもんやさかい、飯屋で食うたりするやろ、その分、嫁はんに渡しとってみ、その金で夫婦一日分の食費になる。 家へ帰っても誰もおらんさかいに、酒屋で一杯やって帰るやろ。その外で飲む金で、酒を買うて帰って、嫁はん相手に一杯やってみ、何杯飲めるか。 身に付けるもんかて、そうやで。おまはんら、痛んだらじきにほかしてしまうやろ。洗うたり繕うたりしながら大事に使うたら、長いこともつねん。 朝かてそうやで。おまはんが顔洗うたり、便所行りたしてるうちに嫁はんがサッと寝床片づけて、ご飯の用意までできてる。さっと飯食うたら、あとはすぐに仕事に行ける。 こんなん長い年月考えたらばかにはならんで。悪いことは言わへん。嫁はん、もらい |
辰 | そうでんなぁ...ほたら、どこぞにええ出物でもおますのかいな? |
金物屋太助 | でもの、てなことがあるかいな...まあまあ、わしも、あても無しにこんなことは言わん。わしが世話をしようかと思う女はな、歳は二十二や |
辰 | はぁはぁ、わたいとちょうど、年回りよろしいなぁ |
金物屋太助 | ええやろ。まぁ、えろう別嬪とは言えんが、背がスラァッと... |
辰 | 高い? |
金物屋太助 | スラァッと...低い |
辰 | 低い!? |
金物屋太助 | で、色がクッキリと黒い |
辰 | スラッと低うて、クッキリと黒い? |
金物屋太助 | 鼻はどっちかと言うと内へ遠慮してる方やけど、でぼちんは出てる方やナ。で、両方のほべたがツーンと出てて、あごが尖ってるさかいに、まぁ、こけても鼻は打たんわなぁ 両方の眉毛の長さが違うところに愛敬があるなぁ。目は小さいけど、口はでかいで。 右目の目尻にちょっと引きつれがあるけど、左の口元にあばたがあるさかいに、まぁ、入れあわせはついてるわなぁ。 三味線やとか針仕事やとか、女一通りのことは何をさしても半人前やけど飯は三人前食うで。 で、人との挨拶とか、折り目節目の挨拶とかはあんまりようやらんけど、いらんことは人一倍しゃべりよるでぇ。 仕事は遅いけど、つまみ食いは速いでぇ! .........で...このおなごにひとつ、キズがある |
辰 | まだ、おまんのかいな!? |
金物屋太助 | 腹に子供があって、もう産み月やねんけどなぁ。どうや、このおなご、もらうか? |
辰 | ......せっかくの話しですけど、こらちょっと遠慮さしてもらいますわ |
金物屋太助 | そうか、悪い話しやないと思うねんけどなぁ... |
辰 | いやぁ、ええ話しでもないと思いまっせ... |
金物屋太助 | そうかなぁ...まぁ、これは縁のもんやさかいなぁ。どういうわけかこのおなご、話しがまとまり難いねや。 まぁ、ええわ。どこぞ他をあたるわ。こんなおなごでも、金の二十円もつけたら、もろうてくれる口がどこぞにあるやろ。邪魔したな... |
辰 | ちょ、ちちょっと!!! も、もういっぺん! もういっぺん、お戻り!! そう、気ィ短うせんと、そこはもういかようにでも!!! |
金物屋太助 | 何を言うてんねん、古手屋みたいに、何やねん? |
辰 | そ、そそ、その女、金が二十円、つきまんのん? |
金物屋太助 | まぁ、そんなおなごやさかいな、持参金というほどのことはないが、二十円だけ、段取りさせたぁる |
辰 | はは、もらいまひょ |
金物屋太助 | なんや、手ぇ出しな! ほんまにもらうんかいな? |
辰 | に、二十円、もらいまひょ |
金物屋太助 | いや、ちゃうがな、嫁をもらうんやがな |
辰 | へえへえ、嫁はんつきで、二十円、もらいまひょ |
金物屋太助 | 違うがな、二十円つきで、嫁を... |
辰 | おんなじことやがな! |
金物屋太助 | 手ぇ出しな! ほたら、なにかいな、まじめにもらうと言うねやな |
辰 | も、もらう、もらうもらう... |
金物屋太助 | ほたら、お腹のキズのことも承知やな |
辰 | なんでんねん、キズて |
金物屋太助 | ハラに子供がある...承知やな |
辰 | ハラに子供があったら、キズでっかい? |
金物屋太助 | キズやがな! これから縁談を進めようという娘のハラにややこがあったら、これほど立派なキズはあらへんで |
辰 | そうですかい? わたいはそうは思いまへんで |
金物屋太助 | そうかい? |
辰 | 男のハラに子がいてたらこれはキズでっせ。女のハラに子があるやなんて、こら当たり前でんがな。 考えてもみなはれ。長年連れ添うた夫婦でも、子が無かったら赤の他人の子を養子に迎えて全財産譲る人かてあんねや。そこいくと、うちは半分だけなと本物や。だいいち、向こうからこっちへ連れてくるのにハラに入れてきたら風邪ひかさんでええがな |
金物屋太助 | ほう、こらものは考え様やな。ほな、この話し、進めてええな |
辰 | 進めるてなそんな気楽なこと言うててもろうたら困る。今晩もらおう |
金物屋太助 | いや、ネコの子もらおうちゅうのとちゃうねんで。今晩とはあんまり急な... |
辰 | 何を言うてはんねん。今晩やさかいにもらうちゅうてまんねんで。明日ならもういらんねや |
金物屋太助 | お前の言うこと、おかしいで。仮にも嫁をもらうねんで。お前かて相談するとか許しをもらうとか、そういう... |
辰 | それ、無い...わたい親兄弟てなものひとりも無い。親戚かてちょっとも付き合いおまへんねん。わたいひとりが承知したらそれでよろしいねん |
金物屋太助 | ほう、それは気楽と言えば気楽な話しやなぁ...まぁ、向こうも事情が事情だけに急いではおる。また、わたしもこういう話しを持ってくるからには、出掛けに暦を覗いては来た。今日はまことに日もええ...ほな、まあ、先方に話しをして、得心してくれたら今晩ということにしよか... |
辰 | そうしとくなはれ。何でしたらな、二十円だけ今晩で、嫁はんはまた来年ということに... |
金物屋太助 | そんなわけにはいかんわいな。そうと決まったらお前、花婿やで。汚いなぁ、男やもめにウジがわく、ちゅうけど...家の中は埃まぐれやわ、万年床はグシャグシャやわ、襟垢は溜まったぁるわ...風呂行かへんのか? |
辰 | 風呂はきっちり二遍づつ行てます |
金物屋太助 | ほう、日に二遍も行てんの? |
辰 | 春と秋 |
金物屋太助 | 墓参りやないねんで! そらいかんで。おまはん、ちょっとは風呂行って、男前上げて、多少は掃除もしてやなぁ... それになんぼ貧乏長屋ちゅうても、杯事の真似事なとしたいさかいに、おまはんとこになかったら、家主はんとこいて、杯借りておいで。それから、イワシでもええさかいに、尾と頭のついたもん用意しとき。それだけのことさえやっときゃ、あとはわたしが案配するさかいに。ちゃんとあんじょうやっときや。ええか? |
辰 | へっ、よろしゅうお頼み申します。えろう、ぶぶも差し上げんとすんまへんでした。まぁ、うちへ帰ってゆっくりお上がり |
金物屋太助 | それ、なにを言うねん! あんじょうやっときや! |
辰 | へぃ! へへっ、けったいな日ィやなぁ...起き掛けに忘れてた借金催促されて、どないしょう、て思うてたら、晩方にはその金持ってカカが来る、ちゅうねん...世の中ておもろいもんやなぁ... |
伊勢屋番頭 | 今朝方は...おい、おまはん、まだ寝床でゴロゴロしてんのか!? 頼むさかいに、あちこち走ってぇな。おまはんとこがあかなんだら、わし、またよそへ走らんならんねんさかい! |
辰 | いや、借金...できた。二十円、できた。 |
伊勢屋番頭 | え? 金の段取りができた!? お前は不思議な男やなぁ。寝床でゴロゴロして、煙草吸うてるだけで、二十円の算段ができた? |
辰 | できた...不思議なもんでんなぁ。できんときはなんぼ走りまわってもできしまへん。それができるときは向こうからころこんできよる |
伊勢屋番頭 | 間違いないの? |
辰 | えぇ、間違いおまへん。暗うなった時分に取りに来ておくなはれ。用意できてます |
伊勢屋番頭 | ほんまか...すまん。ほんなら、頼りにしてるさかい! また来るわ! |
ややこしい一日が暮れました。それからこの男、掃除したり、湯へ行ったり、バタバタ、バタバタしておりますと、やがてとっぷりと日が暮れまして、金物屋の太助はん、おなごしはんを連れてやってまいります。
金物屋太助 | はい、こんばんわ。まことにお日柄もよろしゅうて... |
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辰 | ああ、太助はん、二十円! |
金物屋太助 | 待てぇ! まあ、座れ。お前さんも、こっちお入り。いやいや、遠慮せいでもええ。今日からここがあんたのうちになんねやさかい。大きな顔して座ったらええ。杯の準備はできてるか。ああ、こっちへ貸しなはれ。 さて、話しをしてたのがこの人や。この人もおまはんと同じ、身寄りよすがの無い、心細い身の上じゃでな、いたわってやって欲しい。ま、どんな貧乏長屋でも御祝儀や。形だけでもこの杯、とりなはれ。 ま、わしも金物屋の太助と言いやぁこの町内、古いで。祝い事も何遍も世話さしてもろうたが、みな仲よう収まって、いまだに嫌な話しをいっぺんも聞いたためしがない。おまはんも幸せになってもらわんならん。気に入らんことがあったら、なんでもわしに言いや。おまはんも、つらいこと、不満なことがあったら、自分のハラのなかだけできなきなと思ててもしゃあないさかい。こうなったら、どこまでも世話さしてもらうさかいにな。 ほな、これでめでとう杯事もすみました。幾久しくよろしゅうお願い申し上げます。仲人は宵の口、ちゅうことばもあるさかいに、それではわたしはこれで失礼申し上げます。ごきげんさん... |
辰 | ちょ、ちょ、ちょ...これ、これは? |
金物屋太助 | これ? これとは? |
辰 | 肝心のもん |
金物屋太助 | 肝心のもん..とは? |
辰 | 二十円... |
金物屋太助 | ああ、二十円...まあ、ええ |
辰 | ようないがな、あれが肝心! |
金物屋太助 | あれ...忘れた |
辰 | 忘れたらいかんがな! それが肝心やないかいな!! 忘れるんなら、嫁はん忘れなはれ、あんなもん...二十円... |
金物屋太助 | あれ、ちょっと間に合わんでな、明日の朝ということで... |
辰 | 明日の朝て...そんな...今晩や言うから... |
金物屋太助 | 心配しな、わしも金物屋の太助やないかい、金物屋の大きな看板上げてんねん。そんな二十や三十の金で逃げも隠れもせんわいな! |
辰 | そ...そんなぁ...んーっ... |
金物屋太助 | この手ぇで、明日の朝、一番に持ってくるやないかい! |
辰 | そ...せっ...ほ、ほたら、明日の朝、早うにもって来ておくなはれや、早うにでっせ、よろしか!? なんや、騙されたみたいななぁ...二十円、明日や、ちゅうて...あんなんだけ置いて行きやがって... うわぁ...仲人口は信用すなてなことをいうけど...これは、話しに聞いてた通りのおなごやなぁ... あの、なぁ...あんた、そんな隅っこのほうで借りて来たネコみたいに小そうなってんと...もうちょっと真ん中の方へ来なはれ.........将棋でも指しまひょか? ...知らん? そら、知らんわなぁ... .................... .................... ......もう、寝まひょか... |
特にこれといってすることもなく、残った酒を片づけて、枕をならべて寝てしまいます。さて、明くる日の朝...
伊勢屋番頭 | おはようさん! いやぁ、夕べはすまなんだ。いやいや、出かけようと思うてたところへ、急に田舎の取引先が来てなぁ。その人が、わたしが相手せんならんお人でな、いやぁ、料理やらお酒やら何やら忙しいてなぁ、どうしても中座することができんで、今朝になってしもうた。二十円できてるか? |
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辰 | いや、それが...こっちも今朝ちゅうことにになってしもうて... |
伊勢屋番頭 | え? 大丈夫かいな |
辰 | へぇ、それはもう、確かな人が引き受けてくれてますさかい。もうそろそろもって来てくれるはずでんねん |
伊勢屋番頭 | そうかぁ? いやぁ、わたしも番頭さん、とかなんとか言うても、店へ帰れば奉公人や。そうたびたび店を抜け出してくるわけにもいかん...すまんが、ここで待たしてもろうてもええやろか... |
辰 | ええ、そらもう、ゆっくりしとくなはれ... |
伊勢屋番頭 | ......いやぁ、しかし、今度のことは、あんたにほんまに苦労掛けてしもうたなぁ。いやいや、胸、叩いてもろうたおかげで助かった。わしかてこの町内、古いねやで。頼めば二十や三十の金、都合つかんことはないねやけどなぁ...今度の金だけは、ちょっと人には言えんような訳があってな... いや、恥を話さんならんねけどな、もう、だいぶん前のこっちゃけどな、仕事の仲間内の寄り合いがあってな、うちの旦那が出られんちゅうので、わしが名代で出たんや。これが酒の席でな、呑めん酒をぎょうさん呑まされて、悪酔いして、店へ帰ってきて、二階で上げたり下げたりしてたら...うちにおなべちゅう女中がいてたやろ...覚えてないか? ぶさいくなおなごやけどな、顔に似合わず気の優しいとこがあってな、水汲んできてくれたり、背中さすってくれたりしてたんやけどな、だんだんと落ち着いてくるとや、うちの二階に若いおなごと二人きりやないかい...それでつい、ややこしいことになってしもうたんや... それからも一人もん同士やから、店の外でちょいちょいと忍び会うてたんやけど、おなごは受け身やないかい。そのうちにハラがボーンと...こんなこと、檀さんに知れたらえらいこっちゃ。どないしょう! と、金物屋の太助はんにそうだんしたんや。そしたら、太助はんが 「そらもう、早う宿下がりさせ! そらどこぞに押し付けてしまわんならん。そんなおなごでも金の二十円もつけたらどこぞのアホがもらいよるやろう」 ちゅうてたら、そのアホがあったっちゅうねん。こら早いことまとめてしまわんならん、早う金の二十円を用意せぇ、て昨日の昼からヤイヤイと...こんなこと人に言えんがな! ほんまにおまはんには世話になった |
辰 | .........実はわたい、夕べ、カカもらいましてな! |
金物屋太助 | え!? なんでそれを早う言うてくれんねん! そんな最中と知ってたら、こんな話し持って来ぇへんねん! いやぁ、取り込み中のところをほんまにすまなんだ。しかし、それはめでたい... |
辰 | いやぁ、あんまりめでたいことも... 金物屋の太助はんの世話でもろうた... |
金物屋太助 | え? ...いや、しかし、それはまた別... |
辰 | いや、別やないねん...ハラが...ボーン... |
金物屋太助 | え!? ほ、ほたら...おなべ...!? |
辰 | そうでんねん |
金物屋太助 | あ、相手...ちゅうのは...おまはんかい...? |
辰 | そう... |
金物屋太助 | えぇっ!? ほ、ほたら...し、しかし...えぇ!? |
辰 | まあ、しゃあないわな、こんなもん、縁や。要するに、あの人、わたいが引き受けたらよろしいねやろ? |
金物屋太助 | しかし、どうしょう! |
辰 | どうもこうも、もう、夕べ杯事も婚礼もなにも全部すんでしもうたんや。いや、もう気にしな。わたいかて、ハラの子のてて親が誰や分からんよりは、あんたやて分かってたほうが、なんかの時に頼りに... |
金物屋太助 | そ、そんなおかしな言いようしなや! |
辰 | まぁまぁ、気にしなはんな。わたいがあの人引き受けたら、よろしいねやろ? |
金物屋太助 | ほたら、何もかも承知で、収まってくれるか... |
辰 | 収まるもナにも、もうこうなってしもうたもんは... |
金物屋太助 | ほな、重ねがさねやけど、よろしゅうお頼み申しますわ...で、二十円やけど... |
辰 | それ、太助はんがもって来てくれる... |
金物屋太助 | 太助はん、わたしのうちで、わたしが帰んの待ってはんねんで! |
辰 | えぇっ!? そら、いつまで待っててもあかん理屈やで! ほたら、この手ぬぐいを二十円やとして、あんたに渡す |
金物屋太助 | ほたら、それを受取って、太助はんに渡す... |
辰 | それをまた、太助はんがわたいのところへ... ははは、なるほど、金は天下の回りもんやなぁ! |
引用元:「東西落語特選」
http://www.niji.or.jp/home/dingo/rakugo2/
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