熊谷 直之
くまがい なおゆき 生年未詳 – 1595 戦国時代から安土桃山時代にかけての武将、大名。
あはれとも問ふひとならでとふべきか 嵯峨野ふみわけておくの古寺
黒川 隆像
くろかわ たかかた 1512 – 1551 戦国時代の宗像大社79代大宮司。
夢亦是夢 空猶是空 不来不去 端的の中に在り
黒田 孝高
くろだ よしたか 1546 – 1604 戦国時代から江戸時代前期にかけての武将・大名。
おもひおく言の葉なくてつひに行く 道はまよはじなるにまかせて
斎藤 道三
さいとう どうさん 1494 – 1556 戦国時代の武将。美濃の戦国大名。
捨ててだにこの世のほかはなき物を いづくかつひのすみかなりけむ
斎藤 義龍
さいとう よしたつ 1527 – 1561 戦国時代の武将。美濃国の戦国大名。
三十餘歳 守護人天 刹那一句 佛祖不傳
佐久間 盛政
さくま もりまさ 1554 – 1583 戦国時代から安土桃山時代の武将。
世の中をめぐりもはてぬ小車は 火宅のかどをいづるなりけり
佐々 成政
さっさ なりまさ 1539 – 1588 戦国時代から安土桃山時代にかけての武将・大名。
この頃の厄妄想を入れ置きし 鉄鉢袋今破るなり
柴田 勝家
しばた かついえ 1522 – 1583 戦国時代から安土桃山時代にかけての武将・戦国大名。
夏の夜の夢路はかなきあとの名を 雲井にあげよ山ほととぎす
島津 歳久
しまづ としひさ 1537 – 1592 戦国時代の武将。
晴蓑めが玉のありかを人とは々 いざ白雲の末も知られず
島津 義弘
しまづ よしひろ 1535 – 1619 戦国時代から安土桃山時代にかけての薩摩国の武将、大名。
春秋の花も紅葉もとどまらず 人も空しき関路なりけり
清水 宗治
しみず むねはる 1537 – 1582 戦国時代の武将。備中高松城主。
浮き世をば今こそ渡れもののふの 名を高松の苔に残して
少弐 政資
しょうに まさすけ 1441 – 1497 室町時代から戦国時代初期にかけての武将。
花ぞ散る思へば風の科ならず 時至りぬる春の夕暮
善しやただみだせる人のとがにあらじ 時至れると思ひけるかな
陶 晴賢
すえ はるかた 1521 – 1555 戦国時代の武将。大内氏の家臣。
なにを惜しみなにを恨まんもとよりも このありさまの定まれる身に
諏訪 頼重
すわ よりしげ 1516 – 1542 戦国時代の武将。信濃国の戦国大名。
おのづから枯れ果てにけり草の葉の 主あらばこそ又も結ばめ
高橋 鑑種
たかはし あきたね 1530? – 1579 戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。大友氏の家臣。
末の露もとの雫や世の中の おくれさきたつならひなるらん
高橋 紹運
たかはし じょううん1548 – 1586 国時代から安土桃山時代にかけての武将。豊後大友氏の家臣。
流れての末の世遠く埋もれぬ 名をや岩屋の苔の下水
かばねをば岩屋の苔に埋みてぞ 雲ゐの空に名をとゞむべき
武田 勝頼
たけだ かつより 1546 – 1582 戦国時代から安土桃山時代にかけての甲斐国の戦国大名。甲斐武田家第20代当主。
朧なる月もほのかに雲かすみ 晴れてゆくへの西の山の端
武田 信玄
たけだ しんげん 1521 – 1573 戦国時代の武将、甲斐の守護大名・戦国大名。
大ていは地に任せて肌骨好し 紅粉を塗らず自ら風流
コメント