厄払い
おじさん | おい、婆さん、ごらん、あいつぁ、どうして表ェ歩くときに、揉み手をしながらニヤニヤ、ニヤニヤ歩くんだろうねェ、弱ったもんだよ、あぁ。小さい時分からあれだからなぁ。 えぇ?何をニヤニヤ笑ってんだ、こっちィ入れ! |
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与太郎 | へへっ、あははは……こんツわ |
おじさん | こんツわだってやがる…えぇ?「こんちわ」ってんだよ。こっちィ入れ!呼びにやったらすぐ来るんだ |
与太郎 | えぇ?ハハ……なんか用か? |
おじさん | 用があるから呼んだんだよ。お前を呼んだのは他じゃねぇがな、何もしねぇで、ブラブラ、ブラブラ、相変わらず遊んでばかりいるってぇじゃねぇか。そんなことじゃぁしょうがねぇ。今日お前を呼んだのは他のことじゃぁねぇがな、お前、なんか商売やれ。 |
与太郎 | 商売やれったって、おじさんのまえだけど、商売やるにゃぁ元手がいるよな |
おじさん | 生意気なことを言うんじゃないよ。元手のいる商売なんざ、すぐ損しちまうじゃぁねぇか。元手のかからない商売ってぇのをやれ。 |
与太郎 | 元手のかからない商売なんて、おじさん、あるかね? |
おじさん | ああ、厄払いにいくんだよ。今日、大晦日ならこそ、できる商売だ。 |
与太郎 | なんだ、厄払いって |
おじさん | 厄を払ってな、ほうぼうの家から豆とお銭をもらってくるんだ。 |
与太郎 | ああ、そう……豆とお銭をほうぼうの家からもらってくればいいのか? |
おじさん | そうだ |
与太郎 | はぁ……じゃ、行ってくらぁ |
おじさん | お、おい、行ってくらぁったって、ただ表にぼーっと立ってたって駄目だよ、えぇ?厄払いの口上ってのがあるんだぞ。口上、知ってんのか? |
与太郎 | 口上? 知らねぇ |
おじさん | 知らなきゃ駄目だよ。おじさんが教えてやるから、ちゃんと覚えなきゃ駄目だぞ。いいか、な!? 「あ~ら、目出度いな、目出度いな、今晩今宵のご祝儀、目出度きことにて払おうなら、まず一夜明ければ元朝の、門(かど)に松竹、注連飾り(しめかざり)、床に橙鏡餅、蓬莱山に舞い遊ぶ、鶴は千年、亀は万年、東方朔(とうぼうさく)は八千歳、浦島太郎は三千年、三浦の大助百六ツ、この三長年が集まりて、酒盛りをいたす折からに、悪魔外道が飛んで出で、妨げなさんとするところ、この厄払いがかいつかみ、西の海へと思えども、蓬莱山のことなれば、須弥山(しゅみせん)の方へ、さらーりさらーり」 どうだ、覚えたか? |
与太郎 | ……覚えたかって、それ、誰が覚える? |
おじさん | 誰がって、お前に教えてやってるんだ、お前が覚えるんだよ! |
与太郎 | えぇ?あはは……いつまで? |
おじさん | いつまでって、今、覚えて、今、出かけるんだよ |
与太郎 | 今……ったって、今聞いたばっかりなのに、今ァ覚えられないよ……じゃぁ、来年の今日まで…… |
おじさん | そうはいかないよ、1年も前からこんなことを考えて教えこむ野郎はありゃしねぇよ。よしよし、お前に急にこんなことを言ったって覚えられるわけがねぇってぇことを気が付かなかったってぇのは、おれの方が悪かった。そこに当たり箱があるから、当たり箱……当たり箱ってぇのは硯箱だよ。硯箱をこっちィもってこい。書いてやるから。……おいおい、硯箱って言ったら、そうやってただ箱を持って来てぼーっと立ってちゃあ駄目だよ。硯箱ってことは、墨をするんだよ。墨はお前がするんだよ。「硯箱を持って来い」と言われたら、持ってきてすぐ墨をすり始めるくらい、頭を働かせなよ、頭を……まったく、いちいちなんか言わなきゃわかんないんだからねぇ、お前、いったい幾つになるんだよ?えぇ?しっかりしろ、お袋に心配ばかりかけやがって。いいかい、お前、男なんだから、しっかりしなきゃだめだぞ。お袋が稼いできた金をお前が食いつぶしてちゃ、しょうがねぇんだ。な?覚えろよ、ちゃんと書いてやるから。たまには稼いで、お袋に小遣いでもやろうという了見にならねぇかなぁ。二十三だろ、お前……二十三にもなりゃぁ、一人前だよ。……えぇ?二十三じゃありません?二十五です?なお悪いよ! さ、みな仮名で書いた。 |
与太郎 | 仮名か……へへっ、仮名ならわけねぇ |
おじさん | 偉そうなことを言うんじゃないよ、仮名じゃなきゃ読めねえと思うから、仮名で書いたんだ。 |
与太郎 | あのーおじさんさぁ、豆とお銭をもらってくるって言ったけど、お銭はいくらくらいくれる? |
おじさん | そんなにくれやしねぇよ。こういうものは数で稼ぐんだ。たいがい一銭か二銭だな。お前がむこうで目出度いことを言うってぇと、向こうでご祝儀ってぇものをくれるよ。いいか、もらったご祝儀、もらったお銭も、なんでもかんでも、もらったものは、それはお前のもんじゃないんだぞ。お袋にやるんだ。お前の分はお前の分で、そっから分けてもらうように、お袋におれから話しといてやるから。豆くれるけどな、豆はたべちゃっちゃだめだよ。豆は豆で、また別に売るところがあるんだ。 |
与太郎 | 豆は豆で、また別に売るところがあるって、ムダがないね、おじさん……あっ、豆売るところ知ってらぁ! |
おじさん | へぇ、エラいねぇ、お前。どこへ売るんだ? |
与太郎 | えぇー、豆腐屋に売る |
おじさん | 馬鹿だね、お前は。くれるのは焙った豆だよ。焙った豆が豆腐になるわけないだろ? |
与太郎 | へへっ、焼き豆腐になる |
おじさん | ……おぃ、ばあさん、お前さん、そこで感心して聞いてちゃだめだよ!感心してやがる、馬鹿だね、お前さんは、どうも…あのねぇ、豆菓子とか、そういう駄菓子の問屋に売るの。いや、今すぐじゃない、こういうのは今すぐ行ったってしょうがないんだよ。もう少し薄暗くなって、暮れかかってから出かけるんだ。いいかい、しっかりやれよ! |
与太郎 | あぁ、じゃぁおじさん、行ってくらぁ…さいなら~ |
ってんで、うちへ帰って稽古すればいいんですが、根がこういうやつですから、稽古なんてまるっきりしやしない。コロッと横になるってぇと、そのまますっかり寝込んじゃった。
与太郎 | ……あぁ?……なんだ、こりゃ……おじさん、少し薄暗くなってから出かけろって言ったけど、とっぷり暗くなっちゃった……ちょっと手遅れンなっちゃったなぁ……ど、ど、どうすりゃいいのかなぁ、これぁ……どっかの家ェ行って聞けばいいのかなぁ…… こんちわ…こんちわ…… |
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甲・男 | ……おぅ……なんだい? |
与太郎 | ……あのー……厄…払い……ですけど…… |
甲・男 | 気味の悪いやろうだねぇ、こいつは……そんな厄払いがあるかよ、そんな、地べたの底から湧いてでたような!えぇ?向こう行け!からかってっと、ひっぱたくぞ! |
与太郎 | ……どうすりゃいいのかなぁ……こんばんわ、こんばんわ |
乙・女 | はーい、どなた? |
与太郎 | あのー、厄払いですけど……いかがでしょうか |
乙・女 | 何を言ってんの、今ごろ。もう払いましたよ! |
与太郎 | あ、そう……あの、払っただろ…けど、見切りモンですから…もう、お安くしときますから…もういっぺん… |
乙・女 | なに言ってんの!そんなもの、二度も三度も払うやつあるかい! ちょいと!表に変なのがウロウロしてるよ!下駄持っていかれないかい!? |
与太郎 | 下駄泥棒と間違えられちゃった…… |
厄払い | へい、御厄払いましょ、厄払い、お年越しのご祝儀に、御厄払いましょ、厄払い…… |
与太郎 | ……本職だ……上手いねぇ……「御厄払いましょ、厄払い」だってやがらぁ……ああいう風にやるのかぁ……へぇ、なかなかああは行かないなぁ、ハハ。なんか面白れぇなぁ。後にくっついて行ってやろうかなぁ、ヘヘッ……や~ぃ!厄払いーっ! |
厄払い | へいへい、お呼びになりましたか!? |
与太郎 | へへっ、あたいも厄払うんだよ |
厄払い | じゃあ、マナカじゃねぇか |
与太郎 | 真ん中危ないから、端通ってきた |
厄払い | 何を言ってんだよ、仲間だろって言ってんだよ……よせよ、そばへ来ンなよ! |
与太郎 | へへっ、そんなこと言わないで、一緒に行きましょ |
厄払い | なんだよ、気味の悪い野郎だなぁ、こいつぁ……一緒に行ったって、しょうがねぇじゃねぇか!えぇ?みんな、こんなものはひとりでやってんだよ、向こう行け、向こう行け! |
与太郎 | へへへ、そんなことないよ、一緒に行くと、いろいろと重宝するよ。 |
厄払い | お前が一緒に行くと、どう重宝するんだよ? |
与太郎 | お前が厄を払うだろ、すると、あたいが豆とお銭をもらっちゃう |
厄払い | ずうずうしいことを言うんじゃないよ!向こう行け! へぇ、御厄払いましょ、厄払い、お年越しのご祝儀に、御厄払いましょ、厄払い…… |
与太郎 | 厄払いーーーっ |
厄払い | へーぃ、って、またおめぇかよ!よせよ、お前が呼ぶってぇと、つい釣られて返事しちまうじゃねぇか!向こう行ってろ、気味の悪い!なんだよ、ニヤニヤ、ニヤニヤしながら揉み手してくっついて来やがって、気味の悪い野郎だよ |
与太郎 | なんだよ、駈け出していっちまった……なにも逃げるこたぁねぇやなぁ……取って喰おうってんじゃねぇんだから。へぇ、ああいう風にやればいいのか。でも、なかなか年季が入ってるからね。「御厄払いましょ」ったって、ああいう風には行かないよ、ね。でも、黙っててもしょうがねぇからな、何か言わなきゃしょうがねぇや。厄払いだから、「厄払い」て言やぁいいだろう。 ……えー、厄払いィ、えー、厄払いィ、えー、厄払いィですよ……えー、クズ払い……なんだよ、あんまり変わらねぇなぁ。 あ、そうだ、おじさん、めでたくやらなきゃって言ってたからなぁ、めでたくやろう。めでたくやりゃぁ、向こうだって喜ぶ。 えー、おめでたい厄払い……えー、厄払いのめでたいの……えー、おめでたい厄払い……えー、厄払いのめでたいの……おめでたい厄払い、はーめでたいなー…厄払いーはーめでたいな |
丙・男 | ……なんだい、ありゃぁ、表をグジュグジュ、グジュグジュ言いながら通るのがあるよ。えぇ?「厄払い、厄払い」って言ってねぇか?言ってました?あぁ、ちょうどいい、手遅れになるところだった。いやいや、おれか呼ぶからいいよ。 おいおーい、厄払い屋! |
与太郎 | えぇ?……なんだ? |
丙・男 | え?……変わった調子だねぇ、こいつぁ……いや、まだ払ってないんだよ、払っとくれ |
与太郎 | あぁ、今、払ってやるよ |
丙・男 | なんだよ、払ってやるってのは。「やるよ」って言いぐさがあるか。こっちへ入りなよ。 |
与太郎 | へへぇ……は、払います……へへぇ、払います、けども、フフッ、払う前に……豆とお銭をちょうだい。 |
丙・男 | 様子が変わってるよ。はじめに催促するのかい……いいよ、いいよ。様子が変わってる方が、年忘れになっていいんだ。あぁ、年忘れだからな。おい、豆、勘定してあるか?じゃ、紙へくるんで。それからお銭。そうだな、一銭か二銭……なに、五厘(=1/2銭)銭がありました?なんでもいいや、くるんでこっちへ持ってきな。はいよ、はいよ。さ、これをお前にやろう。 |
与太郎 | あ、すいません……あの、ね……ここんとこ、ちょっとフラフラ、フラフラしてた……そしたらね、おじさんに怒られちゃった。お袋を働かせちゃ、しょうがねぇ!ってね。ふっ |
丙・男 | ……おい、お前、なにやってんだ…おい、厄払い屋、その、もらったそばからガサガサ、ガサガサ、開けて中覗きこむんじゃないよ! |
与太郎 | いいじゃねぇか。もらったらこっちのモンなんだから、いちいち文句いわねぇでもらいたい……あれ、なんだ、こりゃぁ……ねぇ、なに、これ!一銭か二銭って……なんだよ、これ、一銭五厘だよ、細けーなぁ。こんな大きな屋台骨背負ってても、やっぱり懐は苦しいのか? |
丙・男 | おい、変なこと言ってちゃだめだよ、早くやんなよ! |
与太郎 | やるよ、やりますよ。やるけどね、ちょっと豆、食べよ……ポリッ、ポリッ……これは駄菓子の問屋にやるんだけど、ポリッ……ちょっと……ポリッ、味見……へへっ……ポリッ、いい商売だねぇ……厄を払わないうちから、豆が食べられるんだからねぇ……あれっ?…もしもし、ところどころ、生ンところがありますよ!よくちゃんと焙ってから出せ! |
丙・男 | だめだよ、そこで食べてちゃ。早くやんな |
与太郎 | へい、やります……やりますけどね、もうちょっと食べよう……ポリッ……夜の豆は、見逃すな……ポリポリッ…クチャクチャ……すいません、お茶と楊枝ください。 |
丙・男 | 用の多いやつだねぇ、いやいや、いいんだよ。年忘れ、年忘れ。様子が変わってる方が面白い。お茶をこっちへ……はいはい。ほら、これ、お前にやるから、飲みな。 |
与太郎 | あ、どうも、すいません……ゴクゴク……クチャクチャ……フウ…………ごちそうさまでした……………さようなら |
丙・男 | おいおいおい!厄はどうしたんだよ、厄は!! |
与太郎 | あぁ、厄、忘れちゃった |
丙・男 | 忘れちゃ駄目だよ。早くやんな |
与太郎 | へぇ、やります……やりますけど、そこの障子、ぴったり閉めてください……ぴったり閉めてくださいよ、ぴったり。覗くと駄目ですよ、覗くと。覗くと、目の玉に指突っ込む |
丙・男 | そんな危ないことしちゃ駄目だよ!大丈夫かい? |
与太郎 | 大丈夫です……こんなところに…うまい具合に小さい灯りがひとつ点いてる……暗いな、こらぁ……あらめ……あらめ、うでたいなぁ……あらめ、うでたい?あらめはやっぱり茹でるのがいいのかなぁ、ちょっと聞いてみようかなぁ。 あの、少々伺います。 |
丙・男 | なんだい? |
与太郎 | あらめは、やっぱり茹でますか? |
丙・男 | ……お前、さっきからナニ言ってんだ、そこで!?あらめなんかどうだっていいだろ!厄払いなんだろ!? |
与太郎 | えぇ、そうですけど……あ、違った……「あら」でいっぺん切るんだ。あら……あら……あら……めでたくなくなく |
丙・男 | おい!めでたい方で頼むよ、うちは! |
与太郎 | あ、だんだんめでたくなります……あ、また間違えちゃった。めでたいな、めでたいな、だ。「く」の字の大きいのがいっぱい重なって書いてある……めでたいな、めでたいな、と、ね。こんはんこよいのこしやうきに……めーでーたーきーこーとーにーてー……はーらーいーまーしーやーう |
丙・男 | なんか読んでんじゃないか? |
与太郎 | 駄目だよ、覗いちゃ! |
丙・男 | 覗いちゃいないが、大丈夫かい? |
与太郎 | だ、大丈夫ですよ。駄目ですよ、覗くと!……ほらみろ……どこまで行ったか、わからなくなっちゃった……まずいちやあければ、がんちやうで……かとにまつたけ・しめかざり……そこにだいだい・かがみもち……蓬莱山に舞い遊ぶ……ほら、だんだん上手くなって来ちゃった……鶴は十年 |
丙・男 | おいおいおい!情けないことを言わないでおくれよ!何だよ、その「鶴は十年」ってのは!!鶴は全部千年じゃないのか!? |
与太郎 | でも、ひよっこですよ |
丙・男 | ひよっこでも千年だよ |
与太郎 | あ、千年です……千年、千年……間違えちゃった。「千」っていう字の上の「ノ」がどっか行っちゃった……鶴は千年か……めは……鶴は千年か……目は……目はトラホームじゃないな……あ、鶴は千年、かめは…亀は……亀は!……亀は!?………さぁ、エラいことになっちゃったよ……おじさん、仮名だ仮名だっていうから、安心してたら、こんなところに急に難しい字が出てきちゃったじゃないか。中に難しい字が混ざってるなら混ざってるって、そう言ってくれればいいのに!いきなり……あぁ、良かった……へへっ、表の酒屋の暖簾の字がおんなじだ……助かったね、どうも。あのー、少々伺います |
甲・男 | はいはい、どなたですか? |
与太郎 | えー、厄払いです |
甲・男 | まだいるよ、あいつぁ!まだグスグスしてたよ!とっくにいなくなったと思ったがなぁ。えぇ?なんだい? |
与太郎 | あのー、表の酒屋の暖簾の字はなんてぇいうんですか? |
甲・男 | うるさいねぇ、いちいち!あれは萬屋(よろずや) って言うんだよ! |
与太郎 | えー、亀はよろず年 |
丙・男 | よろず年ってのがあるか、おい!? |
与太郎 | とうぼう……とうぼう……とうぼう?……あ……真っ暗になっちゃった。灯りが消えちゃったよ……へへっ、このスキに……逃げちゃお…… |
丙・男 | 表ェずいぶん静かンなったな。えぇ?ちょっと覗いてみろ |
丁稚 | へーい……あっ、旦那、厄払いがいません!あっ、向こうに、厄払いが逃げていきます!! |
丙・男 | なに、厄払いが逃げてく! ハッハッハッハ、それで今、逃亡と言ってた。 |
引用元:「東西落語特選」
http://www.niji.or.jp/home/dingo/rakugo2/
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