長屋の花見
「春は花」なんてことを申します。「銭湯で上野の花の噂かな」なんてぇことを申しますが、花見時分になってまいりますと、もうどこへ参りましても花の噂でもちきりになってまいります。
「花見に行ったってな。どこ行って来たんだ?」
「飛鳥山(東京都北区)」
「どうだった?」
「まったくおでれぇたなぁ。いってぇどこからあんなに人が来るかと思うようだったぜ、そりゃもう大変な人だったぜ。いやぁ、面白かったぜ。おばあさんは踊りだす、若い娘は唄うしねぇ」
「はは、面白そうだなぁ」
「行くか? 行くんなら、おれの名刺やるぞ」
「おめぇの名刺もらって、どうするんでぇ」
「おれの名刺持ってきゃ、どこの花見だってタダだ」
「何を言ってやがる、花見はどこだってタダでぇ。ところで花はどんな具合だった?」
「...花? ...さぁ、...咲いてたかなぁ...」
どうだい、一つ花を見に行こうじゃねぇか、と云われて、何の花だ、なんて野暮なことを云うやつぁおりませんで、花見と言えば桜に限られているようですな。
同じ花でも梅の方はこりゃまた風流気がございます。霜柱を踏み分けて梅を見ようなんてのは、句のひとつも捻ろうってお人ですが、桜の方はもう老若男女を問いませんな。食べて、呑んで、陽気に騒ごうというのが桜でございますな。
花見時分になってまいりますと、人の心持ちもウキウキして参りまして...
1 | さあ、これでみんな揃ったかい? えぇ? |
---|---|
金 | 揃ったようだけど、なんだい? |
1 | いゃぁ、実は、みんなを呼んだのは他でもねぇが、大家がね、月番のおれを呼んで、みんな顔を揃えてきてくれ、と、こうだ |
金 | ふーん、何のようだろうねぇ |
1 | なんだか分からねぇが、おれのかんげぇじゃぁ、ひょっとしたらちんたなの催促じゃぁねぇか、と思うんだ |
金 | いゃぁ、「たなちん」を逆さに云っただけだ |
金 | たなちん? 大家が店賃をどうしようてぇんだ? |
月番 | どうしようったって、決まってらぁな、みんなから店賃を取ろうってぇんだ |
金 | 店賃を? 大家が? そりゃぁ、図々しい話しだ |
月番 | 図々しいってぇことたぁねぇ。しかし、なんだなぁ、大家が催促をするてぇからにゃぁ、みんな相当に溜めてんじゃぁねぇかと思うんだが、どうだい? 留さんちなんか |
留 | いやぁ、面目ねぇ |
月番 | 面目ねぇ、なんてぇとこを見ると、あんまりもってってねぇな |
留 | いや、それがね、ひとつやってあるだけに、面目ねぇ |
月番 | そんなら何も面目ねぇなんてぇこたぁねぇ。店賃なんてモノは毎月ひとつ持ってきゃぁそれでいいもんだ |
留 | おめぇ、そりゃぁ、毎月ひとつ持ってってりゃぁ、誰も面目ながりゃぁしねぇやな |
月番 | まぁ、そう云やぁそうだ。じゃぁ、半年前にひとつくれぇか? |
留 | 半年前ならおお威張りだ |
月番 | 一年前か? |
留 | 一年前なら面目なくねぇや |
月番 | 三年くれぇか? |
留 | 三年前なら大家の方から礼にくらぁ |
月番 | 来やしないよ。じゃぁ、おめぇはいってぇ、いつ持ってったんだい? |
留 | まぁ、月日の経つのは早ぇって云うが...あれはおれがこの長屋に越して来た月のこったから、指折り数えて十八年くれぇにゃぁなるかな? |
月番 | 十八年? 仇討ちじゃぁないんだよ! ...金ちゃんちはどうなってる? |
金 | なにが? |
月番 | いや、店賃は? |
金 | あれ、店賃...そいつぁ、どうだっていいや |
月番 | どうだって、って...いや、店賃を払ってるかどうか、聞いてんだけどね |
金 | だから、おめぇの気の済むように、どっちでもいいようにしといてくれってぇんだよ。月番に任せるから |
月番 | そんなもん、任されて堪るかよ! ...辰っちゃんは? お前さんとこはどうだい? |
辰 | まことに、すまねぇ |
月番 | いや、謝られてもしょうがねぇけど、店賃、どうなってる? |
辰 | その、店賃、ってぇのは、何だ? |
月番 | おいおい、店賃、知らねぇやつがいたよ! しょうがねぇなぁ...寅さんとこはどうだい? |
寅 | 何が? |
月番 | 何が、じゃないよ。店賃だよ |
寅 | 店賃だぁ? そんなもん、未だにもらったことがねぇぞ! |
月番 | あれ、この野郎、店賃、もらう気でいやがる。図々しいにもほどがあらぁ...店賃てぇものは、おめえが大家に持ってく金じゃぁねぇか |
寅 | おれから? へぇ、そいつぁ、初耳だ |
月番 | 無茶云うねぇ...六さんは? おめぇさん、なかなかきちんとしたとこがあるから、店賃は持ってってるだろう? |
六 | いや、そう云われるてぇと恥ずかしいが...確かに持ってってる |
月番 | えらい! これだよ、感心だ。いつ持ってった? |
六 | そうだなぁ...おれが、おふくろの背中におぶさって... |
月番 | ...あきれたねぇ...そりゃぁ何十年前の話しだ? 古過ぎらぁ... 亀さんは? |
亀 | 店賃については、涙ぐましい物語が...まずは、ひととおり聞いておくんなさせぇ... |
月番 | 芝居がかってきたねぇ...まぁ、語ってみな |
亀 | じつは、五年以前に亡くなった親父の遺言でなぁ...臨終の枕元におれを呼んで、苦しい息の下でこう云ったんだ。『これ、せがれや...おれも長ぇあいだ、この長屋に住んでいたが、いまだに店賃てぇものを払ったことがねぇ。どうぞお前の代になっても、店賃を払うような、そんなだいそれた了見だけは起こしてくれるなよ...』と、涙ながらにおれの手を握った...まもなく、息は絶えにけり...南無阿弥陀仏... |
月番 | いい加減にしろい! どこの世界にそんな遺言する親父がいるんでぇ! 武さんとこは? |
竹 | 店賃についちゃぁ、涙ぐましい物語が...まずはひととおり... |
月番 | もういいよ! どうせ親父の遺言だてぇんだろ! |
竹 | あたり! |
月番 | なに云ってやがんでぇ! どうしようもねぇな... 勝つぁん、お宅は? |
勝 | 実は店賃についちゃぁ、浮世の義理はつら~いてぇ話しがござんしてねぇ...まずはひととおり... |
月番 | まただよ...浮世の義理かのこぎりか知らねぇが、手っ取り早くたのむよ! |
勝 | 右隣のうちの話しじゃぁ、払ったのは十八年前、左隣のうちの話しじゃぁ、店賃を知らない。向こう三軒両どなり、ご近所一帯が店賃を出してねぇってぇのに、うち一軒が払っては、近所付き合いの手前、面目が立たねぇ。店賃は払いてぇ。払いてぇ気持ちはやまやまだけど、それは自分の胸にグッと堪えて、浮世の義理との板挟み、まことに辛い... |
月番 | なにを下らねぇことを云ってやがんでぇ!...こりゃぁどうにもしょうがねぇなぁ。こうして聞いてみるとだれ一人払ってねぇってぇわけだ。こいつぁ、ことによると店立て ?! 食わせられるかも知れねぇぜ。まぁ、そうなったらそうなったときのことだ。とにかく行ってみようじゃぁねぇか。 いいか、おめぇら、なるべく頭を低くしてろよ。だってそうじゃぁねぇか、そうしときゃぁ、大家が小言を言ったって、小言がスーッと頭の上を通り越しちまうから...さぁ、大家のうちだ... あ、いるいる...小難しいツラしやがって、新聞なんぞ読んでるぜ...あの顔つきからして、いよいよ店立てだな、こりゃぁ... |
六 | おいおい、脅かすなよ |
月番 | じゃぁ、入るからな...頭、下げてろよ... えぇ、大家さん、おはようございます。えぇ、お言葉どおり、長屋の連中、雁首揃えてやって参りました。なんかご用でございましょうか? |
大家 | なんだ、そんな戸袋ンところへかたまって...いいから、みんなこっちィ入ンな |
月番 | いいえ、ここで結構です。すいませんが、店賃のことでしたら、もう少し待っていただきてぇんですが... |
大家 | 店賃? あぁ、そうか...おれが呼びにやったてんで、店賃のことだと思ったのか? そんなら心配するな。今日は店賃のことで呼んだんじゃぁねぇんだ |
月番 | あ、じゃぁ、店賃はもう諦めましたか |
大家 | いゃ、諦めちゃぁいねぇ |
寅 | おぉ、こりゃぁ執念深けぇじゃぁねぇか |
大家 | 執念深いてぇことがあるか。ま、店賃はいずれ入れてもらわなきゃならねぇが、今日はそんなことで呼んだんじゃぁねぇ。まぁ、いいからこっちへ来な |
金 | へぃ、どうもおはようごさいます |
辰 | おはようござんす |
寅 | おはようございます |
六 | おはようす |
亀 | おはようさんです |
竹 | おはようございます |
大家 | もういいよ、そうみなでおはよう、おはようと云わなくても、ひとり云えば分かるから |
月番 | じゃぁ、あっしが月番ですから、みなに成り代りまして、えぇ、おはようございます |
大家 | ああ、おはよう。そうだ。お前さんが月番だから、これもまとめて云うけど、おれだってあんな小汚ねぇ長屋貸しとくんだから、店賃はそう気にしちゃあいねぇからな |
月番 | ええ、そりゃぁ、あっしたちだって、あんな薄汚ねぇ長屋借りてるんですから、店賃なんてぜんぜん気にしちゃあいませんから、大家さんもどうかご安心なすって |
大家 | だれが安心なんぞするもんか。まあ、みんな楽じゃぁねぇだろうが、ぼつぼつ少しずつでも入れてくんなくちゃぁいけねぇ。だけど、楽じゃぁねぇと云えば、世間でうちの長屋のことをことを「貧乏長屋」なんて云ってるそうだな |
月番 | え? えぇ、貧乏長屋の戸無し長屋って云えば、もう、音に響いておりやす |
大家 | なんだ、その戸無し長屋てぇのは? |
月番 | 長屋中全部、戸がねぇんで |
大家 | そんなはずはねぇ。仮にも人が住まううちに戸がねぇなんてぇことがあるか |
月番 | えぇ、まぁ、はじめのうちは確かに戸があったように思います。けどねぇ、なにしろ湯を沸かすったって、飯を炊くったって、燃すものがなきゃあできねぇでしょ。だから、しょうがねぇんで、雨戸をだんだん燃しちまったんで... |
大家 | おいおい、いけねぇな、それは。戸締まりがしてなくっちゃぁ不用心でしかたあるめぇ。泥棒でもへぇったらどうするつもりだ? |
月番 | 泥棒? おぅ、うちの長屋に泥棒なんぞ入らねぇよなぁ!? |
勝 | そうそう、入らねぇよ。出たこたァあるけど |
大家 | おいおい、そんな人聞きの悪いことを云うな...まぁ、話しは違うが、「銭湯で上野の花のうわさかな」なんてぇことを云うだろ。いい陽気になってきたなぁ |
月番 | ええ、まったくいい陽気ですねぇ |
大家 | おもてをぞろぞろと人が通るじゃぁねぇか |
月番 | へぇ、どこへ行くんですかねぇ |
大家 | 決まってるじゃぁねぇか。花見に行くんだ |
月番 | へぇ、結構な身分ですねぇ。あっしたちだっておんなじ人間なんですから、あんな身分になってみてぇもですねぇ |
大家 | それなんだ。みんなを呼んだ用てぇのは... |
月番 | へぇ? |
大家 | うちの長屋を貧乏長屋なんて云われんのは癪に障ってしょうがねぇ。どうだい、ひとつ陽気に花見にでも出かけて、貧乏神を追っ払っちまおうと思うんだが、どうだい? なまじっか、女っけのねぇほうがいい。野郎だけで繰り出そうと思うんだが、どうだい? |
月番 | へぇ...花見ねぇ...で、どこへ行こうてぇんです? |
大家 | 上野の花が満開だそうだ。近間でいいから、どうだい? |
月番 | 上野ですか...するてぇと、長屋の連中がぞろぞろ出かけて、花ァ見て、ぐるっと一回りして帰ってこようってぇわけですか? |
大家 | そんなぐるっと歩くだけの花見なんてぇ間抜けな花見があるか。酒、肴をもってって、わーっと騒がなくっちゃあ、行った甲斐てぇものがねぇじゃぁねぇか |
月番 | 酒、肴ですかぃ? どこにそんなものがあるんですかぃ? どっかでかっぱらって来ますか? |
大家 | おい、そんなことを云ってちゃぁだめだ。そっちの方はおれが用意したから安心しな。おめぇらは身体だけもってってくれりゃぁいい |
月番 | へぇ! 大家さんが酒、肴を心配してくれたんですか!? |
大家 | ああ、ここに一升瓶が三本あらぁ。それにこの重箱の中にゃぁかまぼこと卵焼きがへぇってる。酒肴ったってこれだけなんだが、どうだい? みんなで出かけるか? |
月番 | え? 一升瓶が三本に? かまぼこと卵焼き? それだけみんな大家さんのおごりですかい!? |
大家 | どうだい? 上野の山、行くかい? |
月番 | 行きますよ。行きますとも...それだけ用意ができてりゃぁ、上野はおろか、アラスカへでも行っちまいます |
大家 | ペンギンと花見しようてぇんじゃぁねぇ。上野でいいんだよ。じゃ、みんな行くかい? そうかい。そうと決まれば善は急げだ。さっそく繰り出そうじゃぁねぇか。それじゃぁ、今月の月番、おめぇさん、今日はひとつ幹事を務めておくれ |
月番 | えぇ、あっしですか? 幹事...幹事てぇことになりますてぇと、お毒味役てぇことで、ひとより余計に飲み食いもしなきゃぁなりませんねぇ |
金 | おぃおぃ、幹事になるとそんな役得があるのかい? じゃぁ、大家さん、あっしゃぁ来月の月番ですから、あっしも幹事に立候補しやす |
大家 | あぁ、じゃぁ、おめぇさんも幹事におなり |
月番 | じゃぁ、これで出かけましょう。さぁ、みんな、これから大家さんにごちンなろうてぇんじゃぁねぇか。よーっく、お礼を申し上げろ |
辰 | どうもありがとうござんす |
寅 | ごちそうさまです |
六 | 哀れな親子が助かります |
大家 | おぃおぃ、物乞いじゃぁねぇんだぞ...そんなにみんなに礼を云われるてぇとちょぃと決まりが悪りぃなぁ...まぁ、後の喧嘩、先にしとかなきゃならねぇてぇから、ちょぃと種明かしをするとだなぁ... |
月番 | 種明かし? |
大家 | あぁ、実はこの一升瓶の中身は本物じゃぁねぇんだ |
月番 | えっ!? |
大家 | 番茶を煮出して水で割って薄めたんだ。どうだ。酒に見えるだろう? |
月番 | え...あ、あの、これ...番茶ですか? それじゃぁ酒盛りじゃぁなくて、お茶かもりですか? |
大家 | まぁ、そういったところだ |
月番 | でも、大家さん、かまぼこと卵焼きは本物なんでしょう? |
大家 | おいおい、馬鹿を云っちゃぁいけねぇ。それに本物を買うくらいなら、五合でも酒を買うじゃぁねぇか |
月番 | ...すると、こっちぁ、なんです? |
大家 | まぁ、論より証拠だ。ふたを取って、自分で見てみな |
月番 | そうですかィ...ふたをとって...ああ...大根のこうこと沢庵だ... |
大家 | そうだ。沢庵は黄色いから卵焼きだな。大根のこうこは月形に切ってあるだろ。これで誰が見たってかまぼこだな |
月番 | そりゃぁ、見た目にゃ、ね...しっかし、こりぁゃおでれぇたなぁ...がぶがぶのぼりぼりだとさ... |
大家 | まぁ、いいじゃぁねぇか。向こうへ行って、「かまぼこがオツだぜ」とかなんとか云いながら、なるべく歯に当てねぇように食べて、小さいもので呑んでりゃぁ、かまぼこで酒呑んでるようにみえるじゃぁねぇか |
月番 | そりゃぁ見えるでしょうよ。見えますけどね、やってる当人としちゃぁねぇ...どうだい? みんな、これでも出かけるかい? |
竹 | がぶがぶのぼりぼりィ? 御免こうむろうじゃぁねぇか、なぁ、みんな! |
勝 | そうだよ、おれぁこの頃胃のぐえぇがよくねぇんだ。たくあんなんぞ齧りながら番茶がぶ飲みなんぞした日にゃぁおっちんじまわぁ! |
大家 | ほう、そうかい。おめぇさんたち、そういう了見かい? そうかい。分かったよ。それなら、明日にでも溜まってる店賃、耳を揃えて... |
勝 | お、大家さん、そんな脅かしっこ無しですよ... |
月番 | なぁ、みんな、大家さんがせっかく用意してくれたんだから、その気持ちにすまねぇから、行こうじゃぁねぇか...忍びがたきも忍んでさ... |
金 | ま、向こうへ行けばみんな浮かれてるしよぉ |
月番 | うんうん |
金 | がま口のひとつや二つは... |
月番 | そうそう、落っこちてねぇとも限らねぇ... |
金 | おう、それを頼りに、ひとつ心丈夫に... |
月番 | 出かけようじゃぁねぇか... |
大家 | おい、変なことを云うもんじゃぁねぇ。ともかく、みんな出かけるんだね |
月番 | へぃ、出かけますとも。えぇ、こっちゃぁ焼けクソですから |
大家 | 焼けクソで花見ィ行くヤツがあるかい。おいおい、それじゃぁ幹事、さっそく働いてもらうよ |
金 | えっ!? あっしも幹事ですか? |
大家 | おめえさんが立候補したんじゃぁないか |
金 | あぁ、えれぇ時に幹事になっちゃったなぁ... へぃ、大家さん、なんでござんしょう? |
大家 | 後ろの毛氈を持ってきておくれ |
金 | 毛氈? 毛氈なんかありませんが...大家さん、むしろしか... |
大家 | おれが毛氈だって云ったら、毛氈だと思ゃあいいんだよ |
金 | へい...なんてぇ横暴な話しだ? へぃ、持って来やした。むしろの毛氈! |
大家 | 余計なことを云うもんじゃぁねぇ。いいか、それを向こうへ行ったら下へ敷くんだ...えぇと、そうだな。その重箱を包んだ風呂敷きをくるんで、縄を掛けて...そうそう。そこの竹の棒を通して...よし、これで担げるだろう。今月と来月の月番。おめえら、幹事二人でそれを担いで来な |
月番 | これを担ぐんですか? へぇ、むしろの包みを担いでねぇ...こいつぁ、花見行こうってぇ格好じゃぁねぇや...ネコの死んだのを捨てに行くようだ... |
大家 | 変なことを云うんじゃぁないよ...さぁ、一升瓶は手の空いたもンが持って...湯飲み茶碗も忘れるんじゃぁないよ。さぁ、したくはいいかい? ではでかけよう。月番、出かけとくれ |
月番 | へぃ、じゃぁ担ぐよ、上げるよ...よっ、と...じゃぁ大家さん、出かけます。ご親類のかた、揃いましたか? |
大家 | おいおい、なにを云ってんだ。弔いの行列じゃぁねぇ。さぁ、ひとつ陽気に出かけよう。そら、花見だ、花見だ! |
留 | ほれ、夜逃げだ、夜逃げだ |
大家 | 誰だ? おかしなこと云ってんのは |
金 | なぁ、どうもこう担いだ格好てぇのはあんまりいいもんじゃぁねぇなぁ... |
月番 | そうよなぁ...しかし、おれとおめぇとはどうしてこう、担ぐのに縁があるかなぁ... |
金 | そう云えばそうだなぁ...去年の秋だよ、海苔屋の婆さんが死んだときよ |
月番 | そうそう、冷てぇ雨がショボショボ降ってたっけ...陰気だったなぁ... |
金 | だけどよぉ、あれっきり誰も骨上げに行かねぇなぁ... |
月番 | ああいう骨はどうなるんだ? |
大家 | おぃおぃ、花見ィ行くってぇのに、なんてぇ暗い話しをしてるんだ、おめぇらは! もっと明るいことを云って歩け! |
金 | へぇ...明るいって云えば、昨日の晩よ |
月番 | うん、うん |
金 | 寝てるてぇと、天井の方がやけに明るいと思ったら、お月様よ |
月番 | へぇ、寝たまま月が見えるのかい? |
金 | あぁ、よく見えらぁ |
月番 | どうして? |
金 | 雨戸を全部燃しちまって、もう燃すものが無くなっちまったからなぁ、昨日の朝よ、おまんまを炊くのに困って、天井をはがして燃しちまった。だから、寝ながらにして月見ができるてぇわけだ |
月番 | そいつぁ風流だ |
金 | おめぇもやってみな |
月番 | あぁ、さっそく今晩にも... |
大家 | おいおい、店賃も払わねぇで、うちを壊すやつがあるか! |
金 | へぇ、すいません...しかし、大家さん、ずいぶん大勢、人が出てますねぇ |
大家 | たいへんな人だなあ |
金 | ...この人通りを見て、考げぇたんですけどねぇ... |
大家 | なにを? |
金 | これだけの人から一銭ずつもらっても大変なものですぜ |
大家 | おぃ、そんなみみっちぃことを云うもんじゃぁねぇ。もっと大きなことを云えねぇか!? |
金 | 大家さんッ! |
大家 | な、なんだ? |
金 | しばらく札で鼻をかみませんねぇっ |
大家 | よせよ、下らないよ。通る人が笑ってるじゃぁねぇか。しょうがねぇなぁ、ったく...それ、上野だ。みてみろ、きれいに咲いてるじゃぁねぇか |
辰 | あぁ、こりゃぁいいや |
大家 | さあ、このすりばち山の上の方が見晴らしがいいぞ |
寅 | いや、なるべく下の方へ行きましょうよ |
大家 | 下の方? |
寅 | 下の方がいいですよ、下の方。な、みんな |
六 | そうそう |
大家 | どうして? 下の方はほこりっぽくていけねぇぜ? |
寅 | いゃぁ、ほこりなんざどうでもいいんですよ。それよりね、上の方で本物を呑んで、食ってるでしょ。ひょっとしたら何かの拍子に、うで卵か何かが転がってこないとも限らねぇ... |
大家 | そんな賤しいことを云うんじゃぁないよ...まぁ、どこでもいいや。おめぇたちの好きなところへ毛氈を敷きな |
寅 | も...へっ、そうそう。毛氈でした。毛氈、どこ行った? |
亀 | おぃ、見ろよ、毛氈の係りを...あんなとこへ突っ立って、本物呑んでんのをうらやましそうに見てるぜ。見てたってしょうがねぇじゃぁねぇか...おーぃ、毛氈! 毛氈だよ! おぃ、毛氈を持って来なよ! ...ぜんぜん、気がつかねぇ |
寅 | だめだめ。そんなんじゃぁダメだよ...いゃ、だめなんだよ。本人は毛氈なんぞ持ってる了見じゃぁねぇんだから... おーい、毛氈のむしろ、持ってこい! |
大家 | おぃおぃ、毛氈のむしろたぁなんてぇ言い草だ? |
寅 | だって、そう云わなくちゃ気がつきませんから...ほらほら、持って来た |
月番 | すいません。いえ、ね、あすこで、あんまりうまそうに本物やってるもんですから、つい... |
寅 | こっちだって、始まるんだよ。がぶがぶのぼりぼりが... |
大家 | よせよ、そんなことを云うもんじゃぁないよ。さぁ、毛氈を敷くんだ...おぃ、どうするんだ、こんなに細長くならべて敷いて... |
月番 | こうやって、一列に坐りましてね、通る人に頭を下げて... |
大家 | なにを云ってんだよ。物乞いの稽古をしてどうするんだよ。みんなでまぁるくなって坐れるように敷かなきゃいけねぇじゃぁねぇか... そうだ、そうだ。それでいいんだよ。じゃぁ、さっそくお重と一升瓶を真ん中に出して、湯飲み茶碗はめいめいが取るんだ。さぁ、きょうはおれのおごりだと思うと気詰まりだろうから、ンなこたぁ忘れて、遠慮なくやってくれ |
亀 | だれがこんなモノ、遠慮して呑むやつがいるもんか... |
大家 | なにィ? |
亀 | いぇ、こっちのことで... |
大家 | さぁ、幹事、ぼんやりしてちゃぁいけねぇ。どんどん酌をして回らなきゃいけねぇじゃぁねぇか |
月番 | へ、へい、じゃぁ留さん、いっぱいいこう |
留 | そ、そうかい? じゃぁ、ついでもらおうか...ほんのおしるしでいいよ。ほんのおしるしで...お、っとっとっと...とっと..も、もういいよ! おぅ! おしるしでいいってぇのに、どうしてこんなにつぎゃぁがった! おれが茶碗を引いてるってぇのに、おめぇ、グィグィ押し付けて注ぎやがったな! おぅ、おめぇ、おれに何かうらみでもあるのか? 覚えてやがれ、べらぼうめ! |
大家 | なんだな、いっぱい注いでもらったら喜ばなくっちゃぁいけねぇじゃぁねぇか |
留 | 喜べって...冗談じゃぁねえや...あっしゃあ小便がちけぇから、あんまり湯や茶はやりたくねぇんで... |
寅 | おう、おれにくんねぇ。さっきから喉が渇いてしょうがねぇんだ...うん、うん...なるほど、へへっ、こりゃぁ色だけは本物そっくりだ。これで呑んでみると違うんだから情けねぇなぁ...ねぇ、大家さん |
大家 | なんだ? |
寅 | 大家さん、いい酒ですねぇ |
大家 | そうか。そりゃぁ嬉しいことを云ってくれるじゃぁねぇか |
寅 | こりゃぁ宇治ですか? |
大家 | 酒が宇治てぇことがあるか。灘だよ。灘の酒だとお云いよ |
寅 | いゃぁ、これだけの酒ともなると、宇治にちげぇねぇや |
大家 | さぁ、酒らしく、一献けんじましょうか、くれぇのこと、云ってみな |
寅 | じゃぁ、勝っちゃん、一献けんじよう |
勝 | いゃぁ...献じられたくねぇ |
寅 | おぃ、断るなよ。みんな呑んだんじゃぁねぇか。おめぇひとりだけ逃れようったってそうはいかねぇ。これもすべて前世の因縁だと思って、諦めて...南無... |
大家 | おぃ、妙な勧め方するなよ |
寅 | 一献けんじよう、紙くず屋の大将 |
大家 | それを云うなら、紙屋の大将と云いな。聞こえがいいじゃぁないか |
寅 | そうですかねぇ...おぅ、紙屋の大将! ...クズの方の... |
大家 | それじゃぁおんなじじゃぁねぇか |
寅 | さぁさぁ、どんどんやっとくれ。そっちの猫の皮剥きの親方 |
大家 | そう、いちいち商売を云うなよ...さあ、どんどん遠慮無しにやってくれ。おい、亀さん、お前、さっきからみてるけど、ほんのひと口しか呑まないな。どんどんおやりよ |
亀 | いゃ、あっしゃぁ下戸なんで... |
大家 | そんなこと云わずに、やってごらんよこの酒はいい酒だから下戸でも呑めるから |
亀 | えぇ...あっしゃぁふだん、あまり冷てぇのをやらないんで |
大家 | そうかい? 冷やはやらねぇのかい? |
亀 | ええ、いつも焙じたのをやってるんで |
大家 | 酒を焙じてどうするんだよ...辰っあん、お前さんもやんな |
辰 | 下戸です! |
大家 | 下戸なら下戸で、食べるものがあるじゃぁないか |
辰 | ...一難去ってまた一難ときたか... |
大家 | なにぃ? |
辰 | いぇ、なんでもねぇんです...え? 卵焼きですか? あっしゃぁね、このごろすっかり歯が悪くなっちゃって、この卵焼きはよく刻まねぇと、食べられねぇかと... |
大家 | 卵焼きを刻むやつがあるもんか...じゃぁ、寅さん、おまえさん、肴はどうだぃ? |
寅 | じゃぁ、その白い方を下さい |
大家 | 色味で云うなよ。かまぼこなら、かまぼこと、大きな声で云いなよ |
寅 | じゃぁ、その...でこぼこを |
大家 | でこぼこってぇやつがあるか! そら、かまぼこだよ。少し厚めのをやるよ |
寅 | へぃ、すいません。あっしゃぁねぇ、このかまぼこが好きでしてねぇ |
大家 | そうかい、そりゃぁよかった。そんなに好きかい? |
寅 | えぇ、なにしろ、毎朝、千六本に刻んで、おつけの実にします、へぃ。それに胃が悪いときにゃぁかまぼこおろしにして... |
大家 | なんだィ? |
寅 | このごろは練馬の方へ行きましても、すっかりうちが建て込んじまって、かまぼこ畑が少なくなりやしたねぇ |
大家 | かまぼこ畑なんてぇものがあって堪るか! |
寅 | でもね、あっしゃぁ、どっちかてぇとかまぼこの葉っぱを浸しにして... |
大家 | いい加減にしな! ばかばかしい、早く食べちまいな! |
寅 | へぃ...う、こ、こりゃぁ、漬けすぎてすっぺぇや |
大家 | 酸っぱいかまぼこがあるか...お前はもういいよ! 竹さん、おめぇさん、なんかやりなさいよ |
竹 | すいません、じゃぁ、卵焼きをひとつ... |
大家 | うまいなぁ、向こうのやつがこっちをヒョィと見たよ...へへっ、じゃぁひとつ、卵焼きらしく、音を立てねぇように食べておくれ |
竹 | えっ? 音を立てねぇで? こりゃぁ驚いたねぇ、この卵焼きを音を立てずに食うのは至難の業... |
大家 | そこをひとつ、やっとくれ、と頼んでるんだ。さ、やっとくれ |
竹 | そこをひとつ、ったって...おぅっ...あむっ...う、うぐうぐっ...うぐぐぐっ... |
亀 | おい、竹さん、どうした、しっかりしなよ |
留 | かわいそうに、卵焼きを丸呑みにして、喉につっかえたんだよ。背中をひっぱたいてやりな。どーんと、ひとつ |
六 | そーれ! (ドン、ドン) 竹さん、しっかりしろい! |
竹 | あー...フワァ...た、助かったぁ...みんな、卵焼きは気をつけろ、これを音を立てずに食うのは命懸けだぜ |
大家 | さぁ、酒が回ったところで、威勢良く都都逸でも始めな |
辰 | ...冗談じゃぁねぇや...これで唄なんか唄ってりゃぁ、狐に化かされてるようなもんだ... |
大家 | おぃおぃ、いちいち変なことを云ってちゃあいけねぇなぁ。お花見なんだよ。なんかこう花見に来たようなことをしなくちゃぁ...そうだ。六さん、お前さん、俳句をやってるそうだな。どうだ、花見に来たような句をよんでくれねぇか |
六 | そうですねぇ...花見の句...どうです、「花散りて 死にとうもなき 命かな」てぇのは? |
大家 | なんだか、寂しいなぁ。他には? |
六 | では「散る花を なむあみだぶつと いうべかな」 |
大家 | なお陰気だよ |
六 | なにしろ、がぶがぶのぼりぼりじゃぁ陽気ンなりようがねぇ |
大家 | 愚痴を云っちゃういけねぇなぁ...誰か陽気な句はないかい? |
勝 | 大家さん、いま作った句を書いてみたんですが、こんなのぁどうでしょう |
大家 | おぅ、勝っあん、できたい? おぉ、お前さん、矢立てなんぞ持って来たとは、風流人だねぇ。いや、感心したよ...どれどれ、「長屋中...」、うんうん、長屋一同の花見てぇことで、長屋中と始めたところは嬉しいねぇ。「長屋中 歯を食いしばる 花見かな」 え? なんだって? この「歯を食いしばる」てぇのはいったい何なんだい? |
勝 | なーに、別に小難しいこたぁねぇんで、あっしのウソ偽りのねぇ気持ちをよんだまでで...まぁ、早い話しが、どっちを見ても本物を呑んだり食ったりしてるでしょ。ところがこっちは、がぶがぶのぼりぼり...あぁ、実に情けねぇ、と思わずバリバリッと歯を食いしばったという... |
大家 | おいおい、止めとくれよ。だいいち、周りの連中だって、なにを食ってるか分かりゃぁしねぇぜ。あんな顔したって、どこもおんなじようなもんだ |
勝 | へっ、ンなこと云ったって、こうこで番茶なんぞ呑んでるやつが他にいてたまるけぇ... |
大家 | おいおい、どうも弱った連中だなぁ。おめぇたちはどうも心構えが後ろ向きでよくねぇ。気分直しに、今月の月番、景気良く酔っ払っとくれ |
月番 | えっ!? 酔うんですか? 酔わねぇふりをしろってんならできますけどね、酔ったふりなんて、考げぇたこともねぇから... |
大家 | そこをひとつ、まげて酔っとくれ。あたしゃ別に恩を着せる気はねぇが、お前さんの面倒はずいぶんみてるはずだよ |
月番 | へぃ、そのとおりでござんす。大家さんにそう云われちゃぁ、あっしゃぁ一言もありません。一宿一飯の恩義に絡まれて、あっしゃぁ酔わせていただきます |
大家 | まぁ、ご苦労だが、ひとつ頼むよ。威勢良く酔っ払って、べらんめぇかなんか云っとくれ |
月番 | へぃ、それじゃぁ、大家さん |
大家 | なんだい? |
月番 | さて、つきましては...酔いました。えぇ、改めまして...べらんめぇ |
大家 | なんだい、そりゃぁ...そんな酔っぱらいがあるもんか...じゃぁ、来月の月番、おめぇも幹事だろう。さぁ、うまいところ酔っとくれ |
金 | いやなときに幹事になっちゃったなぁ...へぇ、そりゃぁ幹事の役目でござんすから、酔えとおっしゃられれば、酔いますけど、なにぶん手ぶらじゃぁ酔い難いや...その湯飲み茶碗を貸してくれ...さぁ、酔ったぞぉ、あぁ、酔ったとも! |
大家 | その調子、その調子 |
金 | おりゃぁ酒呑んで酔ったんだぞ! 番茶で酔ったと思うかぁ、ふざけるねぇ! |
大家 | 余計なことを云わなくていいよ |
金 | いゃぁ、断らなきゃぁ気が違ったと思われちまいますから...さぁ、酔っぱらった。酔っぱらった。すっかりいい気持ちになってきたぞ。こうなりゃぁ地所でも売り飛ばしちまおぅ |
大家 | いいねぇ、景気がいいよ。しかし、地所なんぞあるのかい? |
金 | ...ガキのこさえた箱庭が... |
大家 | しまらねぇなぁ、云うことが... |
金 | さぁ、酔った! 貧乏人だ、貧乏人だとバカにすんねぇ! 借りたもんなんざぁどんどん利息をつけて返してやらぁ! |
大家 | いいぞ、いいぞ |
金 | ほんとだぞ、大家がなんでぇ! 店賃なんざ払うもんけぇ! |
大家 | 悪い酒だなぁ...どうだ、いい酒だろぅ。えぇ? 酒がいいから、いくら呑んでも頭に来ないだろ? |
金 | 頭にゃぁ来ないけど、腹がダブついて... |
大家 | どうだ、酔っぱらった心持ちは? |
金 | 酔った心持ち? ...そうですねぇ、去年の秋に井戸へ落っこちたときとそっくりです |
大家 | 変な心持ちだなぁ。でもおめぇは感心だ。よく酔ってくれた。長屋の連中の手本だ。おぃおぃ、みんな、どんどんとお酌してやっとくれ |
金 | さぁ、こうなりゃぁ、おれだけがひでぇ目にあゃあいいんだ! さぁ、みんなのぶんもまとめて面倒見るから、どんどん注いでくれ! おっとっと、ずいぶんこぼしちまった...もっとも、こぼしたって惜しいような酒じゃぁねぇが...さぁ、呑むぞ、あっ、大家さん、大家さん... |
大家 | なんだ? |
金 | 近々、うちの長屋にいいことがありますよ、きっと... |
大家 | おぅ、嬉しいねぇ。そんなことがわかるかい? |
金 | わかりますとも |
大家 | どうして? |
金 | 茶碗の中を覗いてご覧なさい。酒柱が立ってます |
引用元:「東西落語特選」
http://www.niji.or.jp/home/dingo/rakugo2/
コメント