上方落語『茶の湯』|無料で読むテキスト落語

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茶の湯

 

えぇ、さるご大家のご隠居さんでございます。このお方、親代々の金満家というわけじゃぁございませんで、若い時分から真っ黒になって働いて、立派な身代をこしらえた方でございます。このたびめでたく、家督をご長男に譲って、根岸の里に三軒続きの長屋が付いた隠居所を手に入れまして、定吉という小僧と一緒に越して参りました。このお方が、若い頃から道楽などというものとはまったく無縁で、ただ働くだけ働いてきたお人ですので、さて、隠居ンなってみると、することがなくて、毎日ボーッとしてくらしております。

 

ご隠居おーい、定、定吉や
定吉へーーーーぃ、ご隠居さん、お呼びですか?
ご隠居早いもんだな。アァ、蔵前からこの根岸の里へ越してきて、もう今日で十日になる。あたしも、どうもここ二、三日は身体を持て余してるんだがな
定吉そうでしょ? 長火鉢のそこンところに坐った切り、煙草呑んでるだけじゃご退屈でしょ
ご隠居どうだい、この根岸の里は、蔵前とは違って、いろんなお稽古事をなさっている方がいるだろう
定吉いらっしゃいますねぇ。お花だとか、お琴だとか
ご隠居だから、あたしもねぇ、ひとつ、何かお稽古事をしようと思ってな
定吉あぁ、結構ですねぇ。あたしもその方がご隠居さんのお相手をしてても、退屈をしのげますから。なにィするんです?
ご隠居ちょうどいいじゃないか。先にここに住んでいた方が、お茶人と見えて、あっちのほうに囲炉裏のあるお座敷もあるし、茶箪笥のなかにァ茶道具一式ちゃんと揃ってる。お茶の湯、やろうじゃないか
定吉あぁ、お茶の湯ってぇと、蔵前の若旦那がやってる、あれでしょ? 面白そうですねぇ、あれは。お湯をグラグラ沸かしといて、おドンブリの中に青い粉入れて、グルグルッとかき回すと、古いお池の苔みたいなアワがブクブクッと浮かんでくる。いいですねぇ、あれ、やりましょうよ
ご隠居お前は子供だから、物事を安直に云い過ぎるぞ。お茶の湯というのはたいそう難しいお稽古事でな、それにわしは子供の頃に習ったきりでな、思い出せないことがあるんだよ
定吉何が思い出せないんです?
ご隠居あの、青い粉が何だったか、思い出せないんだよ
定吉...ひとっ走りいって、蔵前の若旦那に聞いてきましょうか?
ご隠居あ? いや、あいつはいかん、あいつは茶の湯を知って...オホン! いやいや、わしとお流儀が違うでな
定吉あの、お流儀によって粉が違うんですか?
ご隠居そうだよ。あたしゃ、あの粉がなんだったか思い出せなくてなぁ、それさえ思い出せればお茶の湯が始められるんだが...
定吉あの、なんでしたら、あたし買ってきましょうか?
ご隠居えぇ? お前、知ってんのかい? あぁ、そうかい? じゃ、おあし、あげるから、買ってきておくれ
定吉......行って参りました!
ご隠居あぁ、何を買って来た?
定吉乾物屋へ行きまして、あたくし、青ぎな粉買ってきました
ご隠居青ぎな粉? ...あ、あぁ、そうだ。師匠に教わったときのことを思い出したよ。茶の湯を始めるときは、まず青ぎな粉を吟味すべし、とな。それじゃぁ、さっそく始めようじゃないか

 

てんで、ふたぁりで、お囲いに入りましたが、もちろん、このお炭の切り方なんざ、わきまえちゃいません。火ィ起こしゃぁいいだろうってんで、山のように積み上げまして、これに種火と消し炭を入れると、二人で差し向かいで、渋うちわでバタバタ、バタバタと扇ぎ始めましたから、お囲いの中に火の粉が舞うやら、灰が飛ぶやら、茶の湯が始まるんだか、サザエの壷焼きが始まるんだか分かりゃしません。

見る間に火がカンカン怒って参りましたんで、

 

定吉うわぁ、ずいぶん火が怒ってきましたねぇ。顔が火照るくらいですよ
ご隠居あぁ、これくらいいこってくると、湯もすぐ沸くだろう。じゃ、釜に水をいれてな、火にかけな。で、湯が沸くまでの間にお道具を揃えるから
定吉何からお持ちしましょう?
ご隠居うーん、そうだなぁ、ドンブリがあったろう
定吉ございます。大きいのと小さいのがありますが?
ご隠居あぁ、わしゃ男だから大きいのを使う。小さいのは、それは女用だからな。じゃ、おドンブリをこっちへ貸しなさい。で、ひしゃくは釜のふちに横に寝かせて置いておきな。柄がこげないようにな。で、粉を入れる小さい入れ物があったな
定吉これですか? これ、なんてンです?
ご隠居...そのうちに思い出したら教えてやろう
定吉ご隠居さん、知らないんじゃないですか?
ご隠居わしゃ知らないわけじゃない、忘れただけだ。
定吉ねぇ、ご隠居さん、そんな意地悪云わないで教えておくンなさいよ
ご隠居そうか...えーっと、これは、確か果物の実のような名前だったなぁ...えーっと、何と云ったかなぁ...あぁ、これはたしか、あんずというんだ
定吉あんずですか? 蔵前の若旦那はなつめって云ってましたよ
ご隠居いいじゃないか、あんずでもなつめでも...お流儀によっていろいろと呼び方が違うんだよ。じゃぁ、とりあえず、うちでもなつめにしておこうか...それから、粉をすくってドンブリに入れるのに使うのがあったろう。竹を曲げて、孫の手みたいに、こんな風に、ゾウの耳掻きみたいなヤツ...
定吉エッ!? これ、ゾウの耳掻きって云うんですか?
ご隠居うちでは仮にそう呼んどくんだよ。それから、お茶の湯をかき回す、ささらがあったろう
定吉へ?
ご隠居ささらだよ。竹で、上がパッ...と、こうなったのがあったろう
定吉これ、ささらってぇんですか?
ご隠居そうだ。お茶の湯で使うから「お茶ささら」。またの名を「座敷ざさら」とも云うな
定吉変な名前ですねぇ。へぇ、「お茶ささら」「座敷ざさら」...
ご隠居これでお道具が揃ったようだな
定吉まだありますよ
ご隠居何が残ってる?
定吉布巾がありますよ
ご隠居あぁ、これが肝心の布巾だ
定吉どういったときに使うんです?
ご隠居お行儀の悪い方がお茶の湯をこぼしたときに、畳の上を拭くのに使うんだ
定吉へぇ、贅沢なもンですねぇ。たいてい布巾てぇものは台所に置いてあるのは木綿でできてますけど、それ、羽二重でできてますねぇ
ご隠居お茶の湯ってぇのは贅沢なお稽古事だからなぁ。見てご覧、これ、あわせンなってるだろ。これが夏になると単(ひとえ)になるんだなぁ
定吉着物みたいですねぇ
ご隠居どうだい、今まで、チンチン、チンチンって云ってたものがだよ、ガバガバ、ガバガバッ、ガババーン...と波だってるところが風流だなぁ。まぁ、湯が沸いたから始めるとするか。

茶を立てて 根岸の里の 侘び住まい

いい句があったなぁ。わしもお前もこれで風流人の仲間入りができるぞ

定吉...うわぁ、ずいぶんどっさり粉入れるんですねぇ。若旦那はそんなに粉、いっぱい入れませんでしたよ
ご隠居あいつはしみったれだからな。あいつの茶の湯はケチな流儀なんだ。わしの流儀はな、大まかにな粉をたっぷり入れて、ガブガブ、ガブガブと呑むところが豪快で風流なところだ。じゃぁ、ひしゃくを貸しなさい。釜のふたを取って...つまみが熱い? そうか。じゃぁ、今度こよりでも巻いておきなさい。お茶の湯というものはいいもんだぞ、風流なものでな
定吉ずいぶんとお湯、入れるんですね
ご隠居わしの流儀は豪快だと、さっき云っただろう。待ってなさい、いま、茶の湯が立つからなぁ...おや...泡が立たないなぁ...
定吉若旦那がやると、二、三度かき回すとすぐに泡が立ちますけど、ご隠居さん、いくら回しても泡ァ立ちませんねぇ
ご隠居おかしいなぁ、これは何か泡の立つものを入れ忘れたかな?
定吉泡が立ちゃぁよろしいんでしょ。おあし、下さい。買ってきます
ご隠居お前、いろんなことを知ってんね、じゃぁ、これで買っといで
定吉......行って参りました
ご隠居何を買って来た?
定吉椋の皮を買ってきました

 

この椋の皮というのは、年配の方はご存知でしょうが、水に入れてかき回すと泡が立つんで、昔は石鹸の代わりに洗濯に使ったり、シャボン玉を作って遊んだものです。

 

ご隠居定、お師匠さんに教わったのを思い出したぞ
定吉何です?
ご隠居日によって泡立ちの悪いときは椋の皮を用うべし、というのを思い出したよ。初日で泡が悪いといかんでな、その袋の中の椋の皮をそっくり釜の中へ入れなさい

 

なんて、無茶な話しがあったもので、何回も洗濯が出来るほどの椋の皮をそっくりひと袋、茶釜ン中へほうり込んで、かき混ぜましたので、ブワーッと泡が立って参りました。

 

定吉うわーぁっ、凄いですねぇ。面白いや、これ、ずいぶん泡が立って、お部屋ン中を泡が舞ってますよ。評判の玉屋みたいですねぇ
ご隠居わしの流儀が泡千家というお流儀でな
定吉そんなお流儀があるんですか? たいがい「うら」とか「おもて」とか...
ご隠居いいんだよ、お前は、いちいちうるさいことを云うもんじゃないよ。まぁ、このくらい泡が立ってればこの湯をドンブリへ入れただけでも泡立ってるが、まぁ、いちおう方式だから掻き回すかな...あぁ、どうだ。ドンブリから泡があふれて、盛り上がってるところなんざ、風流でいいなぁ。さ、定、お飲み
定吉ヘッ!?
ご隠居お飲みよ
定吉これ...あたくしがいただくんですか? 青ぎな粉に椋の皮?
ご隠居変な顔、するもんじゃないよ
定吉いや、あたし、飲みよう知りませんから、ご隠居さんから呑んでみせて下さいよ
ご隠居いや、お前が客、わしが主。こういうものは客から先に呑まなきゃいかん
定吉そんなこと云ったって、呑みようがわからないんですから。ご隠居さんが呑んでみせてくれたら、あたし、その通りに呑みますから
ご隠居そうか? じゃ、わしのように丁寧に呑まなくちゃいかんぞ。まず、着物の襟をあわして、襦袢の袖が出ないように、着物の袖を引っ張る。丁寧にお辞儀をしたら、右手と左手を静かに出して、ドンブリのふちを親指と人差し指で摘まみ、目八分でお茶の湯をいただくんだ。目九分というと鼻の頭のあたり、目十分ていうと大変だぞ、茶の湯を頭から被ることンなるからな。で、いただいたおドンブリは胸ンところにもって来て、脇をこう、十分に固めなさい
定吉どうして脇を固めるんです?
ご隠居それは...脇が空いてると相手からもろ差しンなられるからな
定吉相撲みたいですねぇ
ご隠居茶の湯だとか、相撲とかみな脇を固めるんだよ。すぐに呑んではいかんぞ。左へ三度回してから呑む。男は左へ三度、女は右へ三度まわすのがわしのお流儀だからな...これ、泡が鼻に支えるなぁ
定吉鼻の頭に泡がついてますよ
ご隠居そんなものは袖ででも拭っときゃァいいじゃないか。泡がじゃまになる...そういう時は、フッと泡を吹くな。で、泡が向こうへ寄ったスキにさっと呑む
定吉泡を吹いてから呑むんですか?
ご隠居そうだよ。フッと吹いて...ゴクッ...アウッ! ...ウプププッ...えぐっ、おぇっ...アウッ、アウッ...ヒェェェェーッ!
定吉面白いもんですねぇ...二、三度戻しそうになりなりながら、涙を浮かべながら、呑み終わった後、タコ踊りみたいなこと、しましたねぇ...えぇ、ご隠居さんが呑んだんなら、あたしもいただきます...襟と袖を揃えて、丁寧にお辞儀をして、右手、左手で持って目八分でいただくんですね、泡をフッ...アゥっ...ゲフッ...ガラララララララ...
ご隠居おいおい、うがいをしてどうするんですよ!
定吉ヒェーーーッ、こりゃぁ凄いや! こりゃぁ、いやでも涙が出てきますねぇ。みんなこんなもの呑んで喜んでるんですかねぇ
ご隠居これでわしもお前も風流人の仲間入りをしたぞ。よし、明日からこれでいこう

 

ってんで、がらり夜が明けますてぇと

 

ご隠居定、起きたかい、じゃぁいろりに火をおこしなさい

 

ってんで、朝起きるてぇとお茶の湯を始める。昼飯前に茶の湯、おやつ時に茶の湯、晩飯の後に茶の湯、寝る前に茶の湯ってんで、こんなものを日に四度も五度も飲むんですから、たまったものじゃございません。尾篭な話しで恐れ入りますが、どだいが青ぎな粉に椋の皮ですからな、何日かすると二人ともすっかり腹を壊しまして、下痢を催して参ります。

 

ご隠居さ...さだや~...さだや~
定吉へ...へ~ぃ...お呼びンなりましたかハァ~...
ご隠居お前、いかんよ、あたしが呼んだら大きな声で返事をしなきゃいかん!
定吉そんな無理を云わないで下さいよ、ご隠居さん、大きな声で返事をするってぇとピピッと出そうな気がします
ご隠居汚いことを云うんじゃないよ...イャァ、あたしもお前も、往生したねぇ...飲むもの食うもの、こうピーシャーピーシャー通っちゃぁねぇ...まるで官軍の笛太鼓だねぇ、ピーヒャーラ、ドンドンドンってなぁこのことじゃないかい? お前、だいぶ顔の色が蒼いねぇ
定吉ご隠居さんもだいぶ目が窪んできましたねぇ
ご隠居そりゃそうだろう、こう腹の具合が悪くっちゃぁ堪らないよ。あれだなぁ、こんど茶の湯をするときにはなんだなぁ、腹薬でもいっしょに飲みながらやらなきゃいかんなぁ...
定吉...そろそろ、火をおこしますか?
ご隠居いや、腹具合がよくなるまで茶の湯は休みだ。わしゃゆうべ往生したぞ...いゃ、わしとお前ははばかりが別になってるから、お前、気がつかんだろうがな、わしゃゆうべはばかりへ三十六たび通ったぞ
定吉ははぁ、三十六たび...それは気の毒ですねぇ。あたしなんか、たった一回きりですよ
ご隠居あぁ、やっぱり若いから、たった一度きりか、えらいなぁ...
定吉えぇ、入ったきり出られませんでした
ご隠居そりゃぁ気の毒に...
定吉どうです? 他の人にも飲ませてねぇ、いっしょになってピーピー、ピーピー、お腹壊させましょうよ
ご隠居そりゃ面白いな...
定吉蔵前へ行って、若旦那、呼んできましょうか?
ご隠居いや、あいつはいかんよ、あいつはお茶の湯をちゃんと心得...ゥホンッ! いやいや、あいつはお流儀が違うからな、「お父様のお流儀は?」と聞かれると困るから、あいつはいかん
定吉じゃぁ、三軒の孫店の連中、連れてきましょうか?
ご隠居あ? あぁ、それはいい、長屋の連中...しかし、流儀を聞かれたら困るじゃないか
定吉そんなこと云ったら店立て食わしちゃうんですよ。店子のくせに大家に流儀を聞くなんて生意気だって...
ご隠居あぁ、店立てという手ががあったかなぁ。よしよし、今、手紙を書くから、おまえ、さっそく届けておいで

 

さて、これから隠居さんが書きました招待状をば持ちまして、小僧さんが三軒の孫店を廻ります。このお長屋に住みますのが、取っ付きが手習いのお師匠さん、次が仕事衆の鳶頭、一番奥がお豆腐屋さんでございます。

 

豆腐屋あぁ、ご苦労さん、あたらしい家主の隠居さんによろしく云ってくれ。おぅ、おっかあ、ちょっとこっちィ来てくれ
豆腐屋女房なんだい、お前さん...
豆腐屋イヤな、今、新しい家主の隠居さんのところから手紙が来たよ...オッ、こりゃぁいい手をしてるねぇ、こりゃぁあれだな、よっぽど手習いを習ったんだなぁ...

えぇ、本日、昼過ぎ、突然の儀ながら小生宅において茶の湯の会を催しますので、取り急ぎお知らせ...茶の湯ゥ!? おい、おっかぁ、えれぇことになっちゃったよ! 茶の湯の会があるから来いってんだよ!

豆腐屋女房あら、ありがたいじゃないかね。お前さん、まだ顔出しもしてないんだろ。ちょうどいいから、行っておいでなさいな
豆腐屋おめぇ、どうしてそういう安直なことを云うんだ? 難しいんだぞ、この茶の湯ってぇのは。ふすまの開け閉て、歩き方、から茶の飲みようから、入れモノ誉めたりなんかしなきゃならねぇんだぞ
豆腐屋女房じゃぁ、無調法だってんで、教わっておいでなさいな
豆腐屋そんなこと、云えるかよ! この町内じゃぁ豆腐屋の親方ァ物知りってんで、みんななんか聞きにくるんだよ。今日おれが茶の湯行ってみねぇ。あいつぁ、モノを知らねぇってんで、恥かいて帰って来てみねぇ。するってぇと、あいつぁ五月の鯉の吹き流しだ、口先ばかりではらわたァねぇや、なんて、バカにされるじゃねぇか! おれぁ、ヤダよ!
豆腐屋女房じゃぁ断りなさいな
豆腐屋今日は断れるよ。明日もいいよ。仏の顔も三度って云うじゃぁねぇか。あさっては断れねぇじゃねぇか。おれぁヤダよ、恥かくの
豆腐屋女房じゃぁ、お前さん、どうしようって云うの?
豆腐屋忌々しいからさぁ、おれぁ、引越しするよ
豆腐屋女房お前さん、どうかしてんじゃないかい? 茶の湯で恥かくのが嫌だからって、どうして引っ越ししなきゃならないんだよ? えぇ、いいかい、売り込んだ店なんだよ。他の商売仲間はものの値が上がったからって、ガンモドキ小さくしたり、中へ入れるもの減らしたりなんかしてるんだよ。うちはそんなのイヤだからさぁ、店開きのときのまンまの大きさで、中ィ入れるものだって、減らしてないんだよ。これが脇へ越してご覧な、また売り込むのに二年も三年もかかるじゃないかよ!
豆腐屋ヘッ、なに云ってやがんでぇ! ま、このまんまズラかったんじゃぁ夜逃げみてぇだからな、近所付き合いもあるから、となりの鳶頭と手習いジジィんとこ顔出ししてくるからな。ま、帰りにな、手間ァ払って大八車借りてくるから、すぐに荷物運び出せるようにまとめとけ!

 

ってんで、豆腐屋さん、羽織をひっかけますと、隣の鳶頭のところへやって参りました。

 

鳶の頭オウッ、奴っ子ォッ、おめぇ、そうやって下のモノを運び出さねぇまえに上のモノを出そうとするからいけねぇんだ! 下のモノを先ィ運び出してから二階のモノにかかんなきゃいけねぇ! お袋ッ、おめぇは年寄りで足手まといだからな、お位牌でも持って、縁側ででもひなたぼっこしてな...おっかぁ! あの、壊れ物ァぼろっ切れィ包んで、米びつンなかなんかへ入れるんだぞ。金公ッ、道具の上をまたぐんじゃねぇっ! この野郎!
豆腐屋ずいぶんとたて込んでんねぇ、鳶頭のうちは...ごめんくださーい
鳶の頭だれだ? あぁ、豆腐屋じゃねぇか、どうしたィ、めかしこんで、羽織なんか着やがって、どっか行くのか?
豆腐屋へぇ、よんどころのない事情がございましてな、このたび引越しをしなきゃならないので、ちょいとお暇乞いにまいりましたので...
鳶の頭えぇ? もってぇねぇじゃねぇか。越すのか? 売り込んだ店で、評判いいんだ、お前ンとこのガンモドキやなんか。よそィ行ったらまた売り込むのに二年も三年もかかるぞ
豆腐屋うちの女房もそう云いますが、どうしても越さなきゃならないわけがございましてな。そういえば、鳶頭のとこも、二、三日前に造作を直したばかりじゃございませんか。バカにたて込んでますが...
鳶の頭そうなんだよ、バカな話しじゃねぇか...えぇ? いや、いいじゃぁねぇか、おっかぁ。豆腐屋だって越すって云ってんだからよ。いやぁ、今し方、新しい家主の隠居ンところから手紙が来て、開いてみるってぇと、茶の湯の会があるから、昼過ぎに来て呑めってんだよ。こちとらぁ、こういうがさつな稼業だ。仕事衆だよ、そりゃぁ火事場ィ行けば、うまいよ。だけども、あんなしゃちほこばったこたぁなぁ、おらぁ知らねぇや。いゃぁ、一度は行こうとしたんだよ。印半纏引っかけて。そしたらお袋が出てきやがって

「お前、お茶の湯は知ってんのかい?」って云うから、

「お袋、冗談じゃねぇ、おめぇだって、おれにそんなこと仕込んだこたぁねぇじゃぁねぇか」

「およしよ、お前、知らないと恥をかくよ。えぇ、お前、どうしても行くっていうのなら、子供の恥は親の恥って云うから、親子の縁を切って」

変なことを云うんだ、お袋がぁ! そしたら、また女房がしゃしゃり出てきやがって、

「亭主の恥は女房の恥」って云いやがって、夫婦の縁を切ってくれってぇやがる。そこへまた子分どもが出てきやがって、

「そうだ。鳶頭の恥は若い衆の恥だ! 茶の湯ィ親分子分の杯を水にしてから行ってくれ」と、こうなんだよ。

忌々しいじゃねぇか。だから、おれぁ、引越しをしようって、こういうわけよ。ま、しょうがねぇから、に組の兄弟分のところへ転がり込むつもりだからよ、まぁ、落ち着いたらまた付き合おうじゃねぇか

豆腐屋あぁ、そういうわけですか。いゃ、あたしの引越しもそういうわけなんですよ
鳶の頭あ、そうかい? ははぁ、茶の湯の招きってぇのは引っ越しのまじないかなんかンなってんのかねぇ...ま、お互い災難だと思ってさ、越すとしようじゃねぇか
豆腐屋ちょっと待って下さい、鳶頭
鳶の頭なんだよ
豆腐屋あぁたとあたしンところに来てるんでしょ。それじゃ手習いのお師匠さんとこへも来てるんじゃないですかねぇ。あの人は彰義隊の生き残り、もとはお武家様だ。だったら茶の湯くらい心得てるんじゃないですかねぇ。もしも手習いのお師匠さんが知らないって云ったら、それから越しても遅くはないでしょう
鳶の頭オッ、おめぇ、いいこと云うじゃねぇか。よーし、わかった、オゥッ、ちょっと待てまて、みんなーッ、荷物はまだ出すな! えぇ、風が変わったよ、風が! また火の粉を浴びるようなことンなったら、そのとき持ち出しゃぁいいんだから。おぅ、おっかぁ、半纏だせ、半纏を!
手習い師匠いいかい、これからお師匠さんの云うことをうちへ帰ってお父上、お母上、あるいは兄上にちゃんと云うんだぞ。お花ちゃん、お前さんは女の子だから、お机は兄上に取りに来てもらうように。お師匠さんはよんどころのないわけがあって、引越しをしなければならん。そう遠いところへ越すわけではないので、落ち着いたら知らせをよこすで、また寺子に上がるように...
鳶の頭おい、こりゃぁだめだ、豆腐屋ァ! 手習い師匠も越すようなことォ云ってるじゃねぇかよぉ! おぃ、こりゃぁだめだ、やっぱり
豆腐屋ま、聞くだけ聞いてみようじゃありませんか
鳶の頭そうか? こんちわ、ごめんくださいまし!
手習い師匠どーれ...おぉ、これはご両人、連れ立ってどちらかへおでかけか?
鳶の頭へへっ、師匠、あれでしょ、あんた、茶の湯ァ知らねぇ、恥ィかくのイヤだから、引越しをしようってぇヤツでしょ
手習い師匠ほう、えらいな、鳶頭、ああたは人相を見るか?
鳶の頭いやぁ、そんなもの見ゃぁしません。わけぇ知ってるんですよ。来たんでしょ、招き状が...あっしらあぁたんとこを当てにして来たんですよ。あぁた、彰義隊の生き残り、もとお武家さんなら茶の湯くらい知ってると思ってさぁ、教わりに来たんですが、あぁた、知らないんですか?
手習い師匠いゃぁ、わしゃぁなぁ、無骨モノで、茶の湯はたしなまんが、わしの死んだ奥がたしなんだのでな、見よう見まねで飲みようくらいはなんとかなる
鳶の頭そりゃぁ上出来だ。あぁたを上座に据えてね、それから豆腐屋、あっしと順番に並んでね、あぁたがやる通りに真似しますから...
手習い師匠いや、飲みようはそれでどうにかなるがな、流儀を聞かれると返答に困る
鳶の頭かまいませんよ! 流儀を聞かれたら三人ともソラッとぼけてりゃいいや。二度目に聞かれたら聞こえないフリだ。三度目に「お流儀を」ときたら、あっしゃぁもう黙っちゃいないよ。隠居の横っ面はっ倒して、隠居がひっくりけぇったら溜飲下げてずらかってきやしょう
手習い師匠そりゃぁいいなぁ、しかし三度目にうまく殴れればいいが
鳶の頭えぇ、だから、仕損じないように、あっしゃぁここから拳固を固めていきますよ

 

ってんで、ぶっそうな茶の湯があるもんでして...

 

定吉ご隠居さん、お腹ァ壊すお仲間が三人、お見えになりました
ご隠居おいおい、バカなことを云うもんじゃない。いやぁ、お三方、お忙しい中、お招きしてあいすいません。まぁ、こちらへ...

 

と、隠居は小僧以外のものに始めて飲ますんですから、嬉しくってしょうがない。わくわくしながら、例の青ぎな粉に椋の皮をたっぷりとおごりまして、茶の湯を立てる。手習い師匠がこれを取上げて、一口やったが、とても喉を通らない。といって、いつまでも口に含んでおけませんから、ガバガハッと茶碗へ戻して、アワを増やしてとなりへ回します。豆腐屋さんもそのとおり。鳶頭はってぇと、右手を拳固に固めて懐へ入れてますんで、左手一本でこれを持ちまして、ジーッと睨んでいましたが、ひとくちやって、

 

鳶の頭ブーッ、ペッ、ペッ、ひでぇもン飲ませンねぇッ、こんちくしょうッ! 口直し、持ってこいッ!

 

茶の湯に口直しなんてぇものがあるわけはございませんが、その時分、有名な菓子屋の高価な羊羹を出しました。三人はそれで口直しをして帰って参りました。さて、それからですな...

 

おい、辰っあん、呼ばれなかったかい? いやぁ、茶の湯。お前さん、まだかい? あたしゃ呼ばれたよ。ひどいねぇ...けど、羊羹はほんもの。だから、ガバガバッと呑んだフリして茶碗に戻して、ガキの土産に羊羹くすねて来たよ
そりゃぁいいや、おれもやろう!

 

なんて、菓子泥棒が出る始末。

ご隠居さんは晦日に、菓子屋の付けを見て驚いた。こりゃぁとても堪らない、ってんで、根が慎ましい方ですから、小僧といろいろと相談しまして、サツマイモを一俵、川越から取り寄せまして、これをすっかりふかしましてアタリ鉢ですっかり当たり込み (アタリ鉢ですっかり当たり込み=すり鉢ですり込み:落語の世界では「スル」という言葉が忌み言葉になっております。「興行をスル」とはお客がまるで入らないことを意味して嫌います。そこで、「スルメ」を「アタリメ」、「摺り鉦」を「アタリ鉦」、「すり鉢」を「アタリ鉢」と言い換えます。) 、黒蜜・黒砂糖を練り込み、大きな湯飲み茶碗にこれを入れてスポッと型抜きしようとしたんですが、黒蜜と黒砂糖でございますから、ベタベタしていっこうに抜けない。しょうがねぇから、茶碗の中にあんどんの灯し油をタップリと塗りまして、スポッとやると上手く抜けた。見た目にはツヤツヤと照りがよくって美味そうな菓子。

これを利休饅頭と名を付けまして、茶の湯の客に出しました。

名前はまことに風流でございます。サツマイモと黒蜜・黒砂糖、ここまではよかったんですが、この灯し油がなんともプーンと生臭くっていけません。今までは羊羹目当てに来ておりました客も、菓子が不味くなったので、この頃はひとりも来ない。

二人で退屈をいたしておりまして、誰か来たら飲ませようと待ち構えておりますてぇと、蔵前時分の知人が訪ねて参りまして、話しの切れ目に

 

客人そういえば、あなた、この頃、お茶の湯に凝ってらっしゃるとか
ご隠居おぉ、あなた、お茶の湯をたしなみますか? え? ご存知ない? そりゃぁ結構! あたくしがご伝授して差し上げよう。じゃぁ、さっそく、こちらへ、ささ、どうぞ、どうぞ!

 

と、例の茶の湯を出した。この人がひとくち飲んでみたが、とても喉を通らない、どころか、舌の皮はめくれる、唇はヒリヒリする。

 

客人ひどいものを出すねぇどうも...

 

前を見ると菓子盆に利休饅頭が山のように積み上げてある。口直しに、と、欲張って二つとってアグッとやって驚いた。

 

客人なんだい、この菓子は、おい...ろうそくに砂糖付けて食ったって、もうちょぃとましな味がするよ...

 

しょうがないのでこれを袂へ忍ばして世間話をしておりますが、そのうち、袂のはしから黒蜜、黒砂糖がベトベト、ベトベトと染みて来た。

「ちょっとお下を拝借」

ってんで、はばかり行く前に庭へでも捨てよう、と思いますが、庭はすっかり掃き清められておりまして、とても捨てられない。しょうがないのではばかりへ捨てようとしますが、ここも掃除が行き届いておりますので、そういうわけにもいかない。ふとはばかりの窓から見るてぇと、その時分、根岸は一面の菜畑ですから、「畑ならいいだろう」と、その菜畑へ利休饅頭をポーンと投げ捨てました。それが間の悪いことに、ちょうど農作業中のお百姓の頭へベチャッ...

 

お百姓ウワァ...なんだよッ!? おらの頭に、なにィぶっつけただ! ひでぇこと、するもんでねぇだよ! いってぇナニをぶっつけただよ...あぁ、また茶の湯だ...

引用元:「東西落語特選」
http://www.niji.or.jp/home/dingo/rakugo2/

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