たぬき
きつね、たぬきは人を化かす、と申しますが、きつねよりはたぬきの方が、こう、なんとなく失敗しそうで安心感というか親近感のようなものがございますが...
熊五郎 | おい、どうしたんだよ、こんな夜中に子だぬきがおれんちを、どうして尋ねてきたんだよ |
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たぬき | 親方、もう忘れちゃったんですか? あたし、子供に捕まってたぬき汁にされそうになってた、あの子だぬきです |
熊五郎 | ああ、あの時の...ああ、なるほど...いやぁ、別に助けたってほどのことじゃねぇけどよ、あんまり可哀相だったんでな、ま、ちょっとした気まぐれみてぇなもんだ。なに、礼を言ってもらうほどの事じゃねぇよ。 で、あれからどうしたぃ? |
たぬき | あれから山へ帰りまして両親にこのことを話しましたら、「お前は恩を受けたんだから恩返しをしなきゃいけねぇ、恩を受けて返すことを知らねぇようじゃ、たぬきも人間と同じだ」と |
熊五郎 | な、なんか聞いたような話しだなぁ... いやぁ、別に恩に着てもらうほどのことでもねぇんだ、相手は子供だったからちょいと小遣いやっときゃすぐに放してくれたしさ、それだって大した金じゃないんだ、ほんの小銭さ。ま、その気持ちだけでいいからさ。せっかく来たんだから、一晩だけ泊まっていきねぇ、それで明日朝になったら「恩返しした」ってことにして山へ帰りゃいいや。 へへっ、と言ってもうちは貧乏だから、客用の布団なんざねぇよ。 |
たぬき | あ、それ大丈夫です。ちゃんとぶらさげてますから... |
熊五郎 | ぶら下げてる? 股の間にブラブラと? あぁ、たぬきのなんとかは八畳敷だって聞いたことがあらぁ。なるほど...おぃ、ちょっとここに広げて見せろ。あの話しはほんとなのか? ほんとに八畳敷あるのか? なに? 決まりが悪い? 恥ずかしがることぁねぇ。 なに? まだ子供だから四畳半? へへっ、なんだよ、その半端なのは... ま、いいや、もう夜も遅いから、そこに広げて寝ちまいな |
たぬき | 親方、起きてくださいよ...親方、起きてください...親方... |
熊五郎 | へ...へぃ...す、すいません、お隣のおかみさん...いつも起こしてもらっちゃって...ふぁぁぁ~...いやね、夕べ遅くまでなんか妙なのが来てごちゃごちゃやってたもんだから... あれ? となりのかみさんかと思ったら、みかけない小僧さんだなぁ、お前さん、どこの小僧さんだい? |
たぬき | 夕べのたぬきです |
熊五郎 | なにィ、ゆうべのたぬきだァ!? じゃ、たぬきが化けられるって話しも本当なのか? |
たぬき | だめですよ、親方、そんな大声出しちゃ。そうなんですよ、何かお役に立ちたくて、たぬきの格好のままじゃマズいから、で、おかみさんに化けようかとも思ったんですけどね、出し抜けにおかみさんが現れたんじゃおかしいから、それでこうやって小僧に... ご飯の支度もしてありますから、向こうで食べたください |
熊五郎 | おぃ、ちょっと待ちなよ...ご飯の支度なんて、うちにゃ米も何も無いんだよ... ハハァ...話しにゃ聞いたことがある。飯だと思って食おうとするとこれが馬の糞だった、なんてよくあるんだそうだ...いやだよ、朝っぱらからたぬきに化かされるなんざぁ |
たぬき | 親方、大丈夫ですよ、大恩ある親方にそんなもの出すわけ無いじゃないですか... でも親方、このうちくらいなんにもないうちも無いですね...空になった米びつの裏でネズミが飢え死にしてましたよ...でね、あちこち探してたら、隅っこに古葉書が落ちてたんで、あたしがちょいと撫でてお金にして、それでお米屋さんでお米を買って、貰ったお釣で味噌と醤油と豆腐と油揚げと... |
熊五郎 | へっえぇ~ッ、そりゃ便利だ... 当分うちにいてくれ。いやいや、家賃なんざとりゃしないから安心していてくれ。ま、別に恩を売ろうってんじゃねぇけどよ、ひとつ、いろいろやってもらおう。 あっ、そうだ、さっそくだけどさ、もうじき越後屋って野郎がやってくるんだ。こいつぁとんでもねぇ野郎でさ、かけ払いの金がもう何年と無く払ってねぇからさ、もう溜りにたまって七円だ。それを図々しくも取り立てに来ようなんざ太てぇ野郎だろ? そいでさ、すぐ葉書都合するからさ、お前、ひょいとやって、札、こしらえてくれねぇか? |
たぬき | ...でも、それ親方が向こうの人に渡すんでしょ? ダメなんですよ、あたしが持ってる間はお札なんですけど、手から離れるとじきに元の葉書に戻っちゃうんですよ |
熊五郎 | え、そりゃまずいなぁ...そこんとこなんとかならねぇか? |
たぬき | それじゃ親方、あたしがお札に化けましょうか? |
熊五郎 | おぉ? そんなことできるのか |
たぬき | 大丈夫ですよ、化けられます。借金はいくらでしたっけ...七円...じゃあたし七円札に化けます |
熊五郎 | おい、ちょっと待てよ、そんな半端な札はないよ。一円札が七枚に化けてくれ |
たぬき | えぇ? それ、ばらばらの一円札でしょ...だめなんですよ、一匹一役なんですよ...じゃ、一円札が七枚縦につながったのでどうです? 切り取り線にミシン目入れて |
熊五郎 | バスの回数券じゃないんだよ 弱ったな、どうも... |
たぬき | じゃ、こうしましょう。 あたし、山へ帰って仲間の子だぬきを六匹連れてきます |
熊五郎 | ちょっと待ちなよ、うちはたぬきの幼稚園じゃないんだよ...でぇいち、そんなに待てねぇ、越後屋の野郎、じきに来るんだ... それじゃこうしよう、いっそお前十円札に化けなよ...でるきかい? できる! そりゃいいや、そいでさ、つりはパーンと向こうにやっちゃう、そうすりゃ向こうだって喜ばぁ。へへっ、そうしよう、そうしよう...おいおい、たぬこう、どこ行くんだ? いいんだよ、化けられなきゃ無理しなくても...え、化けるところを人間に見せちゃいけねぇ掟がある? へぇ、そんなもんかねぇ...お、化けたねぇ、これかい、十円札ってのぁ...ちょいとでかすぎないか、たたみ一畳ほどもあるぜ...間口から入り切れねぇ...もうちょいと縮まらねぇか? そうそうそうそう、そうだ、それっくらい...それでね、縦横の長さをちょっと変えてみてくれ... いやいや、反対だ、それじゃ真四角じゃねぇか...そうそう、ま、そんなところだな、よしよしうまいうまい。よく化けやがったなぁ。 そいじゃ、これを懐に入れて、よっ...と...やけに重たいねぇ。こういう重たいお札はねぇなぁ。もっと軽くなれ、軽く。 重みを変えるのが一番難しい? そんなこといったって、こんな重たいんじゃどうにもならねぇ、軽くなれ...そうそう、ま、こんなもんだな。 んーっ、うまいねぇ...よく化けやがったねぇ、こりゃどう見たって十円札...ちょっと、だめだよ...裏に毛が生えてるよ...なに、裏起毛は暖かい? 何言ってんだよ、おれぁどてらあつらえてんじゃねぇよ、毛を引っ込めろ、毛を...蚤が飛び出したよ...蚤とってくれ? おでれぇたねぇ、お札の蚤取りさせられるたぁ思わなかった... うん、うまい! これでどっちから見ても十円...て、どっちから見ても同じ絵柄じゃねぇか...裏表を付けろ! 裏の柄は地味なんだよ、両方同じじゃしょうがねぇじゃねぇか... よしよし、これでいいだろう。もうキズはねぇだろうなぁ... え? ぐるぐるやられたら目が回る? ああ、そうか、じゃこれでいいか? なに、頭が下だと血が下がる? いろいろ注文の多い札だねぇ。 じゃ、まぁ二つ折りにして懐に...な、なんだよ、ウギャッ、てのぁ...二つに折ると背骨が折れる...どこに背骨があるんだよ。この薄い中に背骨が入ってんのかい...おいおい、どこ行くんだよ...ションベン? どこにションベンする札があるんだよ、じきに越後屋が来ちまうんだからよぉ |
番頭 | ごめんなさいやし...越後屋でござんす |
熊五郎 | ほら、言わんこっちゃねぇ、来ちまったぞ、因業な番頭野郎だ。いいから懐に入ってろ! エホンッ...あぁ、番頭さんかい? お前さんが来る時分だと思って 今、十円札こしらえてたところだ。 へへっ、いやぁ、借りは七円だろ。わかってんだよ、だけどね、散々待たせちゃったからさ、つりはいらねぇや。ほら...遠慮はいらねぇって、持ってきな。ほら |
番頭 | なんか、いま妙な出し方なさいましたなぁ、真横に押し頂くように...十円札だから、扱いは丁寧に? あぁ、そうですか...ほほーっ、これはきれいなお札ですなぁ...あたしゃこんなきれいなのは始めてですよ、まるで出来立てだ。え、そのとおりだ? へへっ、ご冗談を...おや、親方、このお札、なんか生暖かいですよ |
熊五郎 | そ、そりゃそうだよ、おれぁいま懐に入れてたから、暖まってんだよ |
番頭 | そうですか、暖まって...それにしても親方、あたしゃよくお札を扱いますけど、こんなきれいなのは始めてですよ |
熊五郎 | おいおい、よしなよ、そんなにぐるぐる回すのぁ、目が回っちゃうじゃねぇか! |
番頭 | なんすかぁ? |
熊五郎 | いいんだよ、早く持ってきなよ |
番頭 | しかし、親方、こんなきれいな... |
熊五郎 | 頭が下じゃ血が下がっちまうじゃねぇか! |
番頭 | へ? |
熊五郎 | いいから、早く持ってきゃがれ! |
番頭 | そうでございますか...では遠慮無く頂戴いたします。また来年も伺います、どうも、まいどでございます... |
たぬき | ウギャッ! |
番頭 | な、何かおっしゃいましたか? |
熊五郎 | だめなんだよ、二つに折っちゃ、背骨が折れちゃうじゃねぇか...そのまんま、真っ直ぐに懐に入れて、そのまんま帰っちまいな |
番頭 | そうでございますか...何だか分かりませんけど、ありがどうございました...では失礼いたしますです... |
熊五郎 | はは、けぇっちまいやがった...しかし、たぬきの野郎、大丈夫かなぁ...うまく帰ってこられりゃいいが... |
たぬき | ハァ、ハァ...ただいま帰りました! |
熊五郎 | おお、帰って来たか、どうだった? |
たぬき | いやー、驚きましたよ...親方ってのぁ他人に信用が無いんですねぇ、あの番頭さん、表へ出たとたんに「あのうちにこんなきれいな十円札があるわけがない」ってんでね、あたしを取出すってぇと御天道さんに透かしてみて、こう裏表撫で回して、もうあたしゃ気持ちが悪くってしようがなかったんですけど、「こりゃ確かに十円札だ」って納得したんですね。 それで今度はあたしをふたつに折って財布に入れちゃったんです。あたしゃこんな小さながま口の中へ入れられて、股ぐらに頭突っ込んじゃって苦しいの何の。 おまけに、番頭さんががま口の上からポーンとひとつ叩いたもんですから、あたしゃ腹へ力が入って、ブーッて...やっちゃったんです。 狭いがま口の中でしょ、もう臭いの何のって、こりゃたまんねぇっ、てんでがま口を食い破って外へ出るときにふと目に付いたのが本物のお札なんですよ。 それでね、お土産に五円札三枚、持って来ちゃいました... |
たぬきの恩返しというお噂でございました
引用元:「東西落語特選」
http://www.niji.or.jp/home/dingo/rakugo2/
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