寿限無
古今東西、いろんな神様がございます。外国の神様、キリスト教やイスラム教の神様なんかは人間どもの雑事を一手に引き受けて、全責任を負ってらっしゃるそうで、まことにご苦労な話でございますな。
そこへ行きますと、日本の国の神様はこれはうってかわって権限の一極集中ということはございません。一応、総理大臣のような神様はいらっしゃるんでございますが、さて、日常の細々としたことは、というとそれぞれ担当の神様が控えてらっしゃって、すべてそちらにお任せでございます。中でも縁結びなんか、合議制で決められるんですな。昔は神無月と申しました。全国の神様が出雲へ集まって、一ヶ月にわたる会議を開きます。全国縁結び連絡協議会ですな。若い男女のどれとどれをくっつけるか、ここで話し合って決める。だから、妙なのとくっつけられたり、三角関係になったりしても文句を言っていく先がどうもハッキリいたしません。ま、今も昔も、上つ方のありようは似たようなものの様でございます。
ま、そんなこんなで縁あって夫婦ができあがります。やがて...えぇと...まあ、いろんなことをやっている間に、めでたく御懐妊ということになる。十月十日たちますてぇと、おぎゃあとベビーが生まれて参るという算段でございます。
さて、めでたくやや子が誕生という段になりますと、今も昔も変わらず、最初に親御さんが悩まされるのが、お子様のお名前ですな。こればっかりは本人に相談するわけにも参りません。名前にもその時々の流行というモノがありますから、古臭い名前はいやだ、といって派手過ぎるのも品が無いし、平凡なのは可哀相だけど、妙な名をつけてあとで怨まれてもつまらない...などといろんな事を考えまして、結局誰かに相談しよう、なんてことになりますな。
よく当たると評判の易者のところへいく、近所の物知りの御隠居に相談する、実家のおじいちゃん、おばあちゃんにたずねてみる...いろいろございますが、昔はてぇと、檀那寺の和尚さんに名付け親になってもらうなんてことがよくありましたそうで...
八五郎 | お、おい、おっかぁ...おっかぁ... |
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かみさん | なんだよ...赤ん坊が起きちまうよ... |
八五郎 | へへへっ...あ、あれだなぁ、赤ん坊の寝顔なんざ、いくら見てても見飽きないもんだなぁ |
かみさん | そうかい? いくら見たってそうかわりばえしないんじゃない? |
八五郎 | そうでもねぇぜ。まだ生まれて何日も経たないってのに、ずいぶんしっかりしてきたんじゃねぇか? |
かみさん | そういやそうだねぇ、生まれたての時は真っ赤でさ、しわしわで...頼りなくってさ |
八五郎 | なんか、面構えが偉そうになってきやがったぜ、このガキ...明日あたり歩き出すんじゃねぇか? |
かみさん | それは無理だよ |
八五郎 | 来月にゃヒゲが生えてきたりして...そのうち女郎屋通い始めやがるぜ |
かみさん | 馬鹿言ってんじゃないよ、この人は...明日でやっとお七夜なんだよ |
八五郎 | おしちや? なんだ、そりゃ...質屋へ挨拶に行くのか? まぁ、そりゃそうだな...これから先ずっと世話になるんだからな。これがうちのせがれでございます。親父ともども変わらぬごひいきを願います... |
かみさん | 何言ってんだよ、違うよ、まったく、貧乏臭いこと言わないでおくれよ。七つ目の夜、って意味だよ。名前を付ける日なんたよ |
八五郎 | なんだ、そんな日があるのか...まぁ、そりゃそうだよな。いつまでも「このガキ」じゃ具合が悪いや...で、どんな名前つけようか。おれが八五郎だから、「九六郎」なんてどうだ? |
かみさん | よしとくれよ、そんないい加減な名前! |
八五郎 | お前...いい加減って言い草はねぇだろう |
かみさん | だいいち、「くろうろう」なんて、いかにも先々苦労が絶えなさそうな名前じゃないか。あたしゃさ、もっと達者で長生きができてさ、おまんまの苦労をせずにすむような名前を付けてやりたいんだよ |
八五郎 | ま、そりゃぁ、それに越したことはねぇけどよ |
かみさん | どうだろうね、お寺のお坊さんに付けてもらう、ってのは |
八五郎 | 寺の坊主!? よせよ、縁起でもねぇ、寺なんざ、死人が出た時にしか用がねぇじゃねぇか。坊主なんぞに名前つけられた日にゃ、弔いの申込みしたようなもんだ... |
かみさん | 馬鹿をお言いでないよ! いいかい、「凶が吉に返る」って言葉があるんだから。それにお寺のお坊さんってのは物知りなんだから。経文に出てくるおめでたい、ありがたい言葉をたんと知ってるんだよ。お前さんが無い知恵絞るよりもよっぽどこの子のためにいい名前を考えてくれるに違いないんだ。『おめでたくて、長生きが出来るような名前をお願いします』って頼んでおくれ。 あんた、父親の初仕事だよ |
八五郎 | ...ち...ちちおやのか... へへっ...じ、じゃさっそく行って来るよ |
かみさん | ちょっと待ちなよ、もう夜中だよ、明日になさい! |
さて、翌朝のことでございます。もう八五郎は居ても立ってもいられませんで、明け六つ (午前六時ごろ) の鐘と同時に長屋を飛び出しますと、檀那寺へとやって参ります
八五郎 | おはよっす! ごめんください!! 和尚さん、 和尚さぁんっ、いますかぁっ!! |
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和尚 | え? ああ、これは八五郎さんではないか、お珍しい...えらく早くに、血相変えて...何かございましたかな... |
八五郎 | ええ、実は和尚さんにお願い事がございまして! |
和尚 | 願い事? はて...お前さん、最近、お子が出来たと聞いておりましたが...こう早朝に息せき切っての願い事とは...さては弔いの... |
八五郎 | ば、馬鹿なことを言っちゃいけねぇ!! そうじゃねぇんで! うちに生まれたってぇのが、オス野郎のガキの男の坊ちゃんでね、こいつが今日で初七日...じゃねぇ、お、お質流れ...じゃねぇ... |
和尚 | お七夜? |
八五郎 | そうそう、 そ、そのしちやなんでさぁ、それでもって、物知りで訳知りで腹黒い和尚さんに、高慢ちきでこぎれいな名前を付けてもらいてぇってなわけで、来ってわけなんでさぁ。 さぁ、名前! 名前付けてくれぇっ! |
和尚 | ま、まあ、奥へ上がって、ちょっと落ち着きなさい。そうか。男の子が...それはおめでたい、うぉっほっほ。いやいや、お前さんの家の跡取りの名付け親になれるとは、拙僧としても身に余る幸せじゃ。お役に立てることでしたら、いくらでも骨折りいたしますぞ。 で、どのような名をお望みかな? |
八五郎 | いやぁ、どのようななんてことはねぇンですけどね、かかぁの言うにゃぁ、おめでたくって、長生きが出来そうで、食いっぱぐれのねぇ名前がいいんじゃねぇかってぇんですけどね、そんな名前の出物、ありますか? |
和尚 | 「出物」ということがあるか...はあはあ、なるほど、長生きか...親なればこそじゃな...ふむふむ。 こんなのはどうじゃな。「鶴は千年」という言葉がある通り、鶴はたいそう長生きをする鳥だそうな。しかも誇り高く、気高く潔い鳥だそうでたいそうおめでたい。どうじゃな。鶴之助、鶴太郎なぞは... |
八五郎 | 千年? そりゃちょっとケチ臭くねぇですか? もう一声、長生きの名前ってねぇですか? |
和尚 | 千年で不足なら、「亀は万年」というぞ。亀之助、亀太郎ではどうじゃ |
八五郎 | 万年で死んじまうんですか...グスッ...親不孝なガキだ...親より先に死ぬ... |
和尚 | お前さん、いったい何歳まで生きるつもりじゃ? |
八五郎 | 和尚さん、そんな、期限付きの名前なんてのは景気が悪りぃや。無期限の名前ってのは無いですか、一生涯ずっーと死なねぇような |
和尚 | お前さん、それは無理というものじゃ。人間、オギャーと生まれたのが死する始めというぞ。不老不死というのは望んでも叶えられるものではない、また望むべきものでもない...いや...ああ、そうじゃ、今思い出したが、「無期限の寿命」を表す言葉がお経の中にあるなぁ、うむうむ。お前さんは知るまいがな、『無量寿経』という阿弥陀様のありがた~いお経じゃ。なむあみだぶ、なむふみだぶ...その中に「無量寿」という言葉がある。これが「量り知れない寿命」というような意味じゃ。これを...といって、子供の名が「無量寿」...というのもおかしいが...どうじゃな、これを含んだ言葉として「寿限無」というのは? |
八五郎 | はぁ...じゅげむ、無期限の寿命? へぇ、そりゃ長生きしそうだ。そういうの、他にも何かありませんかねぇ |
和尚 | では同じく経文に出てくる言葉じゃが、「五劫の擦り切れ」というのはどうじゃ? |
八五郎 | 四光、五光ってのは知ってますけど、「擦り切れ」ってなんです? |
和尚 | お前さんの言っておるのは花札ではないか? 「五劫の擦り切れ」。こんな言葉はよほど学が無いと出るものではないぞ、うむ。「劫」というのはな、時を表す言葉じゃ。あるところに十里四方もある大岩があってな、そこへ三千年に一度、天人が天下りして、着ている「羽衣」という薄い着物でその岩をサラリ...と擦るのじゃ。こうして三千年に一度サラリとやられた岩が擦り切れて無くなってしまうまでの時間を「一劫」というのじゃ。それが五つで「五劫」。「五劫の擦り切れ」とはすなわち果てが無いのも同然じゃな |
八五郎 | なるほど...いや、これはさすがに和尚さん、学がありますねぇ...他に何かありませんか |
和尚 | 「海砂利、水魚」というのがある |
八五郎 | カイジャリ...? な、なんです、そいつは? |
和尚 | 海の砂利、水に棲む魚。数えても数え尽くせないものじゃ |
八五郎 | へへっ、そりゃそうだ |
和尚 | 水行末、雲来末、風来末というのはどうじゃ。水の行く末、雲の来る末、風の来る末...これらはみな果てしない... |
八五郎 | いよっ、もう一声! |
和尚 | なんじゃ、それは...そうじゃな、人として生まれてきて、生きていく上で大切なものといえば「食う寝る所に住むところ」これが備わるということはまことにありがたいことじゃ |
八五郎 | あ、そりゃそうだ。かかあもそんなこと言ってましたよ、ええ。これさえありゃぁあとは何とかなりますからねぇ |
和尚 | 薮柑子(やぶこうじ)という植物がある。これは昔から百両金を表す印として用いられることもあってな、たいそうおめでたいとされておるな |
八五郎 | はぁ、やぶこうじ...ですか |
和尚 | 昔、唐土(もろこし)に「パイポ」という国があってな、そこに「シューリンガン」という王様と「グーリンダイ」というお后があったそうじゃ。その間に生まれたのが「ポンポコピー」と「ポンポコナー」という二人の姫君。この二人がたいそう長生きをしたそうじゃ |
八五郎 | ...ヘイヘイ... |
和尚 | なんじゃ、疑っておるのか? |
八五郎 | いや、そういうわけじゃねぇんですけどね...他に何かありませんか? |
和尚 | まぁ、わかりやすいところでは「長く久しい命」と書いて「長久命」。これなんか、なかなかいいぞ |
八五郎 | へぇ、もう一つ何か |
和尚 | 「長助」。どうじゃ |
八五郎 | なんかだんだんあっさりした名前になってきやしたね...もういっちょう、おまけで! |
和尚 | もう、このくらいでよかろう... |
八五郎 | そんな嫌そうな顔しなくても...まぁずいぶん考げぇてもらいましたから、この辺でなんとか手打ちにしやしょう。じゃ、そいつを全部紙に書いてください。かかぁに見せて相談しますから |
和尚 | ...今のを紙に...全部? わしが書くのか...? 最初の方はもう忘れたぞ... |
それでもなんとか思い出してもらって、長々と書いた巻き紙を持ってやっこさん家へと飛んで帰ります。
八五郎 | おっかあ! 名前、考げぇてもらったぞ! この紙を見ろよ、この紙を! |
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かみさん | まぁ...ずいぶんといろいろ書いてもらったねぇ |
八五郎 | それ、みんな曰く因縁のあるめでてぇ名前だそうだ |
かみさん | ジュゲム...? なんだい、この「ジュゲム」って...何か、毛虫みたいで、やだねぇ... |
八五郎 | 毛虫じゃねぇ、罰が当たるぞ。そりゃ、おめえ、阿弥陀さんがらみの由緒ある名前だぞ。...ジュ...ってものがさぁ...ケムに巻くんだ。めでてぇだろう! |
かみさん | そうかい? あたしにゃ何が何だか分からないけどね、これ、みんな人の名前かい? |
八五郎 | そうさ。だから、この中からひとつ選びなよ |
かみさん | あたしにゃよくわからないよ、その「曰く因縁」ってやつが。お前さん、和尚さんから聞いてきたんだろ、お前さんが決めておくれよ |
八五郎 | よせよ、おれぁこう見えても江戸っ子でぇ。右の耳で聞いても左の耳から出て行くじゃねぇか。聞いたことなんざいちいち憶えておけるけぇっ |
かみさん | 何を自慢してるんだよ |
八五郎 | だいたいさ、今はこれがいいと思ってもさ、あとであっちにしときゃ良かった、こっちが良かった、なんて思うにちげぇねぇんだ。だからさ、いっそのこと、これ残らずぼうずの名前にしちまおう |
かみさん | えぇ? それ全部? それじゃ...ちょっと長すぎないかい? |
八五郎 | いいんだよ、芝居なんかみてもさ、偉れぇ野郎ってのは、長げぇ名前を付けてるものなんだよ。ええっと...「なんとかなんとかのかみなんとか」とかさ |
かみさん | お前さんのは「なんとか」ばかりだねぇ |
八五郎 | うるせぇ、なんだってかまやしねぇや。でぇいち、少しくらい長げぇからって捨てちまうのは勿体ねぇや |
と子供に長い名前をつけました。
さて、名前の長さはほどほどがよろしいようで、年寄りが「ほーら、タケ坊、いないいない、バー」なんてあやしますてぇとタケ坊もニコニコ笑ってくれましょうが、ここんちの子はそうはいきませんな。
「ほーら、寿限無、寿限無、五劫の擦り切れ、海砂利水魚、水行末、雲来末、風来末、 食う寝る所に住む所、薮ら柑子のぶら柑子、...パイポ、パイポ、パイポのシューリンガン、シューリンガンのグーリンダイ、グーリンダイのポンポコピーのポンポコナーの長久命の長助ちゃん、いないいない、バー...」ガクッ
「あぁっ、おじいちゃん、死んじゃった!」
なんて、一息で言うと命懸けですな。
海苔屋婆 | ハイ、ごめんなさいよ... |
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八五郎 | あぁ、海苔屋のばあさん。いらっしゃい |
海苔屋婆 | 赤ちゃんに名前がついたんだってねぇ...おめでとさん。なんたって、あたしゃ、この歳だからねぇ、間違えちゃいけないから紙を見ながら言うからね、間違ってたら教えとくれよ。えぇーと... 寿限無、寿限無、五劫の擦り切れ、海砂利水魚、水行末、雲来末、風来末、食う寝る所に住む所、薮ら柑子のぶら柑子~、パ~イ~ポ、パ~イ~ポ、パ~イ~ポのシュ~リンガ~ン、シュ~リンガンの~グ~リンダイ~、グ~リンダイのポンポコピ~のポンポコナ~の長~久~命の長~助さ~ん...なんまんだぶ、なんまんだぶ... お焼香はどこだい? |
八五郎 | うちの子は死んじゃいねぇ!! |
なんて調子で、騒ぎは一向におさまりませんが、それでもこのおめでたい名前のお陰ですか、寿限無、寿限無、五劫の...いや、要するにこの子は病気もせず、怪我もせずに大きくなりまして、いよいよ学校へ上がる歳になりました。その入学式の当日でございます。朝早く、近所の子供たちが迎えに参りまして・・・
近所の子 | 寿限無、寿限無、五劫の擦り切れ、海砂利水魚、水行末、雲来末、風来末、食う寝る所に住む所、薮ら柑子のぶら柑子、パイポ、パイポ、パイポのシューリンガン、シューリンガンのグーリンダイ、グーリンダイのポンポコピーのポンポコナーの長久命の長助ちゃん、学校行こう! |
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かみさん | おやまあ、タケちゃんたち、朝、早いんだねぇ。うちの寿限無、寿限無、五劫の擦り切れ、海砂利水魚、水行末、雲来末、風来末、食う寝る所に住む所、薮ら柑子のぶら柑子、パイポ、パイポ、パイポのシューリンガン、シューリンガンのグーリンダイ、グーリンダイのポンポコピーのポンポコナーの長久命の長助はまだ寝てるんだよ。ごめんね、いま起こして来るから、ちょっと待っててね。 これ! 寿限無、寿限無、五劫の擦り切れ、海砂利水魚、水行末、雲来末、風来末、食う寝る所に住む所、薮ら柑子のぶら柑子、パイポ、パイポ、パイポのシューリンガン、シューリンガンのグーリンダイ、グーリンダイのポンポコピーのポンポコナーの長久命の長助! 起きなさい! まったくいつまで寝てるつもりだい! 今日から学校だって言うのに! 起きなさい、起きなったら... ちょいと、お前さん、寿限無、寿限無、五劫の擦り切れ、海砂利水魚、水行末、雲来末、風来末、食う寝る所に住む所、薮ら柑子のぶら柑子、パイポ、パイポ、パイポのシューリンガン、シューリンガンのグーリンダイ、グーリンダイのポンポコピーのポンポコナーの長久命の長助ったら、まだ起きないんだよ!! お前さんからしかってやっておくれよ |
八五郎 | 何ぃ? 学校上がる初日っから寝坊たぁ、どういう料簡でぇ! とんでもねぇ野郎だ。おぅっ、寿限無、寿限無、五劫の擦り切れ、海砂利水魚、水行末、雲来末、風来末、食う寝る所に住む所、薮ら柑子のぶら柑子、パイポ、パイポ、パイポのシューリンガン、シューリンガンのグーリンダイ、グーリンダイのポンポコピーのポンポコナーの長久命の長助! 起きやがれ! |
近所の子 | おじちゃん! もう学校、夏休みになっちゃったよ!! |
引用元:「東西落語特選」
http://www.niji.or.jp/home/dingo/rakugo2/
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