蛇含草
売り言葉に買い言葉、てなことを申しますな。言わいでもええことをつい言うてしもうたために、後でえらいことになった、てな話しをよう聞きます。ことに、夏、ですな。暑い時分には、そうでなくてもイライラ、イライラとするものでございまして...
辰 | ごめんやす、いてなさるか? どうです、もう暑いやおまへんかいな、もうどうにもなりまへんわ! あんた、まだこうしてうちの中にいてなはるからよろしいわ。いっぺん表、出てみなはれ。背中からジリジリ、ジリジリと焦げて来まんねんで! |
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ご隠居 | おぉ、これこれ、そんなあほなこといいなはんな。人間が焦げたりするかいな...これこれ、おまはん、なんぼ暑いからちゅうて、そんな格好でうろうろするもんやないがな、帷子の甚平さん一枚で、下はふんどし一本やないかいな。甚平さんてなもんはな、涼しいように見えて、その実、日が通るさかいに却って暑いちゅうことも考えなあかんで。まあまあ、こっちお入り |
辰 | 入らしてもらいます、へぇ、どっこいしょ...あぁ、ここへ座らしてもらうだけで涼しいて生き返るようですわ。もう体中の汗がすーっと引くような心持ちでまことに結構ですわ |
ご隠居 | いやいや、別に涼しいてなことはないけどな。まぁ、このとおり風だけは通るでな、それだけは喜んでます |
辰 | 何を言うてなはんねん、風が通ろうと通るまいとね、お宅へ寄せてもろうてここへこうして座らしてもらうだけでね、体中の汗が引く、というのはね、お宅は掃除というものがが行き届いてまっしゃろ。ありがたいことでっしゃないか。まず表の戸。手を掛けるかかけんかのうちにカラカラ、カラカラと軽うに開きまっしゃおまへんか。それだけで心がスッとしますが。庭はスッキリと掃いたぁる、お部屋はこのとおり、きれいに片付いてはる、縁先には箒目が入ったぁる、すだれが吊ったぁる、風鈴が鳴ってる、金魚が泳いでる。うちとはエラい違いですわ。 うちやなんか、わたいが暑いあつい仕事先から帰って来まっしゃろ。まず表の戸だ。そもそもこれからしてカラカラやなんて開きまへんで。ガタ、ゴト、ガタ、ゴト...表の戸開けるだけで汗がドドッと出て、体中ベチャベチャですわ。庭には紙屑が放り出したぁる、隅にたらいが放り出してあっておむつが突っ込んで放ってある。部屋の中はホコリだらけや、お膳は出しっぱなし、布団は万年床、ガキはギャアギャア泣きよる。西日は射し込んでくる...もう、暑うて、暑うて! |
ご隠居 | はっはっは、そ、そない言うたら聞いただけで暑いわい |
辰 | お宅はこうして花ゴザてなものを敷いてはりまっしゃろ、素足で歩くと足の裏がひんやりして、これがまた涼しい。わたい、これだけでも何とか手に入れよ、思いまして、こないだあちこち見て回りましたけど、あきまへんわ。高い。とてもわたいらの手に入るもんやおまへんな。 おぉ、床の間に、掛かってますな、掛け軸。墨絵、ちゅうやつでんな。これがまた涼しい。ゴチャゴチャ色塗ってあると暑苦しいもんやけど、墨一色でスーッと...え? いやいや、わたいら絵のことなんか分かりますかいな。分からんけどね、こんなん見てんの何となく好きでんねん... ...(コホン)... ねぇ、ちょっと...なんでんねん、あの...床柱のところになんや薄汚い草みたいなもんが吊ってまんなぁ...いかんなぁ、いま誉めたとこでんがな。部屋が片付いてきれいになってるちゅうのに、あんなところにあんなもん吊るしといたら台無しでんがな。あの草、ほかしてしまいなはれ。捨ててしまいなはれ |
ご隠居 | え? あぁ...ははは、これはエラいものが目に入ったなぁ。いやいや、あれはな、ただの草とは違うで。「蛇含草」というてな、知ってるか? 知らんじゃろ。わたしも初耳じゃったんじゃがな、なんでも大きな山の谷合に生えてる草じゃそうな。こういう山の中には山の主(ぬし)といわれるような大きな蛇、おろちとかうわばみとか呼ばれる蛇が住んでるのじゃ。これは普段はサルやとかウサギとかを餌食にしてんねやがな、時には道に迷うた旅人とか猟師とかを丸呑みにすることもあるのじゃそうな。なんぼうわばみが大きいちゅうても、やっぱり人ひとり丸呑みにしたらえらいもんでな、腹がプクーッと膨れてのた打ち回って苦しむらしい。その時に谷あいに降りていってこの草をチョイチョイと舐めると、腹の中の人間がたちどころに融けて腹の張ったうわばみが助かるそうじゃ。「蛇が含む草」と書いて「蛇含草」という。魔除けになるとかいうて知り合いが持ってきてくれたんじゃ |
辰 | うわばみの腹薬!? 腹の張ったうわばみが助かりますのん? 人間が融けて? へぇ!? いやいや、聞いてみんと分からんもんやなぁ。面白い草がおまんねんなぁ...いやいや、うちもちょいちょいと知り合いが訪ねて来まんねんけどね、いたって愛想のないうちで、あんなんちょっと見せて、今の話ししたら喜ぶと思いまんねんけど...その草、ちょっと分けてもらうわけには... |
ご隠居 | ああ、ええで。こんなもんたんとあっても仕方がない。よかったら半分ほど上げるで |
辰 | いや、そんな半分もいりますかいな。一房で十分でんがな。ほたらちょっと取らしてもらいます...あ、すんまへん、勝手にとってしもうた...ははは。ほな遠慮なく...これやからどんならんねん、この甚平さんてなやつ。ふところはない、たもとはない。入れるところおまへんがな。ま、よろしいわ。この合わせ目の紐に結んで...と、これで忘れる気遣いおまへんんわ。いやいや、年のせいかこの頃物忘れが酷うてどもなりまへんわ。朝持って出たものが夕方になったらもうどっかに忘れてのうなってますねん。毎日かかに「あほっ」て怒られてますねん、はははは...ちょっと、なんでんねん。この暑いのに、火いこしたりして...お茶やったらわたい結構でっせ |
ご隠居 | いやいや、そうやない。親戚で祝い事があってな、餅を仰山持ってきてくれた。いつまでも置いといたら暑いときのこっちゃで、すぐに黴が生えてしまうで、今から焼いておまはんと食べようと思うてな。お前さん、餅はお嫌いか? |
辰 | も、餅? うわぁ...はっ、はっ、はっ、う、うわぁぁ...ほんに白うて美味そうな餅やナぁ...堪らんなぁ... |
ご隠居 | 「堪らん」て...お前さん、餅、好きか? |
辰 | 「餅すきか」? 「好きか」なんて言うてはるだけ手後れだっせ。日本の国に人間が何人おるか知りまへんけど、「餅が好き」ちゅうことではわたいに並ぶ人はちょっといてないと思いますわ。もう「餅」という言葉を聞いただけでハラの虫が、キュルルル、キュルルルルル...「食いたい、食いたい」て鳴いて... |
ご隠居 | ははは、よほど好きと見えるな...しかし、おまはん、この間わたしとこで愛想したとき、お酒をずいぶん呑んでたが... |
辰 | わたい、お酒も好きです |
ご隠居 | ははは、得な性分じゃな。するとおまはん、「雨風(あめかぜ)」やな |
辰 | あめかぜ? なんでんねん、それ |
ご隠居 | お酒を呑み、甘いものも食べる人のことを雨風という |
辰 | へぇ、雨風...どっちが雨でどっちが風でんねん |
ご隠居 | いや、そら知らんが...「酒は米の水」という言葉があるさかいに、酒が雨かな |
辰 | へぇ、酒が雨ねぇ...ほたらなんで餅が風かいな...ほほっ、夏の餅は焼けるのが早い。もう膨らんできよった...プクゥーーーーッと膨らんで...あぁ、ぷしゅ~っと...はは、餅は風や |
ご隠居 | おいおい、子供みたいなこと言うてんねやないで |
辰 | うわぁ、ははは、ええ具合に焼けて来よった...ほほっ、こ、これ、この真ん中の...こいつ、これもういけまっせ。もう焼けてま、焼けてま。これこれ、これでんがな。いや、別に食いたいから言うてんねやないけども、こんがりとキツネ色に焼かなどんならん。真っ黒けに焼いてしもうたら美味うない、もう火からおろさんと...これ、食えへんねやったら脇の餅と場所入れ替えなはれ、餅の焼きようは難しおまんねん。今やがな、今いかんならん。食い頃や、食い頃。今がちょうど食い時...あかんて、片意地な人やなぁ...いま食わんと...ふふぁ、ふぅっふぅっ、ふふぅぁははぁっ、ちちち、あぐっ...ふわぁ~...はは、な、言いましたやろ、もう焼けてるて。これなかなか粘りのある、ええ餅でんなぁ |
ご隠居 | ......(うぉほっ)...わたしが...お上がり、とでも言うたかえ? |
辰 | あ、あんた、怒らはったん? |
ご隠居 | 怒るわけやないけれども、亭主たるわたしがまだ手もつけてないうちに、勝手に取って食べるやなんて、あんまり人をないがしろにしたやり方やないか? あんまり人を見下げたやり方やないか? |
辰 | ......(うぉっほーんっ!)だいたい、わたしとあんたは... |
ご隠居 | 大きな声出さんもええ。言わんでもわかってる。ずいぶんと昔から付き合うてる。古くからの友達や |
辰 | そうや、そうやな。ずいぶん昔からの友達やな。ましてわたし、餅が好きや言うてますやないか、これほど餅の好きや人間はないやろ、と言うてますやないか。あんたが普通の人間やったら、わたしがくれと言うより先に、醤油でも砂糖でもつけて、さあどうぞお上がりと言うのが礼儀ちゅうもんと違いますかえ? あんたがその礼儀知らんのやないかいな。礼儀知らんような人には、こっちから先に手ぇ出して、ほご、ほごごご、はふははふふはふ、むしゃ、もぐぐぅぅぅっ... はぁ...... と、餅食わなしゃあない |
ご隠居 | ......わたしゃぁなぁ、別に餅を食うたのをとやかく言うてんのとちゃうで。おまはんが欲しいと言うのならこの餅箱の餅、全部食うたとて、とやこう言うもんやないで。しかしや、それでは人間として... |
辰 | へぇ、ほたらなんですか? その餅箱の餅、全部食うても、よろしいの? |
ご隠居 | ......ほう、念を押すところを見ると、この餅箱の餅、みな食べるちゅうの? ......フン、面白い。食べさそ。全部食べさそ。そのかわり、そんな偉そうなこと言うて、この餅箱の餅、たとえ一つでも残したら承知せんで |
辰 | 残しまへん! なーにを言うてまんねん。あんたは知りはらしまへんやろうがな、毎年京都で「大食会」ちゅうのが開かれますねん。大食いの大会ですわ。大食会。わたい、その会でナニしてると思てなはる? 小結? 関脇? 大関? なーんの! へへ、幹事だす。わたい、幹事してまんねん。餅箱いっぱいくらいの餅なら、餅箱ごと焼いて食うわい! |
ご隠居 | も、餅箱ごと!? そーんな偉そうなこと言うて、たとえ一個でも... |
辰 | 残しまへん! え? 砂糖? 醤油? なーんの! そんなもん付けなよう食わんような素人とは違いまんねん。はばかりながら「餅を食おう」と思うて食い始めて、三十二年だす、はははは。さぁ、焼きなはれ、焼きなはれ。しかし、あれだんな、人は怒らしてみるもんだんなぁ。ははは、好きな餅が腹一杯、ただ食べられるやなんてこんな結構な話しはおまへんで。 しかし、ただ黙って餅だけ食うてるやなんて、あんまり愛想がおまへんなぁ。どうだす、この辺で、餅の曲食いをお目にかけまひょか。餅の曲食い。はは、こういうことはよほど餅を食うてないとでける芸やおまへんで。まあ嘘でも二十五年は食うてないとでけまへん。よろしいか、まずは「餅のほうり受け」だす。ポーンと投げ上げた餅を、手は一切使わずに口で受けて食う。よろしいか、いきまっせ。よっ! あくっ! ほご、ほごごご、はふははふふはふ、むしゃ、はふふはふ、もぐぐぅぅぅっ... う、こ、これが小手調べだす。こんなんはちょっと練習したらでけます。どんなアホにでもでけます。あんたにもでけます。こんどは餅が二つになります。やることはおんなじやけど数が増えます。よろしいか、みてなはれや... よっ! あくっ、あがっ! ほご、ほごごご、はふははふふはふ、むしゃ、はふふはふ、もぐぐぅぅぅっ... う、ど、どないだす... こ、こんどはちょっと難しおまっせ。ポーンと放り上げた餅をね、いっぺんでぼちんでポーンと弾ませてから口で受けます。これはなかなか難しおまっせ、「美濃の滝食い」ちゅうてね。見てなはれや、いきまっせ... ほらーっ、ああ、しもうた、天井に張りついた! |
ご隠居 | 何をすんねん! |
と、売り言葉に買い言葉で始まったことですが、勢いというのは恐ろしいものですな。餅箱にいっぱいあった餅をぜーーーーーーーーーんぶ食べてしもうて、あと二つだけ残った。
ご隠居 | ......どうしたんや? ......餅、あとふた~つ、残ったぁるで? |
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辰 | ......ぶ...ぶヴぁふぁ...ぐぅもぁぁああぶぁは... |
ご隠居 | そんなからだ揺すったって入らせんて...おまはん、さいぜん、なんちゅうた? 餅箱いっぱいの餅なら餅箱ごと焼いて食う、ちゅうたんやで。箱は人間の食べるものやないが、残ったふたつの餅、さっさと食うて見せい! |
辰 | ......げふ...あ、あやまる......もちが...オニに...見える...もう...帰って寝る... |
ご隠居 | はっはっは、そうか、よっしゃよっしゃ、よう謝った。食えなんだら、食わんでもええ。最初からそうやって謝ってくれたら何にも根に持つようなこっちゃないねん。ええからうちへ帰って休み。ただ、そのまま横になって寝たらあかんで。なんで、てそうやないかい。喉まで餅が詰まってんねやないかい。表に出たら車に乗せてもらい。なるべく道の悪いところを走ってように揺さぶってもらい |
辰 | へぇ、おおきに、ありがと...すんまへんけど...鏡、貸してもらえまへんか |
ご隠居 | いまさらおしゃれしてどうしょうちゅうねん |
辰 | いや、そうやおまへん...下を向いて下駄が探せん...いま下向いたら、耳や...鼻の穴から...餅が出る |
ご隠居 | 汚いなぁ...あたまの中まで詰め込みよったんかいな。ほら、これ使い... |
辰 | おおきに、ありがと...わたいの下駄は...ああ、あった...うぷっ...うぶぶぶぶ...ほな...さいなら...うぷっ... ああ...しもうたなぁ...ちょっと遠慮しとったらよかった...心安いもんやさかいに...ついカッとなって...意地張ってしもてこのザマや... ああ...悔しいなぁ...お咲...今...帰った... |
女房 | な、なんやのん、おかしな顔して...また道端で妙なもん拾い食いしたんとちゃうか? |
辰 | やいやい言うな...ふとん敷いてくれ...いや...ナニも聞くな...もう寝る... そこ、ピシャッと閉めといて...誰が来ても会わんぞ... ああ...しもうたなぁ...なんぞハラがペコッとへこむ工夫、ないかいな...あったら、あの残った餅ふたつ、食うたんねやけどなぁ...「餅、食いに来たぞ!」ちゅうたったら、隠居はん、びっくりしよるやろうなぁ...なんぞ...ハラの... ......あった ......これ食うたら腹の張ったうわばみが助かる、うわばみの腹薬...蛇含草...ええもんもろうてきたなぁ。これ食うたろ...あくっ、くわっ...青臭いもんやなぁ...モグモグ...ウシやがな...情けない... |
ご隠居 | 辰っさん、帰ってるか? |
女房 | ああ、おこしやす、へぇ、いまし方、妙な顔して... |
ご隠居 | そうやろ、いやいや、わしがうちで餅焼いてたらそこへ来て、えらい行儀の悪いことしよったんでな、そのことを言うてやったら、またそれを根に持ってぎょうさんに餅食べよってな。その時に言うてやってもよかったんじゃけど、そこで言うとなんやうちが食い物惜しんでるように思われても片腹痛いんでな、食わすだけ食わしといて後で言うたろと思うたんじゃが、「もう、謝る」なんて言いよってな、ま、笑うてすんだてなことやけどな...え? 奥で布団敷いて寝てる? いかんいかん、喉まで餅が詰まってんねんで、そんなことしたら息が詰まって下手したら死んでしまうやないかいな! どんならんが、いいや、わしが行く、わしが行く。 なんじゃいな、この暑いのにこないに締め切って、これこれ、わしじゃ、ここを開けなされ、これ、わしじゃ! ここを開けなされ!!! |
シューッ! とふすまを開けますと...
餅が甚平さんを着て座っておりました...
引用元:「東西落語特選」
http://www.niji.or.jp/home/dingo/rakugo2/
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