お神酒どっくり
えぇ、「いつまでもあると思うな親と金、無いと思うな運と天罰」てぇなことを申しますが、「運」なんてものは、どこに転がってるかわかりませんな。間のいい、調子のいい時なんてものはすべてのものがとんとん拍子にうまく参りまして...
日本橋馬喰町にかりまめ屋吉左衛門という旅篭屋さんがございました。ご先祖にどういうお手柄がありましたものか、三つ葉葵の御紋の入りました一対の銀のおとっくりが拝領になってございます。これを家宝といたしております。毎年の十二月十三日を煤掃きの当日でございます。その日は店中のものが総出て掃除をいたします。掃除が終わりますとおとっくりを床の間に飾りまして、結構なお料理でお酒を頂戴するというのがこの店の家例になってございます。
二番番頭の善六さん、お昼のおかずがちょっと塩加減がからかったんですかな、掃除をしているとどうも喉が渇いて仕方が無い、途中で水を飲みに台所へやって参りますと、水ガメの蓋の上に、おとっくりが一対乗っております。今のように蛇口をひねれば水が出る、という時代ではございません。どこのうちでも大きな水ガメを据えまして、中に水がはってある。ほこりが入らないように蓋がしてございますが、この上に家宝のおとっくりが乗っている。
善六 | おや、誰だい、こんなところへ大事なおとっくりを放っておいて...この路地は裏へ抜けてるんだよ、ひょいとつままれたら、宝物もなにも、どうにもなりゃしねぇ...まったくしょうがないもんだねぇ、まったく...といって、あそこまでわざわざ終いに行くのも面倒くせぇし...そうだ! ここへ沈めときゃぁ表を通る人だって気づきゃぁしねぇし、だいいち手だって届きゃしねぇや、へへっ、ここが一番大丈夫だ |
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と、おとっくりを水に沈めますと、飲むだけ飲んで掃除に戻っていきました。ところがこの善六さんという人が、大変にそそっかしい。だけではなくて忘れっぽい。掃除をしているうちにおとっくりのことをすっかり忘れてしまいました。
旦那 | どうした? おとっくりは誰が出したんだい? お常? お常、蔵からお前が出したんだろ? 台所へ置きましたったって見当たらないじゃないか... 誰か他に片づけた人があるんじゃないか? そんな、あたしゃ知りません、あたしゃ知りませんて、お互い同士追っ付けっこしてたんじゃしようがないじゃないか... 太兵衛、お前知らないか...善六、お前は? |
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「ええ、一向に存じません」と返事をしてしまった。 さぁ、大変だ
旦那 | 家宝のおとっくりが無くなった日にゃあたしゃご先祖様に対して申し開きが立たない、料理番の人、引き取ってもらっとくれ、それから通いの人も帰ってもらっておくれ。今日はもう食べてもらうの飲んでもらうのってわけにゃいかない。とっくりが出ましたら、改めてお祝いをいたします... あぁ、もう床を敷いとくれ...あたしゃもう寝る...今日はもう誰にも合わないから! |
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女房 | ...どうしたの、たいそう早いじゃないの |
善六 | 早いったって、驚いたのなんの... お店でおとっくりが無くなっちまって |
女房 | まぁ、それは大変だねぇ |
善六 | 大変だってなんだってねぇよ。旦那が青くなっちゃって、「通いの人は帰っちまっとくれ! 今日は酒飲んでもらうの、料理食べてもらうなんてわけにゃ行かないよ!」...無理ゃねぇけどさ...こちゃぁさ、いつも...いただくでしょ。だから昼飯をちょいと控えといたろ。もう減ったの減らねぇのったらねぇや。ハラの皮が背中にくっついちまった。やっとうちへたどりついたんだ。すまないけどすぐにご飯にしとくれ |
女房 | まぁ、弱ったねぇ...お前さん、お店でご馳走になってくると思ってたから、今日は何もおかずなんかありゃしないやね。お前さん、こうこでお茶漬けでもいいかい? |
善六 | ああ、こうこでお茶漬け、上等だよ。なんでもいいから早くしてくれ...ああ、それから水をいっぱいおくれ。どうもお昼のおかずか塩がからくってさ、喉が渇いていけねぇ...え? ぬかみその中に手を突っ込んじまいました? ああ、いいよ、自分でやるよ、赤ん坊じゃあるまいし...あ あぁっ! おっかぁ、今思い出した! おとっくり、あった!! |
女房 | まぁ、お前さん、しっかりしとくれよ、ほんとに慌て者なんだから。どうしたの |
善六 | どうしたのじゃないよ、水ガメの中に沈めといて、おれぁ、忘れちゃった! |
女房 | まぁ、相変わらずそそっかしいねぇ...でも良かったじゃないかね。お前さん、おとっくりがあったんなら。今からすぐにお店に行って、旦那にお目にかかってさ、「申し訳ございません。わたくしがそそっかしいものですから、おとっくりは水ガメの中に沈めて...」 |
善六 | じょ、冗談いっちゃいけねぇ! お前はさっきの旦那の剣幕を知らないからそんなことを言うんだよ。そんなこと言いに行ってご覧。 「間抜け! トジ! どうしてお前はそう慌て者だ!!」 あたまから脅されますよ。 ああ、そうだ、お前が行っとくれ。う、うちの旦那は割と女の人に優しいんだ。 |
女房 | 冗談じゃないよ! じゃ、さあ、しようがないから、お店へ行ってウソをつきなさい |
善六 | いや、それはいけねぇ。あたしゃ慌て者だけど、正直だってところがウリなんだ。ウソはいけません |
女房 | いや、悪いウソはいけない。けど、いいウソは方便といってお釈迦様もこれをお許しになってます。 いいかい、 |
善六 | そりゃ、出るよ。でるけれどもね、お前は占い者の娘だからそうスラスラと出るけどね。おれは何を言われたのかさっぱりわからない |
こうなったら善六さんも自分が粗相したんですから、仕方ない。一所懸命におかみさんの言うことを憶えて、さぁてお店にやってまいりました。
旦那 | なに、誰が来って...善六? 今日は誰にも会わないってそう言ってあるじゃないか...なにぃ、おとっくりのことにつきましてぇ? よし、こっちへ呼びなさい! 善六! お前、おとっくりを知ってるのか? |
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善六 | いえ、わたくしが知っているわけじゃございません。へい、わたくしがうちへ帰りまして納戸を掃除いたしておりますと巻き物が出て参りました。へぇ、不思議なことが書いてございます。善六、生涯の間にどんな難しいことでも三つだけ当てる、としてこざいます、へい。算盤占いでございましてな、わたくしがその巻き物に従いまして算盤の珠を動かしますと、それに連れまして盗んだ者の歳から名前までが現れますが、いかがでございましょうか |
旦那 | ほ、ほんとうかい? あっりがたいじゃぁぁないかっ! おいおいっ! 善六の使いつけの算盤はありますか? こっちへもってきなさい。 ああ...さ、さあ、お、お願いするよ、占っとくれ |
善六 | かしこまりました。ええ、不思議でございますよ。わたくしが、こう(チョチョンチョン)算盤を弾きますとねぇ...(チョチョンチョン)...ははぁ、これは神の祟りですねぇ。どなたが祟りましたかなぁ(チョチョンチョン)...ああ、荒神様の祟りですなぁ。(チョチョンチョン)艮為山という卦が出ました、へい。これが、でございますな...へ、変爻をいたしますと(チョチョンチョン)...山水蒙となります。これは童蒙われを求めればあれを求めればこれを求めればそれを求めればどれを求める? |
旦那 | な、なんだい、たいそう求めるんだねぇ |
善六 | へぃ、求めるんでございます。 で、戌亥の方、水と土に縁のあるところにおとっくりがあるはずでございますがなぁ...戌亥と申しますと台所でございますなぁ。水と土と申しますと...水ガメ...なんかにあるわけはございませんが、一応... あぁっ! 旦那様! おとっくりがございました!! |
あるわけです。自分で入れんですからな。
旦那 | いやぁ、善六。お前の占いはたいしたものだ。あっ、すぐに料理番を呼んどくれ。通いの人やなんかにも知らせとくれ。いやぁ、善六、今日はお前が上座だ! |
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と、善六さんを一番上座に据えまして、結構な料理でこれから店の者一同でお酒を頂戴いたします。これが十二月十三日の夜でございます。このときちょうど二階に泊っておりましたお客様。大阪は今橋の鴻池善衛門さんの御支配人。いつもは十五日に出ていらっしゃいますが、この年はどういう訳か十三日に出ておいでです。他のお客様はすべてお断りをいたしておりますが、上客様ですのでお断りをするわけにいきません。お二階に泊っていらっしゃいます。この方のお部屋から パン、パン、パンとお手が鳴る。
旦那 | へーい。 いやいや、今日はお前さん方はお客様だ。あたしが行くからよござんす。 へい、ごめんくださいまし。およびでございますか。へぃ、本日はどうも手が行き届きませんことで、あい済みませんでございます。 |
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鴻池支配人 | おお、これは御主人。ちょうどよいところへ。いやいや、あなたに来ていただこうと思っておりました。お入りください。いやぁ、あの先ほど伺いました、紛失をした宝物が出ましたそうな。 |
旦那 | へい。善六の占いで。不思議なことでございますな。生涯の間に三つだけ、どんな難しいことでも当てるそうでございますがな。 |
鴻池支配人 | いや、それについて御主人、あなたに御相談がある。いや、実はわたくしの主の鴻池に、今年十八になるひとりのお娘御がある。これが三年前からぶらぶら病、名医という名医に見ていただいたが、未だに病名さえ分からない、生き死にがわからない。親御さん始め御親戚一同大変なご心配でな。それについて、いかがでしょうな。善六さんに大阪までお供願って、うちの娘さんの病気を占ってもらうわけには参りませんかな、御主人。いやいや、留守中のお手当ては十分なことをさせていただくが。 |
旦那 | ああ、左様でございますか。それはご心配なことで。へい。永年御ひいきを賜ってございます。そのくらいのことでお役に立ちますなら、へい、善六に申し付けます。暫くお待ちを。へいへい、ご心配なく、万事わたくしにお任せください。 |
えらい騒ぎです。これからおかみさんに書き付けを書いてもらいまして、鴻池の御支配人と二人で江戸を出発いたします。宿へ参りまして、神奈川の滝橋に新田屋源兵衛という宿がございます。
鴻池支配人 | 善六さん、この新田屋という宿がわたくしの行き帰りの定宿でございます。どうぞご遠慮なさいませんように...おお、たいそう早くに店を閉めましたなぁ...早仕舞いでございますかな? 新田屋さん! (ドンドンッ)これ新田屋さん! |
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新田屋内儀 | どなたでございますか? いえ、無闇にお開けをしちゃいけないよ、よくどなただかを伺って...え? 鴻池様の御支配人! ああ、すぐに開けをして まあ、御支配人、ただいまお帰りでございますか。 |
鴻池支配人 | いや、これはたいそう早く店を閉めましたな。早仕舞い? |
新田屋内儀 | いえ、早仕舞いではございません。じつは私どもでたいそうな災難を被りました。御支配人が御出立なさった翌日でございました。島津様のお侍様がお泊りになりました。その晩、盗賊が入りまして、お巾着が紛失をいたしました。中に金子が七十五両、別に島津様から将軍様に当てました密書...とやらが入っております。お役人様が参りまして、家中くまなくお探しになりまして、外から賊が入った様子が見えませんで、うちのものに疑いがかかります。主が...ううっ...役所に引かれまして、このまま盗賊が捕まりませんで、お巾着が出ませんと...主の命に関わることに... |
鴻池支配人 | いや、これはえらいご災難ですな、いやいや、金の七十五両はどうにでもなるにしても、その密書とやらが町人の預かり知るところでは... おっ! お内儀、よいことがございますぞ! ここにおいでになる先生が占いの名人。この先生がな、算盤をパチパチッとやりますとな、たちどころに盗んだ者の歳から名前までが現れる。あたしから、ひとつ先生に頼んでみましょう。 善六先生! |
善六 | へ? ふぇ、へぇ? |
鴻池支配人 | ただいまお聞きの通りでございます。先生の占いは生涯で三度。江戸でいっぺん、上方でいっぺん。あとの一度をこの神奈川で使っていただくわけには参りませんかな、先生! |
善六 | はぁ...三度ねぇ...三度ってのがどこまでも祟るねぇ...いや、やりますよ、別に嫌ってわけじゃないんだから...見ることは見ますよ、そりゃ人の命に関わるってんだからね...見る...けれどもさ、おかみさん、その巾着...盗んだ者は分かってんのかい? わかってりゃ一番早いんだけどねぇ...巾着ってことになると、今ここでってわけには行かないよ。今晩八つ(午前一時から二時頃) の鐘を合図に、盗んだ者の歳から名前までがわたくしの算盤に現れる。でね、どっか静かな部屋は無いかな。離れか何かでさ、窓を開けるとすぐ下が街道だとかさ...離れの中二階? ああ、結構、中二階でもなんでも結構ですよ。それからね、占いの神様にお供えを上げなきゃならない。 |
新田屋内儀 | わかりました。すぐにお神酒を用意いたしまして... |
善六 | いやいや、お神酒なんぞいらないんだ。お握りにしておくれ。少し大ぶりでね、中に梅干しを入れて、三つもあればいいでしょ。竹の皮に包んでおいとくれ。それから新しいわらじが二足。提灯にろうそく。それから、中二階となると梯子はしご! 占いの神様はひどく梯子がお好きなんだから。あたしの荷物といっしょに中二階の方に運んどいておくれ。 それでね、あたしが手を叩くまでは決して誰もこないようにしておくれ。あたしが手を叩いたら、御支配人とおかみさんといっしょに来ておくれ。いいかい |
新田屋内儀 | かしこまりました。じゃ、離れの中二階にご案内申し上げて。 |
善六 | へへ、じゃぁ、後ほど...ハァ... |
そのうちにだんだんと夜が更けて参ります。と、廊下でミシ、ミシ...
善六 | こら驚いたなぁ、誰も来ちゃいけないって言ってあるってぇのに...化け物かなぁ、化け物はいけませんよ、化け物は...あぁっ、泥棒!? このうちは泥棒が入りつけてんだよ、泥棒もいけませんよ... |
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下女 | しぇ、しぇんしぇ~ぇ |
善六 | び、びっくりした! だ、誰だ、その障子の向こうで妙な声を出したのは!? |
下女 | 御免くだせぇまし、へぇ、しぇんしぇ、うち、この屋の女中でおきんと申しますだ |
善六 | おきんだかぞうきんだか知らないけど、誰も来ちゃいけないってのにどうして来たんだ? |
下女 | 実は、はぁ、しぇんしぇ様に御相談があってめぇりました、へぇ、御免くだせぇまし |
善六 | おいおい、なんだい、いけないってのにどんどん入ってきて...何を相談しに来たんだ? |
下女 | はぁ、話ししねぇとわかんねぇけんども、おら、この神奈川の在の青木村ちゅうところのもんだけんども、去年の暮れからとっつぁまがえかくからだの具合を悪くしちまって、ご主人様にお願げぇして給金の前借りして、とっつぁまの所へ持たせてやりましただが、その金も薬代でじきに無くなってしまいました、へぇ。 そばに居て看病するものがおりません。グスッ...ご主人様にお願げぇして暇いただくべぇと思うても代わりが来るまでは暇やることなんねぇ...とっつぁまの薬代は無い...悪いこととは知りながら島津様のお侍様がお泊りになった時にお巾着盗みましたら、お金がどっさり入ってる、ばかりじゃなく何かどえれぇものが入ってる。お役人様が来てお調べになって、外から泥棒へぇった様子がねぇ、旦那様がお役所に連れて行かれて、店の者は一足も外へ出ることなんねぇ... どうすべぇと思っていたら、今日、江戸から占いの名人様がいらして、今晩八つの鐘を合図に盗んだ者の歳から名前までが現れる、っちゅうことだけんども...もうそろそろ八つだけんども、おらが盗んだっちゅうことがしぇんしぇの算盤に...現れておりましょうか...しぇんしぇ~ |
善六 | ...はぁ...ああ、現れてるとも! |
ウソばっかりですな。握り飯と梯子しか現れちゃいねぇ
善六 | もうちょっとこっちへ入りなさい。...で、その盗んだお巾着はどうした? |
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下女 | へぇ、去年の八月二十五日の大嵐で庭のお稲荷さんのお社がぶっこわれちまって、その周りも荒れ果てちまって、だぁれも近寄るものがごぜぇません。おらぁ、はなは梱りの底に隠してたけんども、さぁおっかなくなってお稲荷さんのお社に隠してごぜぇます |
善六 | ふんふん...で、何を頼みに来たんだ? |
下女 | へぇ、おらが盗んだってことを言われますと、おらおっ殺されちまう。おらは死んでもええけんども、おらが死んだら後に残ったとっつぁまが路頭に迷います。 ううっ...しぇんしぇ様、どうかおらが盗んだちゅうことを言わねぇようにしておくんなせぇまし、しぇんしぇ様ぁぁっ! |
善六 | わ、分かったから、そんな大声を出しなさんな...いいか、このことは誰にも言っちゃいけないんだぞ、他の人に見つからないように、もう自分の部屋に帰んなさい...あと、ちゃんと閉めて... ありがてぇ、ありがてぇ...ボロを出すどころじゃないよ...あ、なるほど、いま鳴ってんのが八つの鐘だよ...みんなを呼んで安心しさせてやろう (パンパン!) |
鴻池支配人 | へーい。 ああ、お内儀、善六先生がお呼びだ。 へっ、先生、お呼びでございますかな? |
善六 | ああ、御支配人、おかみさんも。まぁ、こちらへお入んなさい。 今鳴ってんのが八つの鐘でしょ。不思議ですよ、ええ、算盤をパチパチとやりますとね (チョチョンチョンチョン)...ははぁ、これは神の祟りですな。どなた様が祟りましたかな... (チョチョンチョンチョン)...お稲荷さんの祟りですな。 去年のことだな...八月二十五日に大嵐があった...ありましたね? そのときにお稲荷さんのお社がかなり痛んだねぇ。すぐにちゃんと直しといたろうね。ナニ!? 直してない!? それはいけないなぁ、そのことがここへ来ているかもしれないよ。 (チョチョンチョンチョン)...ああ、やっぱりだ。お稲荷さんだけにコンコンと怒ってますよ、えぇ。お怒りのあまりお隠しになったんだ。お稲荷さんのお社を調べてご覧。お巾着があるから |
店の者が大慌てでお社を調べますとお巾着が出てまいります。
先生! お巾着がございましたぁぁぁぁっっっっ!!!!
いやいや、わたしの占いはこの通りですよ、はっはっは...
と大変に器量を上げてしまった
新田屋では大喜びで、二、三日ご逗留を願います、というところを「いやいや、先を急ぎますから。また帰りに御厄介になります」 翌日、かの女中を陰へ呼びまして、なにほどかの金を恵みますと神奈川を出立いたします。道中つつがなく大阪へたどり着きます。
前のふたつがうまい事行っているものですから、こんどもなんとかいいところへ漕ぎつけたいというのが人情ですな。叶わぬ時の神頼みですな。さんしち二十一日のあいだ断食をいたしまして、頭からザブーッと水を浴びて水垢離をして、一所懸命に娘さんの病気平癒を祈っております。
さて満願の当日、心身ともに疲れまして眠るともなくうとうととしておりますと、耳元でサーッという音でひょいと眼を開けてみますと、自分の前に百歳にあまろうかという翁が座っております。
善六 | はてな...このおじいさん、ふだん会ったことがないんだけどなぁ...こちらの御隠居さんかなぁ... こんにちわ... どうも、このたびはいろいろと御厄介になりまして |
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稲荷 | 我は神奈川は滝橋、新田屋稲荷大明神なるぞ |
善六 | はぁはぁ、神奈川の、お稲荷様...そうですか...こちらへは? 御見物で? |
稲荷 | さにあらず。過ぐるところ、その方、神奈川は新田屋に泊りしところ女中を助け、盗賊の罪、稲荷になすりつけたる段、恐れいったるぞ |
善六 | うへぇぇぇぇっ!! うわぁ、すっかり忘れてたよ、あのお稲荷さん! いやぁ、かんべんしてください。 あの時はもう、どうにもしょうがなくて |
稲荷 | いやいや、さにあらず。その方の言葉により、新田屋稲荷大明神は霊験あらたかなりとて参詣人は日々に絶えず、宮造営にあいなり、正一稲荷大明神のご贈位を賜った。稲荷、その方になにがな礼をと存じたれど、その方は人間。八千百重の隔てあり。 その方、当家の娘の病気、いかほど祈願すれどもこれは人力の及ばぬところ。稲荷、その方に一分の力を貸し与える。よっく承れ。 そもこの大阪という土地は難波堀江と申して一面の入江なるが、その昔、聖徳太子、守屋の大臣、仏法を争い、守屋の大臣、多くの仏像金像をその入り江に投げこみ、それが埋まりうまって大阪の街に相成った。されば大阪の土中には多くの仏像金像埋めあり。当家は大家である。丑寅の方、三十三本目の柱を三尺余掘り下げみよ。観音の仏像現る。それを崇めよ。娘の病い、たちどころに平癒。ゆめゆめ疑う事勿れ、善哉々々~っ!! |
善六 | へへぇーーーーーっっっっっ ありがとうございます、ほんとですか、お稲荷さん...あれ? 誰もいやしない...今、確かに神奈川のお稲荷さんがいたはずなんだが...妙なことを言ったなぁ、あの人は... そもこの大阪という土地は難波堀江と申して一面の入江なるが、その昔、聖徳太子、守屋の大臣、仏法を争い... なんだい、こりゃ? なんだってこんなハラに無いことがスラスラと口に出てくるんだ? こりゃ神奈川のお稲荷さんが夢枕に立って、あたしに教えてくれたのかな? もういいや! もうここまで来ちまったらどうにもしょうがない! イチかバチか、やってみよう。 (パン、パン、パンッ) |
鴻池支配人 | へーい。 善六先生、お呼びだ! |
御支配人始め、使用人一同が紋付き羽織袴でずらりと並びました。その前で、善六さん
善六 | よっく承れ。 そもこの大阪という土地は難波堀江と申して一面の入江なるが、その昔、聖徳太子、守屋の大臣、仏法を争い、守屋の大臣、多くの仏像金像をその入り江に投げこみ、それが埋まりうまって大阪の街に相成った。されば大阪の土中には多くの仏像金像埋めあり。当家は大家である。丑寅の方、三十三本目の柱を三尺余掘り下げみよ。観音の仏像現る。それを崇めよ。娘の病い、たちどころに平癒。ゆめゆめ疑う事勿れ、善哉々々~っ!! |
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鴻池支配人 | へ...うへへぇぇぇぇぇ~~~~~~~っっっっっっっ!!!!! あ、ありがとうございます...ああ、す、すぐに手伝いの衆を...なんだ、あの、た、た、たっ、頼んで... |
江戸では鳶の衆ですな、お出入りのお職人衆。これを大阪では「手伝い(てったい)の衆」と申します。
大勢の人を頼んで、いわれた通りの柱の根元を掘っていきますと、三尺を過ぎたところで鍬の先にガキッと当たるものがある。掘り出してみるとなるほど見事な観音様の仏像です。これを丁重にお祀りをいたしまして、鴻池さんでは米蔵を開きまして、多くの人々に施しをいたしました。
すると仏様の御利益でしょうか、施しをした徳でございましょうか、娘さんの病気が薄紙をはがすように見るみるうちによくなってまいりまして、まもなくご全快でございます。
鴻池さんでは喜ぶの喜ばないのって、善六先生、善六先生って下へも置かないもてなしようで... 下へも置かないったって屋根の上あげといたわけじゃないと思いますがね。
今日はミナミ、明日はキタというように大阪中を見物をいたしまして、大阪が済みますと京都、奈良の見物も済ませまして、大阪を出立をいたします。途中、神奈川の宿で新田屋稲荷大明神様へのお礼参りも済ませて、無事に江戸に帰って参ります。
女房 | 本当に、お前さん、夢のような話しだねぇ |
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善六 | まったく、おれもどうなるかと思ったけどねぇ、ありがたいじゃないか。本当に、ハッハッハッハ、まったくこんなにうまく行こうとは...けれどねぇ...なんだい、うち中えらい荷物じゃないか |
女房 | いいじゃない、お前さん、鴻池さんのお使いの方から、これは鴻池さんからお前さんへのお礼の品だって、届けてくれたんだよ |
善六 | ああ、聞いたきいた。番頭さんから。そうか、それはまた大変だなぁ |
女房 | まだこれから届け物があるんだってよ、これから順々にお届けするって |
善六 | それじゃしょうがないじゃないか、うち中荷物だらけになっちゃって...寝るところだってありゃしない、どうにもしょうがねぇじゃねぇか |
女房 | いいよぉ、お前さん、どうせならこれから立って寝たっていいじゃないか |
善六 | 馬鹿なことをいうなよ、馬じゃあるまいし、立って寝られるかい...まあいいや。まだ驚かせるものがあるんだよ...ほら、これだ! |
女房 | なんだい、お前さん... |
善六 | なんだったって、これだよ。大枚三百両、お礼に戴いてきた。ま、いいからさ、ちょっと触ってみなよ |
女房 | は、はは、じゃ、ちょ、ちょいと触らせて...も、貰うけどね...お、す、済まないけどお前さん、ちょっと...み、水を汲んできてくれないかい...あたしゃ、目がくらんできたよ...喉が渇いてきて...ガタガタ、ガタガタ震えが止らないよ... |
善六 | まあムリゃねぇ。おれだってそうなんだよ。慌てちゃいけねぇ。それでもおめえは気が丈夫だよ。みてなよ...ホラ、山吹色の小判だ! |
女房 | ありがたいねぇ、これというのも神奈川のお稲荷さんのお陰だねぇ |
善六 | なぁに、かかぁ大明神のお陰だ |
引用元:「東西落語特選」
http://www.niji.or.jp/home/dingo/rakugo2/
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