牛ほめ
お父さん | 与太郎、おい、与太郎 |
---|---|
与太郎 | ふん |
お父さん | ふんじゃねぇ、お前だってもうはたちじゃねぇか |
与太郎 | いやぁ、はだしじゃねぇ、下駄履いてきた |
お父さん | 履物のことを言ってんじゃねぇ。歳のことを言ってんだよ |
与太郎 | 年は...へへ、おとっつぁん、おれぁ、二十だ |
お父さん | 二十のことをはたちって言うんだよ |
与太郎 | じゃぁ、三十はいたちか? |
お父さん | しょうがねぇなぁ、こいつは。いつまでもな、そんなんじゃ始まらねぇってんだ。ええ? 近所の人がおめぇのこと、なんて呼んでる? 与太郎さん、と満足に名前呼ぶ人なんていやぁしねぇじゃねぇか。 |
与太郎 | みんな馬鹿だ、馬鹿だって誉めてくれらぁ |
お父さん | 誉めてんじゃねぇよ。ええ? しっかりしなきゃいけねぇぞ。お前、権田原の佐平おじさん、知ってるな。 |
与太郎 | あぁ、せんにおとっつぁんと一緒に行ったことがあるな |
お父さん | そうだ。お前、佐平おじさんとこ、一人で...ああ、行けるか。偉いえらい。佐平おじさん、おめぇのこと、ずいぶん心配してくれてたぞ、「与太郎はどうしてるかな」ってな。やっぱり親戚だ、うん。で、あのおじさんがな、普請道楽だ、新しい家ができてな、おとっつぁん、一回誉めにいったんだが、ちょうど留守にぶつかっちまってな、何も言えずに帰ってきちまったんだが、今日はおめえが、おとっつぁんの代わりに行って、おじさんちを誉めてくるんだ。 |
与太郎 | えぇ? な、なんて誉めるんだ? |
お父さん | あぁ、馬鹿でもそこに気がつきゃぁ立派だ。だいいち、おめぇはよその家に行っても挨拶をしたことがねぇ、そこが一番いけねぇ。男がはたちになったらもう一人前だ。「ごめんください、ごめんください」と声をかけて、中で返事があったら、初めて戸を開けて、「こんにちわ、よいお天気でございます」と |
与太郎 | へ? |
お父さん | 「こんにちわ、よいお天気でございます」と |
与太郎 | こんにちわ、よいお天気でございますと |
お父さん | いや、「と」はいらねぇんだよ |
与太郎 | 戸がないと無用心だろ |
お父さん | 生意気なことを言うんじゃないよ! 「承りますれば」いいか、「承りますれば、こちら様では、ご普請がご完成でおめでとうございます」と、これが挨拶だ。座敷へ上がったら、家を誉めるんだが、言うことは昔から決まってるな。「たいそう結構なうちでございます。家は総体檜造りでございますな」と、言って見ろ。 |
与太郎 | うちは総体...ひのき造りでございますな |
お父さん | そうだ、そうだ |
与太郎 | そうだそうだ! |
お父さん | 余計なこと言わなくていいんだ! 「天井は薩摩の鶉目でございます」 |
与太郎 | てんじょうはさつまのうずらもくでございます |
お父さん | 「左右の壁は砂摺りでございましょう」 |
与太郎 | さゆうのかべはすなづりでございま |
お父さん | 畳は備後の五分縁でございますな |
与太郎 | たたみはびんごのごぶべりでございますな |
お父さん | お庭は総体、御影造りでございます |
与太郎 | おにわはそうたい、みかげづくりでございます |
お父さん | 床の間になにやら掛け物が出ておりますが、 |
与太郎 | とこのまになにやらかけものがでておりますが、 |
お父さん | あの掛け物は淵源禅師、とうがなすの掛け物でございましょう |
与太郎 | あのかけものはえんぜんぜんじとうがなすの...はけものでございましょう |
お父さん | お前、どっか漏れてやしないか? しっかりしなきゃいけねぇ。「なにやら上に讃がしてございます」 |
与太郎 | なにやらうえにさんがしてございます |
お父さん | 『売る人もまだ味知らぬ初なすび』 |
与太郎 | うるひともまだあじしらぬはつなすび |
お父さん | これは確か去来の句でございましょう |
与太郎 | これはたしかきょらいのくでございましょ |
お父さん | わかったか? |
与太郎 | わからねえ |
お父さん | なにを聞いてやがったんだ。始めの方はどうだ? |
与太郎 | 始めのほうはあんまりはっきりしねぇんだ |
お父さん | 終わりの方は? |
与太郎 | ぼんやりしてる |
お父さん | 真ん中は? |
与太郎 | まるっきしだめだ |
お父さん | ...みんな忘れちまいやがった...よしよし、まあ、いい。文句もちょっと長かったしな、おとっつぁん、紙に書いてやる。忘れたところがあったらな、佐平おじさんにわからねぇように、懐にしまっといて、これを読んで誉めるんだぞ。ひらがななら読めるだろう? |
与太郎 | ひらがななら読めらぁ |
お父さん | これ、懐にしまっとけ。それから台所に行ってごらん。どういうわけかなぁ、立派な柱なんだがな、大きな節穴が開いててな、佐平おじさん、普請道楽だ、この節穴をたいそう気にしているらしいんだ。で、おとっつぁん、言ってやろうと思ってたんだが、おめぇをやっておめぇの口から言わしたほうがびっくりするだろう、と思って、おとっつぁん、わざと言わずに戻ってきたんだ。いやぁ、なに、難しいことじゃない。「おじさん、この節穴なら心配することはありません。場所が台所ですから、秋葉さんのお札をお貼りなさい。穴が隠れて火の用心になりますから」と、どうだ。これだけのことを言いやぁ、おじさんビックリして感心して、ついでに小遣いの少しばかりもくれらぁ |
与太郎 | へへっ、こ、こづかい? どのくらいくれる? |
お父さん | そりゃぁ、もらってみなきゃわからねぇなぁ |
与太郎 | くれなかったら、おとっつぁん、立て替えるか? |
お父さん | 立替やしねぇや! |
与太郎 | で、ほかに何か誉めるもの、ねぇかなぁ? |
お父さん | お、小遣いと聞いて、急に欲がでやがったな? まあ、いいや。欲も知恵のうちだ。行ったらな、ついでだ。おじさん自慢の牛がいる。これを誉めといで。牛の誉め方は難しいぞ。「天角地眼鹿頭耳小歯違」なんてことをいうがなぁ、いちいち意味を言ってもお前にゃわからねぇし、間違ったことを言ってもかえって気を悪くさせちゃいけねぇからな、まぁ、「大きな牛だ、立派な牛だ」くらいのことを言っときな。これだけ言っときゃ、向こうで適当に聞いてくれて、小遣いの割り増しくらいあるだろう |
与太郎 | はは、じゃ、おとっつぁん、行ってくらあ! |
お父さん | しっかりやっといで! |
与太郎 | はは、ありがてぇなぁ、小遣い、もうかるからなぁ... ごめんください、ごめんください! |
叔父 | はいはい、掃除屋さんかい? |
与太郎 | へへっ、掃除屋だってやがらぁ...こんにちわ |
叔父 | お、なんだい、与太郎じゃないか。妙な声をだすから間違えた。どうした? |
与太郎 | こんにちわ |
叔父 | おっ、偉いな、挨拶を覚えた。はい、こんにちわ |
与太郎 | ...こ、こんにちわ |
叔父 | 何回、こんにちわをやるんだよ |
与太郎 | こんにちは、よいお天気であります |
叔父 | ラジオだね、まるで。はいはい。いいお天気だな。 |
与太郎 | 明日もいいお天気であります。 |
叔父 | そうか、天気になるかな? |
与太郎 | あさってはわからねぇ |
叔父 | そりゃ誰だってわからねぇ! |
与太郎 | うけた...うけたか...うけたかたか...へへ...こんにちわ |
叔父 | また始めやがったな! |
与太郎 | うけたま...曲がりますのでご注意 |
叔父 | 電車だね、まるで |
与太郎 | うけ...受け取りをすれば |
叔父 | いや、そんなものしねぇ |
与太郎 | うけたまご |
叔父 | うで卵、もってきたのか? |
与太郎 | 食いたいねぇ |
叔父 | いったい何しにきたんだよ |
与太郎 | おれ、うちぃ誉めに来たんだ |
叔父 | なぜ早く言わないんだよ、まあまあ、お入り。座敷に上がって、座布団をお当て。ばあさん、お茶を入れてやんな。そうかい、家を誉めに。そうかい、それじゃさっそくお願いしようかな。 |
与太郎 | じ、じゃ、そろそろ誉めるから、覚悟しろ |
叔父 | 覚悟!? はいはい、覚悟したぞ |
与太郎 | えー、おじさん、立派なうちですねぇ |
叔父 | いやぁ、たいした家じゃないが、はじめてみると面倒なもんだ。なんだかんだで三月もかかったからなぁ。 |
与太郎 | でも火事で燃えれば二十分だ |
叔父 | おい、いやなことを言うなよ! |
与太郎 | へへ、これから誉めるんだ,あわてちゃいけねぇ...ええ、うちは総体、檜造りでございます! |
叔父 | おおっ、これはうまいことを言った! やるなぁ、お世辞がよくなったぞ。へぇ、いやぁ、ありがと、ありがと。まだあるか? |
与太郎 | 天井はサツマイモとうずら豆でございます |
叔父 | ...こら、後が悪かったな。薩摩の鶉目だ。 |
与太郎 | そのモクだ |
叔父 | そのモクってやつがあるか |
与太郎 | 佐平のカカァは引き釣りだ |
叔父 | お、おい! よせよ! ばあさんに聞こえたらてぇへんだ、ハラぁ立てるぞ。左右の壁は砂ずりだろう? |
与太郎 | あはは。左右の壁は砂ずりで、畳は貧乏のぼろぼろでございます。 |
叔父 | 備後の五分縁! |
与太郎 | 備後のごぶへりでございます。お庭は総体、見掛け倒しでございます! |
叔父 | うわぁ、しょうがねぇなぁ、こいつは...御影造りだ |
与太郎 | 御影造りでございます。床の間にはなにやら化け物が出掛かっております |
叔父 | 化け物じゃないよ、あれは掛け物! |
与太郎 | 掛け物がかかっております。あの化け物はいんげん豆に冬瓜にナスの化け物 |
叔父 | こんな野菜ものの化け物の好きなやつはねぇな。淵源禅師、とうがなすの掛け物! |
与太郎 | 誰やら上でお産をしております |
叔父 | お産なんかしちゃいねぇ! 讃がしてある |
与太郎 | 讃がしてあります...売る人も...まだ...味..知らぬ...初なすび...これは確か...去来の句... |
叔父 | お前、何か読んじゃいねぇか? |
与太郎 | いや、読んでねぇ! |
叔父 | まぁ、読んでても結構だ。お前が来てくれた気持ちだけで、おじさん、うれしいぞ。よく誉めてくれたなぁ。 |
与太郎 | おじさん、台所、行こう |
叔父 | 台所へ行ってどうするんだ? |
与太郎 | 台所へ行くとな、儲かる穴があんだ |
叔父 | なんだよ、その儲かる穴ってのは |
与太郎 | 来りゃぁわかるんだよ。ああ、この穴だ、この柱の節穴、大きいからめだつなぁ。気になるだろ!? |
叔父 | あぁ、お前にも気になるか。いやぁ、場所が場所だけにな、なんとも気になってしょうがねぇんだ。 |
与太郎 | おじさん、この節穴なら気になさることはありません |
叔父 | そうか? |
与太郎 | 場所が台所だけに、秋葉様のお札をお貼りなさい。穴が隠れて火の用心になります |
叔父 | ...こりゃ恐れ入った。馬鹿だ馬鹿だって、ちっとも馬鹿じゃねぇ。いやぁ、ちっとも気がつかなかったなぁ、秋葉様、火伏せの神。穴が隠れて体裁がよくて、そのうえ火の用心...さっそくそうさせてもらうよ。いやぁ、ありがとう、ありがとう。 |
与太郎 | おじさん、感心しているな? |
叔父 | あぁ、感心しているとも |
与太郎 | 感心...ばかりしているな。 |
叔父 | なんだよ |
与太郎 | 早く出すものだせ |
叔父 | はっはっは、小遣いの催促か。いいとも、帰りに持たせてやるから、心配するな |
与太郎 | お、おじさん、これから牛も誉めるぞ |
叔父 | お、牛も誉めてくれるのか? |
与太郎 | さっきから探してるんだけど、牛、どこにもいないな |
叔父 | 座敷に牛がいるわけねぇじゃねぇか。裏の空き地にいるよ |
与太郎 | ええ、裏庭に...あぁ、こんなところにいやがった。へへ、小さい牛だなぁ。角もなにも生えちゃいねぇや |
叔父 | お前...そりゃ、犬だ |
与太郎 | あぁ...牛はどこだ? |
叔父 | ほら、庭の横手にいるだろ、ほら、横を向いてみな |
与太郎 | へ、横...あぁ、いたいた。へぇ、おじさん、立派な牛ですねぇ |
叔父 | そうか? |
与太郎 | 牛は総体、檜造りでございます |
叔父 | なにを言ってやがんでぇ、牛まで檜造りにしやがったな。 |
与太郎 | だけど、おじさん、失礼な牛だぞ |
叔父 | なんで? |
与太郎 | お客さんが来てるのに、お尻向けてやがる。第一、パンツも履いてねぇ |
叔父 | あたりめぇだ。牛がパンツ履いていらっしゃいませなんて出てくるか! |
与太郎 | で、牛の後ろのほうにぶら下がってるのは、あれはなんだ? |
叔父 | あれは牛の尻尾だ |
与太郎 | 今日は風が強いな |
叔父 | なんでだよ? |
与太郎 | 風に吹かれてぶらぶら揺れてるぞ |
叔父 | いや、あれは風で揺れてるわけじゃねえんだ。お尻にハエか何かたかって、うるせぇから払ってるんだな |
与太郎 | へぇ、うめぇことやりやがるなぁ...あ、尻尾の下に穴があるな。おじさん、あれ、何の穴だ? |
叔父 | おい、しっかりしろよ、オイ。あれは牛の尻の穴だ |
与太郎 | ...汚い穴だなぁ。ずいぶん目立つなぁ。おじさん、あの穴、気にしてるだろ |
叔父 | なにを言ってやがんでぇ! あんなもの、気にしちゃいねぇや! |
与太郎 | あれでしたら、あまり心配することはありません |
叔父 | だから、心配しちゃいねぇ! |
与太郎 | あの上から秋葉様のお札をお貼りなさい |
叔父 | そんなことしたらバチがあたらぁ! |
与太郎 | いやぁ、穴が隠れて...屁の用心に... |
引用元:「東西落語特選」
http://www.niji.or.jp/home/dingo/rakugo2/
コメント