ディミトリエビッチ大佐
第一次大戦の引き金となったサラエボ事件を陰で操っていたとされるセルビアの秘密結社「ブラックハンド」のリーダー。
陰謀の廉で処刑となる際に語った言葉。
「二段階の有能なる裁判で死刑を宣告され、また王家から赦免を得られなかった身だとしても、私は無実で死ぬことになる。
そして私の死はセルビアにとりより高い次元での理由により必要なものだと確信する。
私は本意ではないが愛国者としての仕事でいくつか失敗した。私は知らずしてセルビアの国益に反したかもしれない。
だが行動に当たっては常に危険を犯さざるを得ない。
だが意図して失敗したことは断じてないし、セルビアの国益に奉仕することを願ってきた。」
前漢・文帝遺詔
「生まれたものは、かならず死ぬのが天地の理であり、万物の自然であり、
べつに哀しむにはあたらない。
朕は不徳であり、みんなのためになにごともできなかったのに、死んだあと、
服喪のことで、みんなに迷惑を掛けたくない。
朕が死ねば、哭くこと三日で、喪服を脱ぐようにしてもらいたい。そのあと、
結婚のことも、祭りのことも、肉食飲酒のことも、けっして禁じたりしないように。」
佐久間艇長遺言
「小官の不注意により陛下の艇を沈め部下を殺す,誠に申し訳なし。されど艇員一同死に至るまで皆よくその職を守り沈着にことを処せり。
我等は国家のため職に斃れしと雖も唯々遺憾とする所は天下の士はこれを誤り以って将来潜水艇の発展に打撃を与ふるに至らざるやを憂ふるにあり。
希くば諸君ますます勉励以ってこの誤解なく将来潜水艇の発展研究に全力を尽くされんことを。さすれば我れ等一も遺憾とするところなし。
沈没の原因
瓦素林潜航の際過度深入せしため「スルイスバルブ」をしめんとせしも途中「チェン」きれ依って手にて之れをしめたるも後れ後部に満水せり。約二十五度の傾斜にて沈降せり。
沈据後の状況
一,傾斜約仰角十三度位
一,配電盤つかりたるため電灯消え,電纜燃え悪瓦斯を発生呼吸に困難を感ぜり。十五日午前十時沈没す。この悪瓦斯の下に手動ポンプにて排水に力む。
一,沈下と共に「メンタンク」を排水せり,灯消えゲージ見えざれども「メンタンク」は排水し終われるものと認む。電流は全く使用する能わず,電液は溢るも少々,海水は入らず「クロリン」ガス発生せず唯々頼む所は手動ポンプあるのみ。
(后十一時四十五分司令塔の明りにて記す)
溢入の水に浸され乗員大部衣濕ふ。寒冷を感ず。
余は常に潜水艇員は沈置細心の注意を要すると共に大胆に行動せざればその発展を望む可からず,細心の余り萎縮せざらんことを戒めたり。世の人はこの失敗を以って或いは嘲笑するものあらん。されど我れは前言の誤りなきを確信す。
一,司令塔の深度計は五十二を示し排水に勉めども十二時迄は底止して動かず,この辺深度は十尋位なれば正しきものならん。
一,潜水艇員士卒は抜群中の抜群者より採用するを要す,かかるときに困る故。幸ひに本艇員は皆よく其職を尽せり,満足に思ふ。
我れは常に家を出づれば死を期す。されば遺言状は既に「カラサキ」引出の中にあり(之れ但私事に関すること,いふ必要なし,田口,浅見兄よ之れを愚父に致されよ)」
発見されたとき、全ての乗組員が引き出しやビニール袋など少しでも空気の残っていそうなところに頭を突っ込んだままの姿勢で息絶えていたという事故。
相良総三
江戸時代末期(幕末)の尊皇攘夷派志士。江戸出身。赤報隊隊長。
辞世の句
「しっかりやれ 落ち着いて 見事にな」
ドク・ホリディ
西部開拓時代の歯医者だが肺炎を患っていたため、患者が来るわけもなく、ガンマンに転向。
死に対する恐怖がなかった為に酒飲みで命知らずのガンマンだった。
「(ウィスキーを一杯飲み干して)こいつは面白い最期だな。」
ベットのうえで安らかに一生を終えた。
マハトマ・ガンジー
インドのグジャラート出身の弁護士、宗教家、政治指導者。
束縛があるからこそ
私は飛べるのだ
悲しみがあるからこそ
高く舞い上がれるのだ
逆境があるからこそ
私は走れるのだ
涙があるからこそ
私は前に進めるのだ
〔遺言詩〕
手塚治虫
「隣の部屋に行くんだ! 仕事をする、仕事をさせてくれ!」
ベンジャミン・フランクリン
アメリカ合衆国の政治家、外交官、著述家、物理学者、気象学者。
「死にかけの人間は何をするのも簡単じゃねえな」
リットン・ストレイチー
イギリスの伝記作家で、批評家。
「これが死だとしたら、たいしたことはない。」
徳川家康
「先に行く あとに残るも同じこと 連れて行けぬをわかれぞと思う。」
ホテル王・コンラッド・ヒルトン
「シャワー・カーテンはバスタブの内側に入れておくように。」
一休宗純
室町時代の臨済宗大徳寺派の僧、詩人。
「死にとうない」
といって、座ったまま眠るように死んだという。
高杉晋作
江戸時代後期の長州藩士。幕末に長州藩の尊王攘夷の志士として活躍した。
辞世の句「「おもしろき こともなく世に おもしろく」が有名。
「面白いのう」
ヴィクトル・ユーゴー
フランスの小説家。『レミゼラブル』が有名。
「黒い光が見える」
このときすざましい嵐がパリを襲い、雷が鳴った。
ゲーテ
「もっと光を!」
ドイツの詩人、作家。ドイツを代表する文豪で、すぐれた劇や名詩などを数多く残した。
晩年病死した際のことばだが、諸説あり、暗いから窓を開けてくれ、といった意図で発したという説もある。
アレクサンドロス大王
「最も強き者へ」
古代ギリシャの偉大な王。うえのことばは、部下に、「後継者を誰にするか」と問われたときのもの。
30歳にはギリシャからインドにまたがる「世界の半分」を手にした、アレクサンドロス大王らしいことば。死因は蜂に刺されたことらしい。
カント
「es ist gut(すべてよし)」
批判哲学という、哲学の一分野を築いた哲学者。この考えは、死後の哲学界に大きな影響を与えた。
これも病死した際のことばだが、カントは痴呆気味になっていたため、貰ったワインを飲んでの発言という説もある。
龍造寺隆信
「紅炉上、一点の雪」
佐賀県の武将。沖田畷の戦いで大敗し討ち取られる際に、敵の兵士と問答をしたときのことば。
上杉謙信
「四十九年 一睡の夢 一期の栄華 一盃の酒」
新潟県の武将。越後の龍と呼ばれ、武田信玄などと槍を交えた。
晩年は酒好きがたたって便所で倒れ、そのまま死去。
在原業平
「ついにくる道とはかねてききしかど、昨日今日とは思わざりしを。」
吉田松陰
辞世の句
「身はたとひ 武蔵野野辺に 朽ちぬとも 留め置かまし 大和魂」
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