心霊ちょっといい話『親父との約束』など短編全5話

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心霊ちょっといい話『親父との約束』など短編全5話 不思議な話
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枯れたひまわり

 

今月初旬、交通事故を起こした(2トン車に原付で突っ込んだ)のだが、運良く一週間ほどの入院で済み、今でも普通に生活している
退院後に気付いたが、事故現場近くの空き地で毎年咲いているヒマワリ(5~6株)が全て枯れていた

ちなみにこのヒマワリ、俺が小学生の頃に夏休みの自由研究で更地の所有者(近所に住む親戚)に了解を取って種をまき、毎日休まず(台風が来た時も親の目を盗んで)観察した株が根付いているものだ
(空き地の一部は親戚の家庭菜園になっているから、親戚が手入れをしているのだろうけれど)

盆休みにその親戚にその話題を振ってみたら、
親戚曰く「あなたが事故を起こしてすぐに、あっという間に枯れちゃってねぇ・・・」

それを聞いた俺は、枯れたヒマワリに手を合わせていた

 

 

親父との約束

 

俺が幼稚園ぐらいの時、どこで葬式をやったか全く覚えてないが、母方の曾婆さんの葬式の時の話。季節も全く覚えてないが、雪は降っていないな。
通夜、告別式と終わって、火葬場で荼毘に付されている間、俺は子供特有の好奇心で火葬場を駆けずり回っては親父にどやされていた。
そして、火葬が終了し、お骨拾いが始まり、親族が皆涙しながら箸で骨を拾っていたが、俺は何で皆が泣いているのか不思議で仕方が無かった。
直接縁の無い親戚で、しかも葬式の意味もワカランガキだったしな…
しかし、その時から「なぜなに系」のうるさいガキだった俺は、隣で黙って立っていた両親に、「あれ、人間の骨じゃないよ」って言ってた(らしい)。
母が「黙ってなさい」って言ってるのにも関わらず俺は「だってあの骨、頭の骨が全く無いもん」って言ってた(そうだ)。
火葬の際にもろい骨がほとんど粉になってしまっていたのだが、当時の俺にはそんな事は解らず、本当に失礼な事をのたまわっていた。
その時、医者だった親父は俺の前でしゃがんで笑いながら「頭蓋骨なら、近い内に見せてやるから今は何も言わないでおきなさい」って言ったんだ。
その時は「ふーん」とか思いながら、さすがに黙ってた。

その2年後、親父が自宅で心臓発作であっけなく逝った。
俺が親父の死に目の一部始終を看取った唯一の家族だったが、当時小学校2年だった俺には、親父が倒れて死んでいく様の意味がわからなかった。
家族や親戚がバタバタと忙しく葬式を進めて行く中、俺はその時も親父の死を現実として全く受けとめずに葬儀場で駆け回って遊んでいた。
告別式が終わって火葬場に入り、親父の体が荼毘に付される間、母は俺をぎゅっと抱きしめて泣いている様なこらえている様な感じで無言だった。
俺はそんな母の感情を子供ながらに感じ取って、黙って母の側にいた。

火葬が終わって、親父の棺が乗っていた台がゆっくりと出てくる時、俺は声をあげた。
「頭蓋骨だ…」
そこには、図鑑とかで見る様な完璧な形の頭蓋骨があった。他の骨は強い火葬によって粉になっている所も沢山あったというのに。
その時、2年前に親父が笑いながら約束した事を思い出し、俺は親父が、最期の最期で俺との約束を守ってくれた事、そしてその親父は死んだ事の現実に直面し、親父の名前を何度も何度も呼びながらその場で泣いた。

 

 

兄の涙

 

十年前に父が亡くなった。兄は寮にいたが電話がなく当時は携帯も普及していないので電報を打った。
ところが住所が違うようで届かない。
それは1/4だったので会社も休みで連絡が取れない。

電報も「父危篤」から「父死す」になり必死だった。
NTTの配達員さんも必死に探してくれた。
兄は以前借金を重ね、返済に困り父母が必死に返した。
この間に父は病に倒れて5年入退院をくり返していた。

朝になり兄の会社に電話を掛け出勤したら父の事を伝えてくれる様にお願いをした。
すると昼頃兄がやっと帰ってきた。
「やっぱりだめだったか」って
通夜の後、お線香を絶やしちゃいけないって事で兄と私で起きていると、兄がぼそっと言った
「実は昨日の夜おやじさんが来たんだ、すぅっと部屋に入ってくると
物凄い大声でさ、『おい、お前何やってるんだ!!しっかりしろ!!』
って怒鳴られてさ、俺目が覚めたよ。心を入れ替えて母さんとお前の面倒をみるから」
年の離れた兄貴の涙を初めてみた。

それから兄貴は我が家に帰ってきて、頑張って働いて母の面倒を見てくれている。私は結婚して家を出たけど兄貴には感謝してる。

 

 

生まれることのなかったわが子

 

私は今2人の子持ちですが、家内は1人目が生まれる前に3人の子どもを流産しています。

2人目の子どもが生まれてしばらくしてからの事、夢の中に3つの白い球が出てきました。
よく見るとその中に小さな赤ん坊が入っています。
「この世に出てこれなかった子どもが会いに来たんだな ・・・ゴメン。君たちのこと、忘れた訳じゃないんだよ。」
心の中で白い球に向かって話しかけました。
夢の中なのに赤ん坊独特の甘い匂いがしていたのを覚えています。

今でも時々フッっとその匂いが鼻を過ぎる事があります。
そんな時はまた子どもたちが合いに来たのかと思います。

「・・・ゴメン。君たちのこと忘れていないよ。 オトーはまだこっちでやる事あるけど、 いつかそっちに行ったら、今までの分たくさん遊ぼうな・・・。」

 

 

彼岸花

 

祖父、母の父が亡くなって今年で13回忌になります。話は数年前のこと。
祖父母は不仲だった様子で、祖父の遺骨は墓に納められる事もなく、延々と寺に置かれていました。
母自身も祖父母とは不仲、故郷に戻る気もなかったようで、亡くなってからも帰郷することはありません。

ある日、母は昼寝をしてました。ほんの数十分でしたが、夢を見たそうです。
延々と続く位牌の列、その先には寂し気な顔をした祖父の姿。
起きてきた母は「胸騒ぎがする」と、あれほど嫌がっていた帰郷を決意していました。
父もその勢いに飲まれたのか、母の故郷への飛行機の切符を手配。週末には出かけていきました。

一泊してから帰ってくる母を迎えに空港まで出かけていきました。父と待ち合わせ、母を乗せた飛行機が到着。
ロビーに降りてきた母は自分達を見つけると手を振り、急いでやってきました。
自分達の顔を見て安心したのか、人ごみのなかで急に泣き顔。
晩御飯を食べに入った空港のレストランで、話を聞いてみると…

祖父の遺骨を預けていた寺に行ってみたそうです。
祖父の家系の墓がどこにあるのかは自分は知らないのですが、そこは祖母の家系の菩提寺。
急に訪れた母を見つけた寺の方は驚いて迎えて下さいました。
案内されて行ってみた祖母の家系の墓…それはすごいありさまだったそうです。
苔むして、雑草もぼうぼうに生えた本当に荒れ果てた墓。
寺の方の話だと、祖母方の家系の方が墓参りに来る事は稀で、ここ数年は連絡のとれない状態だとか。
あまりの姿に、母は泣きながら、謝りながら墓の掃除をしました。
夢に出てきた、延々と続く位牌は、きっと○○家の皆さんなんだろうね、と掃除を手伝って下さり、母にお茶を出して下さった寺の方が仰っていたそうです。

祖父の遺骨にも手を併せ、花を手向け、寺の方にもよくお礼をして帰りの飛行機に飛び乗りました。
本当に、こういうことってあるんだね、と家族で話しました。

実は、母は吸入器を手放さず、薬も常備してる十数年来の喘息持ちなんです。
実際、父も自分も母が旅先で発作など起こしていないか心配していたのですが、祖父との対面も墓参りも済ませ、どこか晴れ晴れとした母の顔を見て安心しました。

…不思議なことは続くもので。
この母の墓参りをきっかけにしたかのように、母の喘息が嘘のように軽くなっていったんです。
もしかしたら、不仲とはいえ父を遺骨のまま墓に納めもせず放っておいた気負いが軽くなったせいかもしれないし、墓参りの数カ月後、見てもらっていた病院で新しく開発された薬の試験に母が選ばれ、上手くいってくれたこともあります。
でも、それでも母のあの夢と墓参りの一件を考えてしまいます。
我が家では「きっと、墓参りしてくれたから直してくれたんだよ」と話しています。無論、病院の先生方への感謝も忘れず。

今では、その不仲のもう一方であった祖母も、いろいろ悶着もありましたが他界しました。
祖父も無事墓に納めることができました。
母は、帰郷する機会があると、祖母の家系の墓のほうへも足を向けているようです。
先日、墓に誰が植えたでもなく「彼岸花」が咲くようになった、と寺の方に教えて頂きました。
遠いので、毎年帰郷し墓参りする訳にもいきませんが、ただぽつんと墓があるわけではなく、自然に花が手向けられている、と思い、遠い場所から胸の中でだけでも手を合わせるようになりました。
彼岸花が咲くと、今でもこの墓参りの話を思い出します。

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