心霊ちょっといい話『虫の知らせ』など短編全10話

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心霊ちょっといい話『虫の知らせ』など短編全10話 不思議な話
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虫の知らせ

 

母は、今自宅を事務所にして小さな会社をやっている。
けど不況の折仕事も思わしくない状態。

ある時、私は言いようのない不安がよぎって実家に電話した。
母が出て、「どうしたの、珍しいわねぇ」などと
ちょっと世間話をした後、
「もしかしてお母さんがいなくなるんじゃないかと思って電話した」と言った。
「馬鹿ねぇ、そんなわけないじゃない」と笑い飛ばされたので安心して電話を切ったのだけど、後日妹から、ちょうど私が電話をした日に母はふと

「私が死んだら保険が降りるから楽になるかも」と思ったらしい。
そこに私が半泣き状態で電話をかけてきたから、
「そうね、死ぬ気になればなんだってできるわよね」と考えたそうで。

今思うと、父が死んだ時もなにか予兆みたいなのがあったし、虫の知らせってあるものなんだなぁ、と思いました。

 

 

無傷

 

4才のとき、好奇心から一斗缶に入った液体をたき火に注いだら、それが灯油かガソリンだったらしくて一瞬で全身火だるまになったが、なぜか勝手に火が消えて、毛と服は焼けたが体は何ともなかった。
その日の晩、療養中だった曾祖母が亡くなった連絡が入った。
一度も会えることは無かったのだが、守ってくれたのだろうか。
近くで見ていた父によると、本当に全身が火に包まれたらしい。
俺の記憶では、火柱が上がって見たこともない色が目に映り、熱さを感じた所で記憶が無い。

今まで霊体験は皆無だが、今度里帰りしたら、ちゃんと墓参しようかと思う。

 

 

福猫

 

産まれた時から体が弱くて風邪ひけば肺炎になる様な手のかかる子供だったんだけど、ある時親子の猫が我家に迷い込んできた。
母親らしき猫と子猫。その日当然の様に学校を休んで自宅で寝ていた私がその猫に気がつき、そのまま我家で面倒を見る事になった。

不思議とその猫は私にだけなつき、何処に行くにも一緒でその影響で友人も急に増え、外にも出る様になり学校の出席率もだんだんよくなってきた。

子猫が近所のおばさんに気に入られ、そのまま引き取られる事になった。引き取られた日の夜 親猫はずっと泣いていた。

その年の夏、交通事故に会い、死にそうになる。
と、言うか死にかけた。生きていたのが不思議な状態だったらしい。家族はふと子猫の事を思い出したそうだ。
が、取り戻す事も出来ず、その内親猫も元気になった。

まだまだ学校は休む事が多く、毎年出席日数がギリギリの状態。冬のある日、親猫の様子がヘンな事に気が付き、一晩中一緒にいた。が、そのまま死んでしまった。

そのショックから数日間泣いてばかりいた。
お墓はお花が綺麗に咲いて暖かな場所にしてほしいと泣きながら親に言ったらしい。(私は覚えていないけど)
その希望通り、親の所有の山で眺めが良く、季節の花が常に咲き乱れる場所に埋められた。

が、その日をさかいに病気知らずの体になった。
親も驚いたが、本人が一番驚いた。
祖母が言うには、猫が病気を一緒に持っていったのだろう。最後に一番私にとって欲しいモノを渡していったのだろう、と言った。

今では病弱なんて言葉は無縁。偶然かもしれないけどあの猫は福猫だった様に思う。

 

 

願い

 

友達に聞いた話。
中学でいじめられた友達、「がっこ行きたくない」と言ったが祖母ちゃんに無理矢理行けと言われて仕方なく行った。
祖母ちゃん孫を送り出した後、神棚に向かって
「孫に原因があっていじめられるなら仕方がない、その印に孫を病気にでもなんでもしてくれ。でも相手が悪いならその印を相手に与えてくれ」
ってずーっと祈ってたらしい。その日いじめの首謀者、高熱で休み。
祖母ちゃんに感謝&神様ってほんとにいるって思ったそうだ。

後日談、友達が成長して就職、職場で上司に明らかに八つ当たりと思われる叱責つーか罵倒された。
頭に来て「ほんとに自分が悪かったなら手足を折ってくれ、上司が悪いなら以下同文」って神棚に祈った。
次の日上司、足引きずってたそうだ。
神様ってやっぱ居るみたいだとのこと。この友達にはマジ悪いことできねえ。

 

 

一緒に戦った先輩

 

大学に入学してすぐにラグビー部に入った。
入部するなり、一人の4年生の先輩に「お前は入学時の俺にそっくりだ」と言われた。
その先輩は僕と同じポジションで、それから2年間(先輩が留年した為に2年間一緒だった)、一緒に酒を飲んだり、麻雀をしたり、ご飯を食べに行ったりと、口では表しきれないほどお世話になった。
その先輩が卒業し、2年間みっちりと鍛えられた僕は、他の先輩を差し置いてレギュラーになることができた。
その年の夏合宿の最中、すごく尊敬していたその先輩が亡くなったと連絡が入った。
バイクでの単独事故だった。
告別式、お通夜は、合宿地から300キロ程離れた先輩の田舎だったが、合宿中ということもあり、キャプテンだけが参列するという方向で部内では話が進んだ。
僕は「もし葬式に出れないのならば、今ここで部活を止める」と駄々をこね、結局キャプテンと一緒に僕もお通夜に参列する事ができた。
僕が一番可愛がってもらってたことを皆知っていたので、無理を言っても反論する人はいなかった。
初めて会った先輩のご両親は、僕の事を亡くなった先輩から聞いていたらしく、「ありがとう、ありがとう」と、泣きながら出迎えてくれた。
僕も涙が溢れ出てしまい、せっかくとってもらった先輩の大好物だった寿司屋の寿司を味わう事はできなかった。

その秋のリーグ戦では、皆心の中に「死んだ先輩の分まで…」という気持が有ったためか、チーム初の決勝進出を果たす事ができた。
決勝の相手は3年連続優勝している強豪チームで、僕等のチームは練習試合も含めて4年間そのチームに勝った事がなかった。
でもその決勝はいつもとは違った。
普段なら押される事はあっても、絶対に押す事のできなかったスクラムはこちらが常に押しつづけ、楕円のボールのバウンドは常に僕達に有利に転がった。
試合が終る少し前にキャプテンが言った。
「このグラウンドに〇〇さんがいる…」
僕も皆もそれはなんとなく気付いていた。
密集の中なんかでも、うしろから誰かが支えてくれている感触が確かに有った。
そして僕達は3点差で試合に勝って初優勝することができた。

試合後、遠いいところを応援に来てくれていた先輩のご両親に優勝の報告をしに行くと、
「少し前に〇〇がこのグラウンドで試合をしていて、試合に勝つ夢を見た。
だから今日は、このグラウンドを見た瞬間に、君達が優勝する事を確信していた」
と、おっしゃっていた。
「このグラウンドには初めて来たが、〇〇が夢の中で試合をしていたグラウンドは確かにここだった」
とも言っていた。
次の日に全員でお墓参りをして、先輩のおかげで勝つ事ができました、と報告をした。

今でも当時の部員が集まる機会があると、
「あの時の試合には、絶対に死んだ〇〇さんがいた。」
「16人対15人で勝つんじゃセコイけど、それも〇〇さんらしいよな」
なんて話題でいつも盛り上がり、そして未だにしんみりしている。

今年の夏がちょうど亡くなった先輩の10回忌なので、皆を誘って先輩の田舎に押しかけようと思っています。

 

 

嫁と姑

 

10年程前、祖母が死去。死因は肺炎。寝たきりの老人にはよくあるヤツ。
祖母は死ぬ3年位前からボケはじめ、徘徊したり家中で排泄したり大声だしたりそれは大変だった。
その頃私は仕事で転勤していて自宅には居なかった。
両親と兄が一緒になって世話をしていた。特に母親は虐められた事を忘れたかの様に一生懸命介護していた。

徘徊している時に怪我をし、そのまま寝たきりになってしまった。
母親は祖母の横に眠り、まるで我が子の様に一緒にいた。
元気な頃、祖母は近所中に母親の悪口を言い回っていたんだけどボケてからは、何故か母親の悪口を言う人に対して怒鳴って怒っていた。
理由はわからんが、あのコは私の娘、いやそれ以上だと言っていたらしい。

そんな生活が続き、家族中が疲れ果てた頃、私がまた転勤になり今度は自宅から通える場所になった。
それを知ってか知らずか、祖母は泣いて喜び、私を離さなかった。
ボケながらも祖母は私にこずかいをくれるとか言っていた。
が、祖母の本当の娘達、その子供達にお金や金品は取られたらしい。
母親も実の娘だから強く言えなかったと言っていた。
祖母はお金やその類のモノは全てなくなっている事に気が付いていなかった。
祖母のお金がなくなると、実の娘達は全く連絡をよこさなくなった。

そして祖母は亡くなった・・・。

我家は結構大きな敷地で家も大きい。相続の問題が出てきた途端に実の娘達の登場・・。
いや~な空気が流れた時、母親がキッパリと言った。
この家は祖母がキチンと渡すべき人に渡す様にしているはずだと言った。我々の知らない時、祖母が元気な時に名義変更してくれていたらしく、名義は随分と昔に父親になっていた。

不思議なことは、母親がこの発言をした事を覚えていない事。
実の娘達に逆らった事が無い母親がはじめて逆らい、皆驚いたと同時にその時の顔が祖母に見えたと皆がビックリしていた。

葬式が終わり、色々と片している時、ふと祖母が私を呼んでいる様な気がした。
はて、何だろう・・・と声のする場所に行くと、両親それぞれの名義の預金通帳があった。
祖母は生前、自分の葬式代くらいは自分で用意する様に、と口うるさく言っていた事を思い出した。
そのお金で仏壇やら何やら購入し、全て祖母に使う形になった。
残りは法事の時に使う様にと、そのまま残した。

それから、不思議な事にその娘達には何やら色々と大変な問題が起きている。離婚やら病気やら借金やら・・・。
内一人は旦那様が無くなり、自宅もなくなってしまった。
今は何処に居るのかもしらない・・・。
私達家族は、その逆に幸せな日々を過ごしている。

良い話かどうかは疑問な所だが、最近母親が妙にしっかり
してきている。祖母が憑いているのか、付いているのか・・・。
嫁姑でも実の親子以上の関係になれると思った。
でも死ぬ前に仲良くしてれば、と思った。

 

 

骨が足りない

 

去年の初めに祖父(母方)が逝き、晩秋に母を亡くしました。
母のつきあっていた彼氏に(母は離婚後独身でした)、兄妹で話して分骨をしようということになり、納骨後に渡す段取りに決めましたが、その後の事情で結局分けたお骨も彼氏に渡すことなく一緒にお墓に入れました。

年が明けて祖父の一周忌の時、祖父の実の妹のおばちゃんが怪訝そうな顔で私に言うのです。
お「**子(母)の骨、ちゃんと全部お墓に入れたよね?」
私「ああ、うん。分骨なんて話もあったけど入れたよ。おばちゃん見てたじゃん。」
お「そうなんだよ。あのときは黙ってたけど、あたしびっくりしちゃったんだから!」

分骨のことを納骨当日まで知らなかったおばちゃんは、納骨の前日の夜に夢枕に祖父が立って、**子の骨が足らない!と怒られたそうです。
祖父は生前、母と彼氏の交際をあまり良く思ってなかったので、心配してくれていたのでしょうか・・・。

確かに彼氏はうさんくさい部分があったので、私もあまり好きではありませんでしたが。
生真面目で優しい祖父を知るその場の人たちみんなで、
「おじいちゃんらしいね。」
と笑い合って、お経をあげてもらいました。今頃親子水入らずでお茶でも飲んでることでしょう。

 

 

七宝のブローチ

 

朝の9時を回り、私服に着替え「昨日はいろいろあって大変だった・・・」と思いながら深夜勤務を終えて帰ろうと廊下を歩いていると、簡単なソファーと自動販売機の置いてある喫煙所でなにやら患者さんどうしで雑談に興じている山田さんと目が合った。

「山田さん点滴中はベットに横になっていてくださいね・・」

と私服であってもやはり看護婦の顔。仕事から解放されたこともあってちょっぴり口をどがらせても笑顔。

手をふってバイバイ・・そして階段を下りようとして山田さんから声をかけられた。
「看護婦さん、麻布さん、退院するんだって、良くなったんだぁ、いつも死んだおとーさんみたいだなんていっていたから、寂しいだろう?」

私はえーと思ったがその場では言葉を飲み込んでしまった。 「だって昨日・・・」
「さっきまで麻布さんと何人かで話し込んでいたんだよ」
8人部屋でいっしょだった何人かで「俺も退院したらどこかで会おう」なんて話してたんだよ、

個室に移ったときは「ああ悪いんだなぁ」なんていってたんだけど、一番先に退院だもなぁ・・・」
「もうすぐ迎えが来るから」といって、さっき帰ったんだけど、「ナースルームへ行ったら看護婦
いなくて・・・」とあんたに渡してと、これ預かったんだよ。

見ると小さな箱だった、中には七宝焼きのブローチがはいっていた。
それは確か遺品とともに昨日、ある施設の職員の人にわたしたはず、検温に行くといつもそのブローチを触りながらいろんな話をしてくれ麻布さん、
奥さんと別れたこと、子供さんがいたこと、生きていれば看護婦さんと一緒の歳ぐらいだよ・・なんていつも話してた。

ふと、目を移すとと窓の向こうに黒塗りの寝台車がうごきはじめたところだった。
私は叫びながら、かけだしてしまった  「おとーさんまって!!」
泣きながら、思った。

「私は知っている、母は父は死んだと言っていたが、本当は別れた事そして、死んだ父がはじめて買ってくれたって大事にしていた母の宝物。それが七宝焼きのブローチだということを」

 

 

むこうずねの痛み

 

私は今でもそうですが、猫が恐ろしくて恐ろしくてなりません。
従姉妹が「チロ」という、白い雄猫を可愛がっていたのですが、小さかった頃、私はこの猫にずいぶんといじめられたからです。
裸足で従姉妹の部屋を歩いたりすると、隙を見て、かかとに噛み付いてきたり、しゃっ!と鋭い爪でむこうずねをひと掻きしていくのです。
従姉妹の家に遊びに行くたびに、そんな目に遭いました。
今にして思えば、私のことを遊び相手……いい「おもちゃ」、からかい相手にしていたのかもしれませんね。

その従姉妹は5年前、急に肝臓ガンで亡くなりました。
もういけない、という電話があちこち駆け巡って、苦しむ従姉妹の周りに親戚皆が揃いました。
私も当然その中にいました。
従姉妹はもう、麻酔がなければ一刻もじっとしていられないほどの、ひどい苦しみ方でした。見ていて辛くてなりませんでした。

ところが、沢山の泣きはらした目が見守る中、
もう意識が戻らないだろうと思われていた彼女が、
まるで親戚一同が揃うのを待っていたかのように、
ぽっかりと目を開けたのです。
そうして周りの皆にか細い声で「今までありがとう」。
そう別れを告げたあと、こう続けました。
「窓のところにチロが来てるの。
私が迷わないように迎えに来たのね……」

従姉妹はその数時間後、息を引き取りました。
担当のお医者さんが伯母の方を見て、ゆっくり首を左右に振った、その瞬間です。
私のむこうずねに鋭い痛みが走りました。
思わず声をあげたくなるほどの強烈なものでした。
すすり泣きが始まった病室をそっと抜け出して、後ろ手にドアを閉め、外であわてて靴下を脱いでみました。
そこにははっきりと、猫の爪によるものとおぼしき、引っ掻き傷が出来ていました。

従姉妹の言ったことは本当だったんだ。
本当にチロは来ていたんだ。
そう直感しました。
「大丈夫。俺が一緒について行くから」
きっと彼は彼なりに、
私にそう伝えたかったのかもしれません。

そう。
昔、さんざんからかって遊んだ、泣き虫のむこうずねを、昔そうしたように、ちょいと引っ掻いて行くことによって……。

 

 

未練があるのは・・

 

私の母は癌系の病で床に臥していました。
母が意識不明になったとき入院し、その間私が寝泊りして付き添っていました。
で、意識のないまま半年後に亡くなりました。
私は末娘のせいか母を慕う気持ちが消えず、亡くなった後もしょっちゅう母の夢を見ていました。
ほとんど毎日のように。
でもそれでも良かったんです。夢でも母に会えるのですから。
そんな状態が半年位続きました。
そしてある夜の夢で、私は母に会う為にある部屋に行きました。
そして女官のような格好をした女の人に取り次ぎを願い、母を呼んでもらいました。
奥から出てきた母に嬉しそうに話し掛けようとする私。
すると母は「○○ちゃん(←私)、もうここへ来てはダメ。お母さんもいろいろと忙しいんだから。もう会いにきてはダメよ。」と言いました。
そこではっと目が覚めました。
ああ、生まれ変わる準備で忙しいのかな?と思ったのですが、なんかすっごく寂しかったです。もう会えないのかなと。
実際、それから母の夢は見なくなりました。
今考えるととっくに成仏してた母を私の未練で引き止めていたのかなと思います。

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