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本当にあった不思議な話『酒を飲んで歓談している動物』など 短編5話【2】まとめ

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本当にあった不思議な話『酒を飲んで歓談している動物』など 短編5話【2】まとめ 不思議な話
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不思議な話・体験談 短編5話【2】

 

 

結婚式前の夜に兄がやってきた

私が幼い頃、母兄私の3人で仲良く暮らしていました。
しかし兄が14歳になる頃、母が事故死してからは親戚をたらい回しされ、
私はまだ4歳でその時の記憶はほとんど無いのですが、兄はかなり肩身の狭い思いをしたと言っていました。
我慢ができず兄は家を飛び出し、幼い私は一人取り残されました。
親戚の家では初めての女の子で、まだ小さかったのもあり、かわいがってもらったのですが、
それでも兄のいない寂しさは今でも覚えています。

1年ほど経った頃、兄が私を迎えに来ました。
住み込みで働ける所を見つけてきたのです。
親戚と揉めたりもしたが私は兄を選び、兄妹二人の貧乏生活が始まりました。

と言っても私は事の大変さが解っておらず、いつもわがままを言い、兄を困らせていました。
小学校に上がる時、ランドセルを譲ってくれないかと中学生の家に行って、町中を必死に探してきてくれたのに、回りの子と比べ、新品じゃないとごねた事もありました。
人形が欲しい、服が欲しいとだだをこねても、困って笑うだけで私を叱らない優しい兄が、
私が靴を万引きしたときはすごく叱りました。

一時兄と気まずい時がありましたが、事件から3日後、玄関に新しい靴が置いてあるのです。
「やりくりすればこれくらい買えるんだからな」と言うと、仕事へ行った兄。
こんなかわいらしい靴をどんな顔で買ったのやらと想像して、笑って泣いた。
それからは私はわがままを言わず、進んで兄の手伝いをしました。

高校へ行かず働くと言った時は、久々に兄と喧嘩になったが、ガンコさに負けて高校へ進学、そして卒業。
生活もたまに外食するくらい余裕が出てきた頃、残念な事に兄が事故死しました。
散々泣いて泣いて、なかなか立ち直れなかったのですが、
素敵な男性と出会い、支えてもらい、やっと立ち直れました。

その男性と結婚が決まり、結婚式前の夜、兄がやってきたのです。
「お前が結婚か~」と、のんびりと話し出しました。
その時私は、何かの催眠術にかかった様に動けずしゃべれなかった。
本当は大声で泣いて抱きつきたかったのに。

「あのな、今日は謝りに来たんや。
お前が4つの時、一人置いていった事、なーんにも買ってやれんかった事…他にもいっぱいあるんやけどな。
お前がわがまま言わんくなったとき、俺はちょっとつらかった。
高校へ行かんと言った時、本当はこっそり泣いてんぞ。不憫で自分が情けなくて」

私はぽろぽろ涙を流しながら、
『何で謝るん?私の方がいっぱい謝らんならんのに…
ランドセルありがとう、制服も、学費も…靴今も大事に持ってるんよ…いっぱい迷惑かけてごめんね』
心の中でそう言うと、兄に聞こえたのか、笑ってゆっくり消えて行った。

その日の夜は昔の夢を見ました。
住み込みのボロアパートの前で、兄と雪だるまを作っていました。
母兄私の3つの雪だるまを楽しそうに作っていると、このころもう亡くなっているはずの母が現れ、
兄の手を取って「じゃ行って来るね。外は寒いから、お家に入ってなさい」と、私に笑いかけました。
私は何の疑いもなく「うん」と言うと、走ってアパートの階段を駆け上がりました。
後ろから兄が声をかけてきました。
「おい、お前の事迷惑や何て思ったこと無いぞ。あと、先に死んですまんな」
振り返った瞬間目が覚めました。

起きて号泣したせいで、顔がパンパンに腫れた花嫁になってしまって、本当は結婚式の写真は見たくないのですが、何処かに兄が写ってるのでは?と、何度も写真を見たものです。

今日は結婚記念日だったので思い出してみました。

 

 

消防車を探す幽霊

これは毎日新聞の記者さんが実際に聞き、掲載したお話です。

ある日の雨の降る夜、会社から家路を急いでいたAさんが、田んぼのあぜ道で何かを探している人に気付きました。
「どうしました?」
Aさんが問い掛けると、その男性は消え入りそうな声でこう言いました。
「長男に買ってきた消防車のオモチャが見つからないんです」
「そうですか・・・一緒に探してあげましょう」
と、Aさんも泥がつくのもイヤがらず一緒に探しました。
でも、どんなに探しても全然見つかりません。
二人で泥だらけになりながら、雨の中必死で探しました。
「無いですねぇ・・・」と何気なく男性の横顔を見たAさんは、おかしな感覚を覚えました。
「・・・あれ?この人どっかで見た様な・・・」
でも、そんな気にも留めませんでした。
「無いなぁ・・・困ったなぁ・・・」
そう言う男性を慰め、ほんのちょっと下を向いた時に、男性の気配が無くなりました。
「あれ?」
周りをいくら見渡しても男性の姿は見えません。
「おっかしいなぁ・・・」
不思議と怖さも無く、泥だらけの姿で家に帰りました。
その泥だらけの姿を見た母親から「どうしたの?」と尋ねられたAさんは、今あった事を母親に話しました。
みるみる内に母親の顔色が変わって行きます。
「どうしたん?」
そう言うAさんの前に、母親は古いアルバムを持って来ました。
「その男の人って・・・この人かい?」
Aさんがアルバムを見ると、そこには幼いAさんを抱いたさっきの男性が写っていました。
「あ・・・」
Aさんは言葉を失いました。
母親は、Aさんが小さかった頃他界した父親の話をしてくれました。
おもちゃの消防車を買って帰る途中で、車にはねられる事故で他界した事も・・・。
「あんたが一緒に探してくれて良かった」と母親は号泣したそうです。

以上がそのお話です。
これは全てウソの話です。
毎日新聞の記者もウソだと知って掲載したそうです。

その記者はこの文章をこうくくっています。
『これはウソの話ですが、僕はこのおもちゃの消防車を探す幽霊が大好きです。』

 

お前の枕元に立ってやるからな

5年前に幼稚園からの幼馴染(小学・中学・高校と一緒)だった親友のNが肺炎で死んじまったんだが、

そいつはよく冗談交じりに、
「死んだらお前の枕元に絶対に立ってやるからな」
なんて言ってたのよ。

俺の方も、
「虚弱なお前よりも、無茶して事故死しそうな俺様のほうが絶対に早死にするだろうから、こっちが先手取るだろうよ」
とか言ってたわけ。

そいつが死んでから2週間も経ってなかったと思うが、
ショックから立ち直れなくて、他の友人達ともほとんど会わずにアパートに一人でいたときなんだが、
ロフトで寝ていると、小さい地震みたいな振動で目が覚めたのよ。
俺ってそういった振動で目を覚ますことが多かったので、また地震でも来たかなと思って、
下にある電光表示の時計を見ようと顔をロフトから出したら、死んだNが腕組みして見上げてる。

洒落っ気のない奴で、いつものワイシャツと茶色系のスラックス姿で、不敵な笑みを向けてるのよ。
怖さとかびっくりなんてことよりも、生前に言っていた事を本当にやりやがったという気持ちの方が先に立って、
頭の中で『やられたっ!!』とか考えたら、
まるで見透かしたように「まっ、そういうことだ」とはっきり言って、
ロフト下の通路を玄関に向かって消えていっちまった。

遊びに行ったりしても、別れ際は「じゃっ」の一言だけで手も振らず振り返りもしない、
あいつらしいプレーンな別れ方がそのままで、
あいつの姿が消えた後も、嬉しいやら先を越されたことが悔しいやらで、妙な気分で泣いちまったよ。

あの野郎、今度墓参りに行ったら、柄杓で水をかけずにバケツで水をかけてやる(笑)

 

 

酒を飲んで歓談している動物

私は仕事の関係で、アジア圏を中心に出張や短期駐在に行くことがあります。
こういう生活を続けるとかえって日本の風物が懐かしくなるもので、
いまの趣味が休日利用の温泉や神社仏閣巡りが中心になってます。

で去年の夏、高野山に行ってきました。

そこの奥の院というところは、いろんなお墓があることで有名な霊域ですが、
そこに行ったらどうしても足が横道にそれて、私には関係のない墓に立ち止まってしまいます。
ああ、引っ張られてるなと思いましたが、これも何かの縁と般若心経を唱えました。
そしたら次もまた引っ張られて心経、また引っ張られて心経と繰り返してました。
いくつくらい廻ったのかわかりませんが、
奥の院というところは、入り口から弘法大師の眠る御廟まで一時間強もあれば帰って来れるところですが、
私はそんなことしてたから3時間半ほどかかりました。
実はここに来るまで左肩がやたら重かったのですが、
ひとつひとつそうした墓や碑を過ぎるたびに軽くなってきたことも覚えてます。

そして其の夜、旅先の旅館で夢をみました。

その夢は馬や牛、イヌ、鳥、珍しいところではもぐらやカワウソみたいなたくさんの動物くんといっしょに、
円座になって酒を飲んで歓談しているものでした。
人間は私だけでしたが、覚えてるのはつまみは枝豆と豆腐くらいしかなかったことかな?
さすが動物宴会だ、肉がないって変に感心しながら楽しんでました。
霧のようなものがでてきたので、「そろそろお開きだ」って馬さんが言い出し、みな片づけをし始めました。
そして皆こっちを向いて、「ありがとう」と挨拶。
「え、おれ、なんもしてないよ」って言いながら視線を彼らに向けると、
皆人間の姿になっていて、軍服を着た人、レトロな背広を着た人、ドカチンスタイルの人、モンペを着た女性が十数名、手を振りながら霧のなかに消えてゆきました。

そこで目が覚めました。

あまりに強烈な夢だったので、いろいろモーニング食べながら考えてましたら、
昨日の高野山の一件を思い出しました。

そういえば昨日いっぱい拝んだ墓は、
『海外物故者』とか『航空兵』とか『近衛兵』とか『陸軍なんとか』『海軍かんとか』って書いてたな。
きっと海外にいたときに私の身体について、ここまで一緒に来たんだな。
それでわざわざ夢にでて、御礼を言いに来てくれたんだ。
そういや、ここに来る前には重たかった左肩も、いまはすっかり軽くなってる・・・
怖くはなかったです。
それよりも、私を驚かさないように愉快な動物くんになって来てくれた事のほうが、うれしくて悲しかったです。

今度でて来るときはそのまんまの姿でいいよ、怖がらないから。

 

 

爺さんが、感情を出しやすくしてくれた

小学校1~2年生まで自分は感情の起伏の無い子供だったらしく、
両親がとても心配してよく児童相談所や精神科みたいな所に連れていかれていた。
その時も面倒くさいとも楽しいとも思った事は一切無く、自閉症気味と診断されていたそう。

今親に聞くと、赤ん坊の時からめったな事では泣いたり笑ったりする事も無かったとか。
でもきちんと人の話は聞くし、知能も高かった事から親以外からは大人しい良い子だという風に受け入れられていて、上手く言い表せない自分の両親は心配しながらも、少し不気味に感じることもあったそうだった。

でも自分の爺さんは、そうやって不安がる両親に対して
「こいつにはこいつのペースがあるんだ。放っておけ」
と言うだけだった。
別段爺さんは自分を甘やかす事も無く、だからと言って無視したり虐待するでも無かったけれど、婆さんと両親は爺さんを冷たいと怒っていた。

ある日、爺さんが風邪をこじらせて肺炎になり入院した。
母親に連れられて見舞いに行ったとき、母親が花を花瓶に入れる為に病室を出て行った。

自分と爺さんが二人だけで病室にいて、何も話す事は無く物音一つしなくて二人共動く事も無かった。
ふと自分の頬の側の空気が動き、見ると爺さんが青い小さなみかんを自分に差し出していた。
それをそのまま機能的に受け取って、爺さんも自分も何事も無かったように母が来るまでじっとしていた。
そのみかんをどうしたかは記憶が無い。
きっと家族の誰かが食べたんだろうとは思うけれど。

爺さんはそれから少しして死んでしまい、お通夜も葬式の時も何も感じる事は無かった。
初七日が過ぎ、爺さんの仏壇に供えていた青いみかんを何の気なしに母親が自分に与えて、自分も受け取ってその皮を剥いた。
青いみかんのしゅわっという香りとみかんの水分が自分の周りに漂った瞬間、自分の喉の奥が急に詰まったように痛くなり、胃が固まって震えるような感覚に襲われた。

生まれて初めての感覚に驚き、声を上げようとしたけれど喉が潰れたような感じになってうめくような声しか出てこない。
その時初めて「助けて」と思い、うずくまっていると顔が濡れている事に気がついた。
触ると目からぼたぼたとどんどん涙が出てくる。
自分のうめき声に驚いた母親が慌てて自分に駆け寄ってきたのがわかった。
母親に必死にしがみ付き、自分の世界が壊れていくような恐怖を感じ、身体を硬くして叫び続けていた。
母の暖かい腕が自分に巻きついているのを感じ、温かい手のひらが頭や顔や体を撫でてくれているのを感じ、
そしてだんだん落ち着いていくのが判った。

どこか痛いのかと心配する母と父と婆さんの顔を見て、口が自然に開いて、しゃくりあげながら「ありがとう」と言葉を発していた。
顔の筋肉が引きつって、あんなに苦しかった胸の中がだんだん温かく柔らかくなっていくのがわかった。

両親と婆さんが驚いた顔をして、とたんに皆が今度は泣き出した。
「ありがとう」と言って自分は笑ったらしい。

爺さんが、感情を出しやすくしてくれたんだと婆さんと母親が言っている。
父親も自分もその事がどうとか何も言わない。
でも爺さんの仏壇に毎日毎食、皆が食べるものと同じお膳を備える事を一日も欠かす事は無い。

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