『三つの神社クビになった神職』 – 本当にあった不思議な話・怖い話

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『三つの神社クビになった神職』 - 本当にあった不思議な話・怖い話 不思議な話
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二社目

んじゃ二社目行きます。

クビになった一社目の宮司さんや職員も薄々僕がやってないことには気づいてたと思う。
でも実際神社の奉仕に支障も出てたもんだからクビにせざる終えなかったと思う。
その証拠として宮司さんは転職先を紹介してくれた。
それは同じ県内の中規模神社。なんせ人が足りないから誰でもいいから欲しいとのことだった。

 

半月ほどニートを過ごし、神職6人ほどの中規模神社でのご奉仕が始まりました。
人が少ないこともあり、わりかしオールマイティにこなせば成らず前の神社よりかハードな日々でした。
また最初はクビの理由も理由だったので冷遇されており悲しい日々を過ごしてたが気づけば皆に受け入れられ順風満帆な神主生活を二年近く送っていた。

 

二年間何も霊を見なかったわけではないが、仕事に支障を来すものは無かったので良しとしてた。
そんなある日ある御祈祷の依頼が来た。
簡単にいうと心霊写真の御祈祷だね。
とはいえ心霊写真のお祓いの仕方なんて学校じゃ習わないしあんまり神社に来ることもない。
依頼をしてきたのは老夫婦だったんだけど
写真の内容は夫の足が映らなくて顔が明らか違う人になってるというものだった。
たしかに見ると足は映らないというより薄く見える。とはいえ光の関係で写真の下の部分が白くなってるのでその影響なんじゃ?と思う程度。
顔もまぁたしかに違うようにも見えるが…ぐらいの具合だった。

霊感はあるけど全て見えるってわけじゃないし胡散臭くなるのも癪だったので。

ただまぁ初穂料出して頂く限りはやらざるえない。
とりあえずお祓いと祝詞をあげて写真はこちらで引き取る事にした。
次の日に異変は起きた。写真が黒ずんで見える。
顔と足の部分が。

 

とはいえ僕は新米のペーペーなんで対処の仕様が分からずとりあえず上司のA禰宜に相談した。
僕「Aさん、すみません、、、昨日の昼の御祈祷の件なんですけどこの写真どう思います?」
写真を取り出そうとする
A「なに?写真?」
僕「はい、昨日老夫婦が二時頃来て僕御祈祷したじゃないですか、心霊写真の…」
A「お前なに言ってんだ?昨日の昼は俺と一緒に大祭の準備しただろ?」

 

たしかに途中まで大祭準備で書類の作成をAとしていた。
しかし御祈祷番だった僕は途中で抜けて老夫婦の御祈祷を担当したのだ。
でもこれは普通にA禰宜の勘違いで幻覚では無かったw
さすがに人の記憶まで変わると霊感云々の問題じゃ収まんねーわ
「この写真ですけど…」

A「うん…この写真…いつ撮られたって言ってた?」
僕「一月前に町の○○湖の畔らしいです」
A「困ったな…」
僕「なんかあったんですか?」
A「これを見てくれ」
A禰宜が出したのはファイルの中に無造作に置かれた写真の数々。7,8枚あった。
全てが同じように黒ずんでおり中には真っ黒のものもあった。
そして全て同じ湖で撮られたものだった。

A「これは古いもので十年前、最近ので三年前のものだ。」
つまりこういうものだった。湖にあった湖の主を祀った神社を十年前にうちの神社と合祀して以来このような写真を撮られているという。
神社職員はこの写真の原因を主(神)の怒りであるとし三年前に鎮魂祭を行う事で鎮魂したと思っていたらしい。

 

そして新人の職員である僕が神様の神威がかかった写真にお祓いをした為、なにが起こるか分からない。なんてことをしてしまったんだという事だった。
ま、神様を浄め祓うなんて言語道断だよね。
社務終わりに巫女を含めた職員全員で会議を行う事になった。
宮司「今回の件は新人である1くんに伝えてなかった私どもにも問題がある。」
僕「本当に申し訳ありませんでした。しかし今回の一件は何処に問題があるのでしょうか。」
A禰宜「たしかにそう思うかもしれないが実は先ほど見せた写真に写った人物、みんな何かしらの死因で一ヶ月以内に亡くなっている。今の宮司の父で先代の宮司も鎮魂祭を行なった三年前に亡くなった。」

 

結局職員会議で改めて僕とA禰宜で湖に行く事になった。
湖の主というのが大蛇らしく
昔湖に大蛇がおり、その大蛇に人々は今で言う生贄を捧げて納めていたという。
生贄はその年で一番早く生まれたものを捧げることになっており、村から年に一人八月に赤子を捧げることになっていた。
ある年の冬、男の赤子が生まれたという。
その妻は赤ん坊を生贄にしないでくれと言い残り命が尽きた。
男は村の掟を破り、逃げ山奥で暮らし始めたが村の者に見つかり赤ん坊を取り上げられたという。
八月の生贄捧げの祭りの晩、男は赤子を助けるべく湖に行った。
その男が見たものとは百尺を超える大蛇で腕だけになった赤子の腕だけだったという。
男は狂乱し大蛇に鍬を何度も突き刺して殺したという。命に代えて。

それから湖は荒れに荒れ湖から流れる下流の川も氾濫を起こし生贄の文化は江戸の半ばまで続いたという。
こういうものだった。

 

鎮魂祭も特別な祭儀だったらしい。
当時の祭儀記を見ると変わった点でいうと
赤子の饅頭を五つ置いて湖の中に投げる。
饅頭っていうのは大陸の影響だろうけど。
そして饅頭が全て沈むまで祝詞を唱え
他の神職がお祓いの大麻と塩湯を振り撒く。
沈んだところで四方に木を立て注連縄を張る。

だいたいこんな感じだったという。
ちなみに鎮魂祭自体は古来の室町あたりに生贄を捧げる際に行われてたものを踏襲してるらしい。

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