ろくろっ首
叔父さん | おい、おいおい、松公...松公じゃねえか? 何だよ、しょうがねぇなぁ、そうやって表からうちンなか覗き込むんじゃねぇよ、外を通る方にみっともなくてしようがねえじゃねぇか。おいおい、こっち入れってんだよ...で、なぁ、おめぇ叔父さんのうちだからって挨拶くらいしろよ, |
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松蔵 | え?, |
叔父さん | 挨拶をしろってぇの |
松蔵 | あ? あぁ、あいさつ...さいなら... |
叔父さん | お? なんだ、さいならって、もう帰ンのか? |
松蔵 | ...だって叔父さん、こないだそう言ったろ。あいさつしろ、あいさつしろって。「あいさつは何だ?」ってあたいが聞いたら「さよならだ」って...あいさつは「さいなら」だィ... |
叔父さん | そりゃお前、けぇる時に言われたんだろ? 来たときには丁寧に頭を下げて「こんにちわ」、帰るときは「さようなら」、暑いときには「お暑うございます」、寒い時分には「お寒うございます」、これが挨拶ってもんだ |
松蔵 | ...こんにちわ...お、お寒うございます |
叔父さん | もう寒くないよ |
松蔵 | ...お暑うございます |
叔父さん | まだ暑いって陽気じゃねぇな |
松蔵 | ...おぬるうございます |
叔父さん | ばか野郎、おぬるうございますなんて挨拶がどこにある! |
松蔵 | へへ...どうでもいいや... |
叔父さん | どうでもいいってこたぁあるか! ったく、おめぇって野郎は...で、今日は何しに来たんだ? |
松蔵 | いや...あの、兄貴がね... |
叔父さん | あぁ、兄貴の言づてか何か持ってきたのか? |
松蔵 | いや、そうじゃねぇんだ...あ、あの、お袋がね... |
叔父さん | ああ、おっかさんに何か頼まれて来たのか? |
松蔵 | いや、そうじゃねぇんで...ちょっとさ、叔父さんに相談があって、そいで来た... |
叔父さん | おぅ? お前に相談なんていわれると何だか擽ってぇなぁ。何だ、その相談事ってのぁ |
松蔵 | あの~ォ、兄貴がねぇ...今年...三十三なんだ... |
叔父さん | ああ、そうだ。お前の兄貴は今年で三十三歳だ |
松蔵 | ...三年前に嫁さんもらった... |
叔父さん | ああ、三年前にな、知ってるよ、ちゃんと覚えてら。それがどうした? |
松蔵 | ...子供ができたよ... |
叔父さん | ああ、そら嫁さんもらやぁ子供もできるだろうよ。不思議でも何でもねぇやな。それがどうした? |
松蔵 | その子供がだんだん大きくならぁ... |
叔父さん | そりゃおめぇ、子供はだんだん大きくなるものと相場が決まってらぁ。だんだん小さくなった日にゃ、無くなっちまうもんなぁ。それがどうした? |
松蔵 | 朝なんかさ、兄貴がこっち座ると兄貴のかみさんがこっち座って、真ん中で子供がちゃぶ台に手ぇついて立ち上がって...お膳の上のもの手掴みにして口ン中に持ってったりすんだよ...見てるってぇと、可愛いや... |
叔父さん | へへっ、ナニ言ってやがる...それがどうしたってぇんだよ? |
松蔵 | ...いや...それがどうしたってけどよぉ...あ、兄貴の嫁さんが兄貴呼ぶときに...「お前さん」...ヘヘッ...「あなたやぁ」なんて...ハァ... |
叔父さん | な、何だよ、つらァ緩めやがって そりゃな、お前の兄貴のかみさんなんてもなぁ、職人のかみさんにしちゃよくできたかみさんだ。「あなたやぁ」くらいのこたぁ言うだろう。それがどうした? |
松蔵 | んー、叔父さん、それがどうした、それがどうしたって言うけどね、あたいなんてうちにいてお袋といっしょにおまんまなんぞ食ってもうまくも何とも無いよ。顔見たってしわくちゃでさ、沢庵なんぞ食べたって入れ歯でもってモゴモゴクチャクチャ出したり入れたり、やっとのことでおまんますんだと思ったら今度は入れ歯みんなはずしちゃって、どんぶりの中で上からお湯かけてさ、ジャボジャボ洗ってんだよ。歯の抜けたあとの口はほら穴みてぇになっててさ、あの口であたいのこと「あなたやぁ」って呼ばねぇ... |
叔父さん | 何を言ってやがんだ、この野郎...あたりめぇだ、なんでお袋が自分のせがれの事を「あなたやぁ」なんて呼ぶんだ。で、それがどうしたんだ? |
松蔵 | いや、それがどうした...って...ヘヘッ...あたいもさ |
叔父さん | ナニ? |
松蔵 | いや、あたいもね... |
叔父さん | お前、しっかりしろよ、いったい何歳(いくつ)になるんだ? 「あたい」なんてなぁ、七、八つになる可愛い女の子が言うセリフだ。えぇ? 向う脛に毛生やかしやがってモクズガニみてぇな脚をしてやがって「あたい」ってことがあるか!? |
松蔵 | じゃ...ぼく... |
叔父さん | お前は「ぼく」って面じゃねぇ。その下に「にんじん」でもつけろ |
松蔵 | ぼ、ぼくにんじん...朴念仁...ヘヘッ |
叔父さん | この野郎、喜んでやがる... |
松蔵 | じゃ...あたし |
叔父さん | まあ、そんなところだろう。その「あたし」がどうした? |
松蔵 | あ、あたしもさ...二十五だから...ヘヘッ、二十五になっちゃった...だ、だからさ、兄貴に...負けねぇ気になってさ... |
叔父さん | ああ、なるほど、二十五になったから兄貴に負けねぇ気になって何か商売でも始めようってのか。そりゃいいや、結構な話だ。よし、元手は叔父さんが貸してやってもいいぞ、何始めようってんだ? |
松蔵 | いや、そうじゃねぇんだよ...いや、だからさ...兄貴に負けねえ気になってさ...お...おょ...およよよよよょょ...ふ、ふぁ...そ、そいで、お袋も安心するだろうから...そいでもって叔父さんに相談に... |
叔父さん | なら、兄貴に負けない気になって何か手に職を... |
松蔵 | いや、そういうんじゃねぇんだ...ヘヘッ...お、およ、およょょ |
叔父さん | 何かモゴモゴ言って、ちっともわからねぇ。何だ、ハッキリ言ってみろ! |
松蔵 | はっきり言うのは...へへへっ、きまりがわりぃや... |
叔父さん | きまりが悪いってことがあるか。叔父さんの前できまりが悪いなんてことが。いいからハッキリ言ってみろ |
松蔵 | じゃ、はっきり言うよ |
叔父さん | ああ、そうしてくれ...おい、大丈夫か、おめぇ、眼が座ってきやがったぞ...かお真っ赤にして... |
松蔵 | およ...およめさんが...もらいたいの...お嫁さんが...もらいたい...お嫁さん...お嫁さん...お嫁さん...お嫁さん! |
叔父さん | 分かった! もういいよ、もういい。 おい、松公、お前だってまんざら木の又から生まれたわけじゃねぇ、二十五にもなりゃ嫁さんの一人も欲しくなる気持ちは分かるがなぁ...お前の兄貴ってもなぁちゃんと手に職がある。りっぱな職人だ。女房子持ったってちゃんと食べさせていくことができらぁ。お前、嫁さんもらってどうやってメシ食わせる? |
松蔵 | ...そらぁ...ハシと茶碗で... |
叔父さん | そんなことぁおめぇに言われなくても分かってる。おれが言ってんなぁ、どうやって暮らしを立てていくかってことだよ! |
松蔵 | ...そらぁ...叔父さん、心配ないよ...嫁さんに稼がしたり...お袋働かしたり... |
叔父さん | 馬鹿なこと言ってんじゃないよ。そんな事言ってるようじゃ、嫁さんなんぞとんでもねぇ。悪いが叔父さん、この相談には乗れねぇよ。帰んな。 えぇ? いや、ばあさんは口出しするんじゃねぇよ。お前だってそうだよ。時々小遣いなんぞやってんだろ? そうやって甘やかしてるからこんな馬鹿モノが出来上がっちまうんだ。 いいか、松、おめえ、よく考えろ。お袋だって何もお前と一緒にいなくたっていいんだぞ。兄貴のところへ行きゃ今ごろは孫のお守りなんぞして楽隠居だ。それじゃおまえが可哀相だってんで仕方なくおまえといっしょにいるんじゃねえかよ。それを言いたい放題言いやがって... ナニィ? お嬢さんのお婿さんにしましょうだァ? あいつをお屋敷のお嬢さんのお婿さんにィ...?? あぁ...そうだなぁ... こいつ、鈍いからものに感じなくていいかもしんねぇなぁ... おぃ、おいおい、松、待て、ちょっとこっちこい |
松蔵 | え、エヘヘ、なんだい? |
叔父さん | 今なあ、嫁さんがもらいたいって話だったが、実は養子の口があるんだが、お婿さんに行かないか? |
松蔵 | 婿養子? ウヘヘ、「小糠三合持ったら婿養子に行くな」って |
叔父さん | 生意気なこと言うな、そりゃ一人前の人のいうセリフだ。お前なんぞ「小糠り」どころか「大抜かり」じゃねぇか まあ、いいや...このお嬢様ってのがな、叔父さんのお出入り先のお屋敷のお嬢様でな、ご両親はとうにお亡くなりになって、お嬢様をお育て申したばあやさんと女中さんが二人の四人暮らしだ。ここへお前が行けば五人暮らしってことになるんだが... そりゃもう、この家屋敷ってなぁ、たいそう広いんだ。財産だってたくさんあるぞ、何もお前がそこ行ってあくせく稼ぐこたぁないんだ。いい着物を着て、美味いものを食って、ブラブラ遊んでればそれでいいんだ。お嬢さんだっていい女だぞ、近所で小町娘といわれるほどの器量良しだ。 そういうところへ叔父さん、お前を紹介してやろうってんだが、どうだ、行くか? |
松蔵 | ウヘヘ...美味いもの食って、ブラブラ遊んで...行くよ、叔父さん、それ行くいく。叔父さん、今から行こう! |
叔父さん | 行こうって、なぁ...お前みたいなヤツでも勤まるってなぁ、そこにゃそれなりの訳ってものがある。実はこのお嬢様には悪いお病いがあってな... |
松蔵 | なんだい、そのお病いってのは |
叔父さん | 夜、お嬢様といっしょにお休みになる、真夜中にな... |
松蔵 | ああ、分かったよ、寝ションベンかなんかするんだろ? いいよ、寝ションベンくらい、あたいも時々はするから |
叔父さん | お前、二十五にもなって寝ションベンなんぞするやつがあるか...そんなんじゃない。 このお嬢様のお寝間というのがお屋敷の一番奥まったお部屋だ。幾間も幾間も隔てた奥の端だ。未だに行灯(あんどん)というものを使っている。行灯たっておめえは知るめぇがな、菜種油に灯芯を入れて、障子の箱みたいのに入っている、薄ぼんやりした明かりだな。 このお嬢様の枕元に六枚折れの金屏風が立てまわしてあって、その後ろに行灯が置いてあるんだが、やがて夜が更けて草木も眠る丑満時...屋の棟も三寸下がる...水の流れもぴたりと止まるという刻限...今で言うちょうど夜中の二時ごろだ...この時刻になると寝ているお嬢様の首がス~~ッと伸びて、屏風を逆さまに越したかと思うと、行灯の障子を鼻の先でツイッと上げて...中の油をぴちゃぴちゃと舐める... |
松蔵 | ウヘヘッ、そりゃ面白いや! |
叔父さん | 面白くねぇ! まぁ、このお病いのせいでな...今までいろいろとお婿さんの来手もあったが、みな財産目当て、器量好みだ、我慢ができなくて逃げ出しちまう。ばあやさんもずいぶんと心配して「この事さえご承知の方ならどなた様でも結構でございます」ってんで叔父さん頼まれてる。そこへお前を紹介しようってんだ。どうだ |
松蔵 | わかった、そりゃ叔父さん...ど、ど、どくどっくびだ! |
叔父さん | 舌が回らねぇなぁ...それを言うならろくろっ首だよ |
松蔵 | そうそう、そういうのはあたいはあんまり好かない... |
叔父さん | そりゃそうだ、誰だって好かない |
松蔵 | そりゃ叔父さん、夜中だけかな |
叔父さん | ああ、夜中に限ったことだ。昼間伸びるということは無い |
松蔵 | あ、そうか、夜中だけか...それなら叔父さん大丈夫だよ。あたい、一遍寝ちゃったら地震がこようが火事になろうが水が出ようが、眼なんか覚めたことが無いんだから。寝てる間ならいくら伸びたって分かりゃしないから構やしねぇや。伸びろや伸びろ、天まで伸びろ |
叔父さん | 凧上げしてんじゃねぇぞ、まったく寝坊が何の役に立つかわからねな。よし、じゃ早速これでいってみようかな。いやいや、なりはなかなかこざっぱりとしてるから、このままでいいや あ、それからな、お前に言っとかなきゃならない、ってのはな、このお屋敷のばあやさんてのが大変に礼儀正しい人だ。言葉使いも丁寧でな、「本日はまことに結構なお天気様でございます」、天気に「様」を付けようって位だ。そこへお前が行って「おぬるうございます」なんて言った日にゃ何もかもブチ壊しになっちまうからな。 いいか、ばあやさんが「本日はまことに結構なお天気様でございます」って言ったら「左様、さよう」と言っときな。重ね言葉なんざ鷹揚でいいもんだ |
松蔵 | はは、「左様さよう」 |
叔父さん | それからな「このお話がまとまりますればご両親様もさぞかし草葉の陰でお慶びの事でしょう」位の事は言われるだろうから、そのときゃ「ごもっとも、ごもっとも」とでも言っときな |
松蔵 | 「ごもっとも、ごもっとも」、他には? |
叔父さん | そうだな、あとは、如才ないばあやさんのことだから「あたしもこのように年を取っておりまして、なんのお役にも立てません」くらいの事は言うだろうから、とんでもございません、という心をこめて「なかなか」と言っとけ |
松蔵 | 「なかなか」、ハハハ、あと叔父さん、なに言えばいい? |
叔父さん | いや、もうこの位でいいよ。あとは叔父さんが何とかごまかすから |
松蔵 | ははは、こりゃ簡単でいいや、向こうがなんかごぢゃごぢゃ言ったらそのたんびに「左様左様、ごもっともごもっとも、なかなか」って言っときゃ向こうでいいのを選り取るんだな |
叔父さん | 選り取るなんてことするか! それじゃひとつ稽古をしてみよう。挨拶の稽古なんてみっともねえ話だがな... いいか、叔父さんがばあやさんの役だぞ。「わたくしもこのように年を取っておりまして、何のお役にも立てません」と言ったら、お前、なんて答える? |
松蔵 | ...左様さよう! |
叔父さん | ち...違うよ |
松蔵 | ...ごもっとも、ごもっとも |
叔父さん | なお良くないよ、それじゃ! ここは「なかなか」ってんだ。お前 なァ...しょうがねぇなぁ...ハァ... おい、ばあさん...あ、あの...隣の子が負いてった毬...毬があんだろ? ああ、それだ、ちょっと投げてくれ。ああ、ありがとよ。それとより糸の長いのも...ああ、これでいい。 ほら、この長い糸の先っぽを下帯に、ふんどしだよ、ふんどしに括り付けんだ。そう、着物脱いで...バカ、お前いくら叔父さんでも向こう向いてやれよ、むさ苦しい...できたか? よしよし、じゃこの糸の先をこの毬に結び付けて叔父さんが持つ。ばあやさんは向こう側に居るからこの毬には気づかない。そこで、叔父さんがこの糸を引っ張って合図する。 |
松蔵 | へぇ、ひとつが「左様さよう」...ふたつが「ごもっともごもっとも」...みっつが「なかなか」...こりゃ面しれぇや |
叔父さん | じゃ、やってみるぞ、「このお話がまとまりますればさぞかしご両親様も草葉の陰で...」そら、ふたつだ! |
松蔵 | ふたつ...は...ごもっとも、ごもっとも |
叔父さん | よーし、できるじゃねぇか。じゃ今度は「わたくしもこのように年を取っておりまして...」みっつだ! |
松蔵 | みっつは...なかなか |
叔父さん | じゃ、「今日は結構なお天気様で...」ひとつはどうだ! |
松蔵 | ひとつは...残念でした、またどうぞ! |
叔父さん | ...ま、まあいいや...こ、こんなんでもうまく向こうに収まりゃ、まあ結構だよ...じゃばあさん、行ってくるよ...うまく行きゃ人間の廃物利用だ...ハァ... |
松蔵 | 叔父さーん、 おーじーさーん... どこ行ってたのぉ? |
叔父さん | うるさい、うるさいよ...そんなバカでかい声を出すんじゃないよ、こんな静かなお屋敷で...いくら広いからって、それじゃ丸聞こえだ。 いま、ばあやさんに合ってきたぞ。玄関のところを通るところを見てらしたらしくてな、「なかなかご立派な方でございますな」なんていわれちゃったぞ。いいか、今ばあやさんが来るから、毬はちゃんと出てるか? そうか、こっちかせ。で、叔父さんのなるべく陰になるように座れ、そうそう。いいか、胸張って、眼をキョロキョロさせるんじゃねぇぞ |
ばあやさん | これはこれは、ようこそ御出でくださいまして...本日はまことに結構なお天気様でございます |
松蔵 | ...左様さよう! |
ばあやさん | このお話がまとまりますれば、さぞかしご両親様も草葉の陰でお慶びのことでございましょう |
松蔵 | ...ご...ごもっとも、ごもっとも 後は...なかなか |
叔父さん | いぃぇぇっ、なんでもございません... へっ、ありがとうございます、いえ、とんでもございません。お気遣いいただきましては却って痛み入ります、はい、ではそのお話はまた後ほど...ハイッ なんで...後はなかなかなんて言うんだよ! |
松蔵 | どうせ言うもんだから、手回し良く... |
叔父さん | 手回しなんぞいらねぇ! まったく...まぁ、本来ならここでお嬢様が桜湯かなんか持って出てくるのが決め式なんだが、今日は顔見せってことでそれとなく庭先を通るからそれを見てくれっておっしゃるんだ。おめぇは庭先を見てりゃいいんだ。庭先を! |
松蔵 | 庭先ったって叔父さん、庭なんぞねぇ |
叔父さん | 障子が閉まってっから見えねぇんだよ! それくらいの事分かるだろう! 部屋の中に庭があるか! |
松蔵 | あ、なるほど、叔父さん頭いいや。ああ、障子が開いた。あ、女の人が開けてくれたんだ。ここんちのお嬢さんかな |
叔父さん | あれは女中さんだ |
松蔵 | なんだ、女中か... |
叔父さん | ばか野郎、『女中か』なんて言うヤツがあるか。そんなこと言ってると直ぐに中身を見透かされちまうぞ。ああいう人が一番難しいんだ。といって、お前はここの主になるんだ。安っぽくヘコヘコするこたぁねえがな。鷹揚に「なにぶんよろしく」くらいの事は言っとけ |
松蔵 | ははは、そうか... な、なにぶん、よろしく... 女中さん、ニコニコしながら行ったよ... |
叔父さん | えぇ? おれにゃ笑われてるように見えたがなぁ...まぁ、いいや、それより、庭を見てろ...お嬢さんがお通りになるぞ |
松蔵 | え? お庭... うわぁぁぁぁっ...広いお庭だねぇ...ずいぶん広いなぁ...池があって築山があって...鬼ごっこするにゃもってこい |
叔父さん | お前、二十五にもなって鬼ごっこの心配なんぞしてんじゃねぇ...お、ほらほらほらほら、お嬢様が出てきたから、ほら、良く見ろ、お嬢様だぞ |
松蔵 | うわー、本当だ...叔父さん、いい女だねぇ...兄貴の嫁さんよりずっといい女だ |
叔父さん | そりゃあたりめぇだ、比べちゃ可哀相だ。拵えからぜんぜん違わぁ |
松蔵 | ...叔父さん...あの、首が、伸びる... |
叔父さん | 今は何でもない |
松蔵 | 今は何でもない? |
叔父さん | 夜中に限ったことだ |
松蔵 | 夜中に限ったことか... でも叔父さん、ほんとに夜中だけならいいけれど、四、五日雨が続いて陰気でしょうがないから、今日はひとつ昼間から景気良く、首を伸ばしてご覧に入れましょー... なんて |
叔父さん | んな馬鹿なことが |
松蔵 | ごもっともごもっとも! なかなか...なかなか、なかなか...ごもっとも! |
叔父さん | な、なんなんだよ、出し抜けに、もうそんなこと言わなくていいよ |
松蔵 | 言わなくたってって、叔父さんが引っ張るから... ごもっとも...なかなか、なかなか... 左様さよう! |
叔父さん | 叔父さんは何も...ホラッ...お嬢さんが顔赤くして向こうへ駆け出して行っちまったじゃないか、おれの手を見ろ、手を...何もしちゃいねぇ |
松蔵 | なかなか、ごもっとも...あ、ネコだ...ネコが毬にじゃれてる...この野郎、三味線屋にうっぱらっちまおうか |
叔父さん | ばか野郎、お嬢さんの可愛がってらっしゃるネコだ。そんなことしてみろ、お屋敷から叩き出されるぞ |
松蔵 | ああ、そうか...ネコや、なにぶん、よろしく |
叔父さん | ネコに挨拶するやつがあるか! |
こんなありさまでも縁があったものと見えまして、無事婚礼ということになります。やっこさん昼間は美味いものをたらふく食べまして、さて、床に就きましたが、こんなやつでも慣れない床だとなかなか寝付かれないものと見えまして、真夜中になりますと目が覚めて...
松蔵 | あ~ぁ...おっかさん...んんん~ん...あ、おっかさんじゃねぇや... あたい、このうちにお婿さんに来ちゃったんだ...ヘヘッ、鯛の目玉が美味かった...ヘヘッ、ここに寝てんの、あたいの嫁さんだよ、いい女だな... ああ、どっかで時計が鳴ってら...ボーン...ボーン...ふたつだ...ふたつだから「ごもっとも、ごもっとも」だ... なんだい、この女、いい女だけど寝相が悪いや、枕はずしちゃって頭が...頭が...あ...ああぁぁぁぁ~~っ! の、伸びたーッ! 叔父さーんっ、伸びた伸びた伸びたァァァァッ! 開けてよーッ、開けてくれーっ! |
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叔父さん | 何だ何だ、いったいどちら様で? な、なに! 松? 松公か? 大声を出すんじゃない! 御近所皆さんお休みになってらっしゃるんだぞ! 戸を叩くな! 今開けるからちょっと待ってろ! 入れ、早くこっちへ...まったく何事だ? |
松蔵 | ふぇぇぇー、あ、あ、あ、く、ぐぐっ...あの、の、ののびのび...あぁ、あああぁぁぁっ! |
叔父さん | なに言ってんのかさっぱりわからねぇ。 ちょっと水でも飲んで落ち着け |
松蔵 | あああ、あ、の、の、伸びたぁぁぁ~ |
叔父さん | 何だ、このやろう、伸びた伸びたって、お前伸びんの承知で婿入りしたんじゃねえか! |
松蔵 | し、承知でったって...そ、そんな、初日から伸びるなんて思わなかった... |
叔父さん | 何だ、初日ってのは、相撲や芝居じゃねえんだぞ |
松蔵 | だめだ、もういい、あんな女に「あなたや」なんて言われなくったっていい! |
叔父さん | そうは行かないよ、お屋敷へ帰れ! |
松蔵 | うわぁぁぁ、いやだ~っ、いやいやいや、あんなところもう二度と行きたくねぇ |
叔父さん | ばか野郎ッ! 叔父さんばあやさんに請け負っちまったんだぞ、「大丈夫でございますか、ご承知でございますか」「ええ、大丈夫でございますとも!」って、叔父さん太鼓判押しちまったんだ。そこへ、お前が一日目で逃げ出してきてみろ、叔父さん間に入ってどうすりゃいいんだ! 腹切らなきゃならねぇ |
松蔵 | ああ、切ってくれぇ |
叔父さん | バカッ、うれしそうなツラするんじゃねぇ、てめぇなんぞのために腹が切れるか! 第一お前、夫婦(めおと)の...ああぁ、夫婦の固めは済んだんだろ? |
松蔵 | 固め? なんだ、そりゃ |
叔父さん | め、夫婦の契りは結んだんだろ? |
松蔵 | ちぎり? ナニ結ぶ? |
叔父さん | そんなもん...ハッキリ言えるか! とにかくだめだ、お屋敷へ帰れ! |
松蔵 | やだ、もうあなたやなんて言ってくれなくっていい! あたいお袋のところへ帰る! |
叔父さん | 馬鹿なことを言うな、どのツラ下げてお袋のところへ帰るつもりだ? お袋がどれほど喜んでるかわからねぇのか? うまく収まってくれりゃいい、いつうれしい便りを聞けるか、ってお袋も首を長くして待ってるじゃねぇか! |
松蔵 | ええっ、お袋が首を... ああぁ...うちへも帰れねぇ |
引用元:「東西落語特選」
http://www.niji.or.jp/home/dingo/rakugo2/
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