味噌蔵
世の中に吝嗇、しわい屋、ケチ (吝嗇(りんしょく)、しわい屋はいずれも極端な「ケチ」を意味する言葉) と呼ばれる人はあるものですな。こういう人がふたり寄りましてケチの極意について相談するなんて噺がございます。
たとえばあなた、この一本の扇子をどのくらい使います?
そうですな、あたしゃこの一本の扇子、十年は使いますな
ほう、十年...どういうふうに?
そうですな。まず、こういう具合に、扇子を半分ひろげますな
ほう...半分ですか
半分広げたところで、こう...乱暴に扱うと痛みが早うございますからな、おもむろに、ゆるゆると...
ほう、そんな扇ぎ方で風が来ますかな
来る、来ないは気の持ちようですな。ま、これで五年使って痛んできたらもう半分を広げてあと五年。あわせで十年ですな。扇子一本十年使えば、ま、なんとか元は取れるでしょう
はっはっは...しかし、あなた、扇子一本で十年とは、いかにももの使いが荒いですなぁ。あたしゃこの扇子一本で生涯もたせてみせますよ
生涯? こりゃ面白い。そりゃいったいどんなふうにして?
だいたいああたはね、扇子を半分ひろげるなんて、そんなケチ臭いことをしてちゃだめですよ。そんなことをしてたら心まで貧乏になっちまうってぇやつだ。あたしならね、扇子をこうして全部ひろげますよ。でね、扇子の方は動かさないで、顔の方を...ブルブルブルブルブル...
はっはぁ~...こりゃ驚いた。そんなので涼しいかい?
...はぁ、はぁ...暑い
屋号をしわい屋、名をケチ兵衛というお人がおりました。稼業は味噌問屋。四十に手が届こうというのにおかみさんを貰おうという気がまったくございません。どうしてだってぇきかれると、「女房を貰って子供でもできた日にゃぁ、金がかかってしようがない」と答えるというお人ですな。ところが、本人がこの調子でも、奥様というのは一家に一人なくてはならない大切なものだ、なんとか持たせてやりたい、と親戚一同、知人、同業者が入れ替わり立ち代わり結構な縁談を持ち込んでまいります。最初のうちはなんとかこれをかわしておりましたケチ兵衛さんもとうとう断りきれなくなりまして、
「あぁた方、そこまでおっしゃるなら、身体が丈夫であまり病気をしないような、食の細い女がございましたらお世話願います」
どこまでもケチにできております。
いい案配に、あまり召し上がらない割に丈夫、という女性が見つかりまして、晴れてご縁がまとまります。さて、持つものを持ってみるてぇと、これがなかなか具合がよろしい。なんとなくうちの中が片付いてくる、着物が汚れれば洗濯をしてくれる、綻びは繕ってくれる、たんす、鏡台、家具、布団一式持参に及ぶというので、こんないいものならとっとと貰っときゃよかった、とケチ兵衛さん喜んでおりました。
さて、ある日のこと...
ケチ兵衛 | お前さん、どうしました。顔の色が優れないが...どこか具合が悪いんじゃないかい。もしそうなら里の方へ行って養生したほうがいいんじゃないか? そうじゃない? 酸っぱいものが食べたい? ほう、台所に梅干しがあると思うが... そうじゃない? 見るものを見ない? お前さん、なんてぇ贅沢を言うんだ。いまどき、芝居見物なんぞした日にゃぁ、どれほどの散財... え? そうじゃない? ハッキリ言わないからわからない。いったいどうしました? 小さいのができた? どこに? 腹に... こりゃ大変だ。場所がよくないね。今のうちに吸い出しでも貼っておきなさい... そうじゃない? 違います、違いますってねぇ、はっきりと分かるように言わなきゃ分かりませんよ、はっきりと... え? 子供ができた...? なんだ、そう... こ、子供が!!?? さあ、大変だ、あたしもいつかこんな災難に出会うんじゃないかと予感はしてたんだよ、お前さん、重いものは持っちゃいけませんよ、階段には気をつけて... |
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大騒ぎでございます。この奥方と申す人が、利口な人で、わずかな間にご亭主の気心をちゃんと掴んでございますので、
「お店では女手が少のうございます。里方へ帰って安産がしとうございます」
これにはケチ兵衛さん大喜びでございます。ああ、嫁さんの食費と出産費用の問題がすべて片付いた! ってなもんですな。さて、十月十日経ちまして珠のような男の子が生まれました。
ケチ兵衛 | 番頭さん、ちょいとこちらへ来ておくれでないか |
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番頭 | へぃ、何かご用でございましょうか |
ケチ兵衛 | いま家内の里方から手紙が来ました。男の子、安産だそうだ。親子ともども元気でね。すぐに顔を見に来てやってくれと書いてるんだが、あたしゃいま考えてるところなんだよ。初めての子供だよ。自分の子だ。嬉しいし、顔も見たいけれどね、今は小さいし、里方にいるから金がかからないよ、でもね、これが月日が経つうちにバカに大きく育っちまって、おまんまたんと食うようになったらどうしよう、と思うと気が滅入っても来るんだよ。それにね、あたしゃ表に出るのがあまり好きじゃないんだ。道を歩くと着物のすそは痛むし、ゲタの歯は減るし... え? お前さんもやっぱり行ったほうがいいと思うかい? そうだなぁ...初めてのことだしねぇ。でもひとりでいくのもなんだから、定吉を連れて行ってもいいかい? |
番頭 | へぇ、店の方は一向にかまいません。どうぞおでかけを |
ケチ兵衛 | そうですか...これ、定吉や、定や! ...定吉や! |
定吉 | ...へーい |
ケチ兵衛 | たいそう返事が遅いようでしたが、何をしてました? |
定吉 | へい、おまんまを頂いてました |
ケチ兵衛 | お前は...ドキンとするようなものを頂いてるんだね。どうでもいいが、うちの者はあたしが呼ぶたびにおまんま食ってるような気がするね。いったい日に何度頂いてるんです? さ、三度ぉ!? ...なんとか二度くらいにならないかい? お腹が減る? 口が減らないねぇ... ところで定や。お前、今日はあたしのお供で里方へいきます。一番大きな重箱を持ってきなさい |
定吉 | あぁ、商売ものの味噌を詰めまして、先方へお土産に... |
ケチ兵衛 | バ、バカなことを言っちゃいけません!! あたしがそんなバカなことをする人間かどうか、わかりそうなもんじゃないか! お前、いったい何年うちに奉公してるんだい!? いいかい、先方へ行けばお祝いだ。けっこうな御膳をいただくことになるだろう。お前さんはあたしの横へ座ってなさい。で、いろんな料理が出てくるだろうけどね、お前さん、その料理に決して箸をつけちゃぁいけませんよ。全部お重に詰めて持って帰るんだ。そうすりゃ、店のもののおかずが当分助かるってぇやつだ。それから出かけるときには一番悪い下駄を履いてでなさい。帰りに一番いいのと履き替えて帰るんだからね。いやいや、そのくらいの料簡にならなきゃぁ一人前の商人にはなれません。 じゃぁ、番頭さんあとは頼みましたよ。特に火の元、火の用心にはくれぐれもね。特に三番蔵。大袈裟なことを言うようだけれどね、うちの身代がそっくりあの蔵に収まってるようなもんだ。急場の火事に左官なんか呼んでいられませんよ。あたしが承知の上だ。いいから、商売ものの味噌でもって蔵の目塗り ?! をしてしまいなさい |
番頭 | だ、旦那様、それはあまりにももったいない... |
ケチ兵衛 | もったいないことなんぞありゃしない。いいかい、火にあぶられた味噌なんてものは香ばしくて美味しいものなんだよ。あとではがして集めればお前さん方のおかずになります! |
番頭 | へへぇ、恐れ入りました ^^; |
ケチ兵衛 | それじゃ、皆さん、行ってきますよ |
店の衆 | いってらっしゃいまし! |
勘助 | へっへっへ...番頭さん......旦那、お出かけになりました |
番頭 | ああ、お出かけになったねぁ |
勘助 | 今夜はおかえりにならないでしょうな |
番頭 | ああ、なんせ初めてのことだからね。まあお泊りということになるんじゃないか |
勘助 | へっへっへ...どうだい、あたしの言ったとおりだろ...いやいや、こっちのことで...それより番頭さん、ちょっとご相談が... |
番頭 | おやおや、主人の留守に店のものが揃って、番頭のあたしに相談がある...こりゃ穏やかじゃないね。なんだい? |
勘助 | へぇ。あたくし、このうちへ奉公に上がって十三年と三ヶ月になりますが、その間に実の入ったおみおつけを頂いたことがございません。このあいだ、初めてタニシが二匹入っておりました。 「あぁ、ありがたい...今日はタニシのおみおつけだ...なむあみだぶつ...なむあみだぶつ...」 思わず念仏が出ましたよ。ところが、このタニシがどうしても箸にかからない。よく見ると、このおみおつけが薄かったんですなぁ...自分の目玉が映ってたんです... |
番頭 | あぁ...自分の目玉を箸で突つくようになっちゃぁお終いだねぇ |
勘助 | そういうわけで最近はすっかり油気が抜けてまいりまして、ちょっと急いで歩きますてぇとからだの中で骨がぶつかりあってガランガランと音を立てる始末で...今日は旦那がお帰りにならないんですから、皆で美味しいものを食べて、美味い酒を呑んで、勘定は割り前無しの、番頭さんお得意の、帳面をドガチャカドガチャカ、ドガチャカ... |
番頭 | すると何ですか、お前さん方は主人の留守をいいことに、皆で美味しいものを食べて、美味い酒を呑んで、勘定は割り前無しの、帳面をドガチャカ、ドガチャカ...本当に、やるおつもりかい? |
勘助 | す、すみません! いや、あたしはそんなつもりじゃ... |
番頭 | いやいや、謝ることはないよ、あたしもそのつもりだから |
勘助 | そんな、番頭さん、脅かしっこなしですよ! |
番頭 | まあ、考えてみれば無理もない話しだ。近頃、食い物が悪すぎますよ。本来ならばあたしが奢るべきところなんだが、お前さん方同様、あたしも懐具合がままならない。すまないと思ってますよ。しかし、お前さん方、普段はネコを被っているが、ほんとうは結構いける口なんじゃないかい? どうせ呑むんだ、好きなものでいこうじゃないか。一人ひとりきいていこう。甚助さん、お前さん、なにがお好きだい? |
勘助 | いえぇ、番頭さん、あたしはもうお酒さえあれば他にはなにもいらないタチでして... |
番頭 | いや、お前さんが年頭だよ。お前さんが口を切ってくれないと後のものがモノを言いにくい。要らなくてもいいから、何かおっしゃいな |
勘助 | いや、ほんと~に、何もいらないんでございますがね...そうですか、それじゃせっかくでございますから、マグロの刺し身に、ブリの照焼きに、タコの酢の物に...まぁ、串鳥に旨煮、天ぷら、卵焼きと、あと鰻どんぶりでもあれば他には何も... |
番頭 | お前さん、図々しすぎますよ! マグロの刺し身にしておきな。で、次ぎ、お前さんは? なにがあればいいですか? |
店の衆 | そういうことでしたら、タコの酢の物をお願いいたします |
番頭 | タコの酢の物ね...はいはい、これも大皿でたのもうかね。で、お前さんは |
店の衆 | あたくしはブリの照焼きを... |
番頭 | 本寸法だね。分かりましたよ。はい、次は? |
店の衆 | あたしは鯛の塩焼きを丸ごと一匹、頂きます |
番頭 | ほほぅ、威勢がいいねぇ...大きいほどいい? わかったよ、そう言っとくよ。はい、次は? |
店の衆 | わたくしは...サツマイモをお願いいたします |
番頭 | サツマ...イモ? お前さん、何か勘違いしちゃあいないかい? 今から皆で酒を呑もうってんだよ |
店の衆 | わたくし、前々から、一度でいいからサツマイモを山のように積み上げて、それをジーッと見ながらその前でチビリ、チビリと... |
番頭 | 妙な酒だねぇ...「山のよう」だね。五貫目 ?! もあれば足りるだろぅ... 権助よ、お前さんにもご馳走してあげるよ。なにがいい? |
店の衆 | あーれま、ありがてぇこんだね、おらがにもご馳走してくれるだか...そっだれば、おら「しし」が食いてぇだ |
番頭 | お前さん、そんな無茶言っちゃあいけないねぇ。今から鉄砲担いでイノシシなんぞ撃ちに行けやしないよ |
店の衆 | いや、おらがの欲しいのはそんなイノシシなんてものでねぇ。おらがの言いてぇのは、おまんまの上にマグロの切ったのを乗せて... |
番頭 | そりゃ「しし」じゃないよ、「すし」だよ。はいはい、マグロの寿司ね。これも皆で頂きましょう。次ぎは? お前さんは何にしましょう。 |
店の衆 | へぇ、あたしは豆腐の田楽をいただきとうございます。 |
番頭 | ほう、お前さん、なかなかの通人だね。そうだなぁ、酒の肴に田楽。いいねぇ。うちも味噌問屋だが、田楽の焼いた味噌の香りなんてのはこたえられないねぇ。で、どこのお店で田楽こしらえてます? |
店の衆 | へぇ、それなんですが、向こう横丁のカラ屋さんで「田楽始めました」と張り紙が出ておりました |
番頭 | 向こう横丁のカラ屋さん? あの辺に「カラ屋」なんてお店がありましたか? |
店の衆 | あれ、番頭さん、ご存知ありませんか、角のたばこ屋さんの隣... |
番頭 | たばこ屋さんの隣っていうと...あれは豆腐屋さんじゃないか? |
店の衆 | 豆腐屋さん...? そういう名前だったんですか? あたし、いつもあそこへおカラを買いに行きますので、あそこはカラ屋さんだと思ってました |
番頭 | ......なるほど...考えてみれば、あそこで豆腐を買ったためしが無い...いつもおカラばかり買いに行くから、お前さん、あの店を「カラ屋」さんと...グスッ...泣けるねぇ...お前さんも目玉を箸でつついた口だね。あれは豆腐屋さんだよ、覚えておきなさいよ、笑われますよ。田楽、あたしも頂くよ。お前さん、ひとっ走り、頼んできておくれ。ただね、田楽の頼み方にはコツがあるんだ。一時にたんと持ってこられてもしようがない。呑んでる人もいれば、食べてる人もいるんだからね。始めは二、三丁づつ、後のほうはどんどんと焼いて来てもらうように、面倒だけどちゃんとお願いしておいておくれ。よし、今夜は無礼講だよ、障子を取っ払って... |
久しぶりに呑む酒でございますから、回りも早ようございます。最初のうちは遠慮がちに都都逸か小唄なんぞをやっておりましたが、だんだんと酔いが回って来ますてぇと深川が出る、カッポレがでる、相撲甚句が出る、さのさが出るてんで、
ァ、テテーヤテーヤテーヤ、ステテコリンリン
なんて、ドンチャカドンチャカ、ひっくり返るような騒ぎでございます。さて、そんなこととは知らない旦那でございます...
ケチ兵衛 | しっかり歩きなさい、しっかり。提灯持ちが後ろを歩いてどうするんだい、何の役にも立たないじゃないか。前へ回って、足元をちゃんと照らしなさい。 まったく、定吉、お前くらい役に立たない小僧はありませんよ。あたしがあれほど言ったのに、せっかく料理を詰め込んだお重を忘れてくるなんて、どういうことだい? 帰りにいい履き物と履き替えて来るようにって言ったのに、どうだい? 向こうが草履でこっちが下駄だよ。まったく何を考えているんだい? もう連れて来ませんよ。 はぁ、表通りへ出ると、ひどい風だねぇ。泊まらなくてよかった。店が心配で、とても寝られたもんじゃありませんよ...あぁ、ご精が出るねぇ、豆腐やさん。この時分にまだご商売に精を出してらっしゃる。それに引き換え、いったいどこの店だい? やけに陽気に騒いでるねぇ。儲かったからいっぱいやろう、なんて商売なんてものはそんなものじゃないんだ。定吉、いいかい。大人になってもあんなバカな真似をするんじゃありませんよ...ああいう店の主人の顔が見てみたいもんだ... 気のせいかな...うちの近所ですよ... あの怒鳴ってる声、甚助に似てるねぇ... どうもあの下手糞な唄は番頭の... ああぁっ、うちだ! |
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番頭 | ア、テテコテコテコ、ステテコリンリン!! |
勘助 | はっはっはっ...番頭さん、おみごと、おみごと...しかし、なんですね、番頭さん、うちの旦那、あれっくらいしみったれたヤツってぇのは他にいやぁしやせんぜ...しみったれの垂れがどっかに垂れて流れてっちまうくらいのタレだぁ、はははっ... こないだも「甚助、いっしょにこい」ってんで、一緒に出かけたんですがね...道端に下駄がかたっぽおっこってるのを見つけて、目の色変えて「じ、甚助っ! 早く、早くあの下駄を拾いなさい! ボヤボヤしてたら人様に獲られる!」冗談じゃねぇや...誰がそんな半端なものを拾うかってぇんだぁ...店へ帰ったら、「その下駄を細かく割っておきなさい、風呂の焚き付けにするから」...鼻緒は捨ててよろしいんですか、ってきいたら、「冗談じゃない! 鼻緒はあたしの羽織の紐にします」...羽織に鼻緒すげるようになっちゃあおしまいだぁ... そこへ行くと番頭さん、今日ってぇ今日は見直したねぇ...「小言は言うべし、酒は買うべし」...これだけの料理を買うだけ買って、呑むだけ呑んで、割り前無しの帳面をドガチャカドガチャカドガチャカ...... |
ケチ兵衛 | おいおい、冗談じゃないよ、あれ全部ドガチャカかい? えらいことになったねぇ、どうも |
勘助 | 大丈夫ですよ、旦那、帰ってきやぁしませんよ。帰って来たからって、あたしゃもう驚かないね。旦那の目の前にこの鯛の塩焼きをどかっと据えてやるね。旦那ってぇ人は魚はイワシより大きいのを見たことが無いってぇ人だから、 「おおぉっ、この世にこんな巨大な魚がいたのか...ウッ」 と言ったのがこの世との別れ、そのまま倒れて人事不省に陥るってぇやつだ。そこをみんなで布団まで運んで寝かしつけて、あした旦那が目を覚ましたら「そりゃ、旦那、悪い夢でもごらんになったんでしょう」って、帳面をドガチャカドガチャカドガチャカ... |
ケチ兵衛 | あ、あんなドガチャカの好きな野郎は無いねぇ、盗人飼ってるようなもんだ。(ドンドンドンドン!)おい、甚助、あたしだ、開けろ、開けろ!! |
勘助 | ふぇ? あ、あの...ごようのしぇちゅは...またみょうちょうに... |
ケチ兵衛 | なんだ、呂律がまわらねぇ、あたしだ、ここを開けろ!! |
勘助 | だ...だだだ...だだだ、だ、だ... |
番頭 | なんだい、いったい誰が来たんだい? |
勘助 | ば、番頭さん...えらいことになっちゃった...だ、だんなの、おかえり...あ、あたしゃすでに...腰が、抜けております... |
番頭 | だ...!? だ、だ、だ、旦那ぁ? ま、と、とにかく、ここを片づけましょう、大きいのは次の間に...障子がないねぇ...ま、押し入れにでも...お前さん、何をやってんだい、タコの酢の物なんか、懐に入るわけが無いだろう...旦那が入ってきちゃうよ、とりあえず、その上に座って、すそを広げとけば分からない... |
店の衆 | そ、そんな、あたし、この上に座るんですか...うわぁ......ば、番頭さん...あたし、初めてのことで、なんと言っていいものやら...フンドシに...お酢が染みて参りまして... |
番頭 | ばかなことを言ってんじゃないよ! とにかく、お開けもうして... |
ケチ兵衛 | ただいま帰りました |
店の衆 | おはえりははい... |
店の衆 | おひゃいぇりなはい... |
店の衆 | ふひゃふひゃひゃ... |
ケチ兵衛 | 番頭さん、ちょっとこちらへきておくれ... |
番頭 | 何ぞ...ヒック...ご用でございましゅか... |
ケチ兵衛 | 用があるから呼びました |
番頭 | よ、呼ばれたから来ました |
ケチ兵衛 | あたしゃこんなことは言いたくないけれどね |
番頭 | あ、ぁたくしもききたくはございません |
ケチ兵衛 | それでは話しができないじゃないか |
番頭 | そ、それではいずれ後ほど... |
ケチ兵衛 | ちょっとまちなさい! あたしは出掛けにお前さんに火の元、戸締まりをお願いしていったが、こんなことをしてくれなんて頼んだ覚えはないよ。見たこともきいたことも無いような贅沢な料理を並べて...アッ...たいのしおやき...あたしゃ、さっき里でこれを見たときめまいがした。里で一度見たからこうして堪えられるんだ。もし見てなかったら今ので昏倒してたところだ。これだけのものを食って呑んで、そのうえ帳面をドガチャカドガチャカ...誰がドガチャカにさせるものか! 給料から差っ引かせてもらいますよ。中には生涯働いても給金の行き渡らない人が出るかもしれない。覚悟しておいておくれ! なんだい、誰も彼も、そんな赤い顔をして! そんな有り様でいざと言うときに役に立ちますか! 役に立たない奴等に起きていてもらっても仕方ない! 寝ろ、寝ろ、寝ちまえ! |
旦那がカンカンになって怒っているさなかに、間の悪いことに横丁の豆腐屋さんから田楽が焼けて参りました。
豆腐屋 | (トントン、トントン)お頼みもうします! こんばんわ、お頼みもうします! |
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ケチ兵衛 | まことに恐れ入ります。お買い物でしたら、明朝お願いいたします |
豆腐屋 | (トントン、トントン)焼けてきました。焼けてきたんですがねぇ |
ケチ兵衛 | や、焼けて来た!! この風の強い夜に!? ご親切にどうも。で、どこから? |
豆腐屋 | 横丁の豆腐屋でございます |
ケチ兵衛 | 火元は近いねぇ。で、どのくらい焼けました? |
豆腐屋 | 今のところ二、三丁で |
ケチ兵衛 | もうそんなに!? 足が速いねぇ! |
豆腐屋 | 後からどんどんと焼けてまいります |
ケチ兵衛 | そりゃぁ大変だ! 火事の様子は... |
と旦那が慌てて戸をあけます。と、田楽の香りがぷーんと...
ケチ兵衛 | いけない、うちの味噌蔵に火がはいった!! |
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引用元:「東西落語特選」
http://www.niji.or.jp/home/dingo/rakugo2/
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