死ぬなら今
世の中にケチな人と言うのはいるもんですが、これを俗に「六日知らず」と申します。どうして「六日知らず」かてぇますと、一、二、三、四、五と指を折って参りまして、六になりますと、この折った指を広げていかなきゃならねぇ、それが嫌だ、握ったものは自分の指だって離したくねぇってんで、ケチのことを六日知らずと言ったんだそうで。
ケチの事を吝嗇、しわい屋などとも申します。江戸に赤螺屋ケチ兵衛という筋金入りのケチがおりました。指にトゲが刺さってもぬかない。自分の身に入ったものはトゲだって大事だ、ってんで帳面に「八月三日、トゲ一本」なんて付けたりなんかして、放っておくものですからこれが膿んで来たりしますてぇと、肉が増えたといって喜んだ、というくらいのケチでございます。そんなくらいですから、出すのは嫌だってんで、あんまりはばかりなんぞ行かない。たまに行ってもしみったれた出し方をいたしますから、のべつ痔になってるって嫌なケチでして。
こんなありさまでございますから、一日三食のおまんまも一食に済ませたりしておりますので、どうしても病気が多い。患っても医者へなんぞかかりませんから、ますますこじらせてしまいまして、患いついて寝込んでしまう。
このケチ兵衛さんの息子というものが、幼少のみぎりより親父に仕込まれた、「出藍の誉れ」ケチ、「巨人の星」ケチてぇくらいのお人でございまして
二代目 | おとっつあん...おとっつあん |
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ケチ兵衛 | ...う...あぁ...せがれか...どうしたぃ |
二代目 | おとっつあん、今たいそううなされてましたけど、どうです? いちどお医者様に見せた方がよろしいんじゃないですか? |
ケチ兵衛 | お前は...どうしてそうものの分からないことを言うんだい? 医者はいけませんよ、自分の体は自分が一番よくわかってます。医者てぇものはねぇ、ちょいとこちらが弱みを見せると、あそこがいけない、ここが悪いとね、薬代を取ろうってんだよ。だいいち、お前だってまさか本心から見せようなんざ思っちゃいないだろ? |
二代目 | ええ、そりゃまぁ、世辞で言ってみただけなんですがね...でも命には代えられませんから...命なんてものは大事に使えば生涯もつもんですから、大切にした方がかえって得なんじゃないかと...じゃ、こうしたらどうでしょう、おとっつあん。そんなに薬代を取られるのが嫌なら、お医者様が来たときだけ元気になるというのは |
ケチ兵衛 | それじゃどこが悪いか分からないじゃないか...くだらないことを言ってちゃいけませんよ。そんなことよりね、あたしゃ気になってならないことがあるんだよ。おとっつぁんにもしもの事があったら、おまえさん、葬式はどうするつもりだい? まさか、パーッとやるつもりじゃないだろうね |
二代目 | いえっ、とんでもございません、そんな親不孝をするつもりは金輪際ありません! あたしゃ、どうしたらこれほど地味に出来るだろうってくらい、誰も気づかないくらい地味にやるつもりでいます |
ケチ兵衛 | ああ、そう...そりゃ頼もしいや。ただね、人様に気付かれない葬式じゃお悔やみが集まりません。お悔やみ、お香典というものはそれはそれで大切な実入りだからね、そこのところはうまくやっとくれ...それから、棺桶はどうするつもりだい? |
二代目 | 棺桶なんて、そんな埋めるだけのものにむだな銭をつかうつもりはありません。八百屋の六さんとこから菜漬の樽を貰い受けまして、これに入れようと思ってますので、多少窮屈かもしれませんがご成仏を |
ケチ兵衛 | ああ、それでこそ成仏できるってもんだ、おとっつぁんの願うところだよ。で、死に装束を身につけて六文銭を口の中に入れる、なんて、あんな無駄なことはよしとくれよ。そのかわり三百両を樽の中に入れとくれ... おい、そんな眼を血走らせるんじゃないよ、髪の毛が逆立ってるね。 いやいや、無駄だってことは重々分かってるよ。でもね、おとっつぁんだってこれだけの身代を残すについちゃずいぶんとあこぎなこともやってきてるんだ。どうしたって死んだら地獄に行くことになるだろう。そこだ、地獄の沙汰も金次第って言うじゃないか。ね、ことによると、その三百両で極楽に...とは行くまいが、せめて地獄の出口近くのいい席が取れるかも知れないじゃないか。頼むから、ね、三百両、入れておくれ |
二代目 | ...そうですか...分かりましたよ! ええ、分かりました。じゃ親孝行だと思って、三百両、入れましょう |
ケチ兵衛 | ああ、ありがとうよ...お前さんがしっかりしてるから、あたしゃ安心だ...じゃ後の事は頼んだよ... |
人間安心すると気が抜けるというんでしょうか、暫くするとこのケチ兵衛さんが亡くなりまして、親類縁者が集まりまして、ひっそりと野辺の送り、という段になります。この息子、二代目赤螺屋ケチ兵衛とでも言うんでしょうか、これがおとっつぁんと約束が出来ておりますから、しぶしぶ頭陀袋に三百両いれております。と、これを見た親戚が黙っちゃいません。
親戚 | おいおい、おまえねぇ、いったいなんてことをしてるんですよ、えぇ? おとっつぁんと話をして、三百両入れるって約束をした? お前ねぇ、それでもケチ兵衛さんのせがれかい? あの世なんてものはどうせありゃしないんだ。そんなもの全部無駄になりますよ。患って死にかけてるひとのうわ言を本気にして、そんなバチ当たりなことしてちゃいけませんよ。どうしても入れようってんなら、芝居で使うニセの小判を入れたらいい。あたしが手回してあげるから、まあ、ちょっとお待ちなさい。 |
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せがれの方でも、別に入れたくて入れようってんじゃありませんから、大喜びでございます。この人がほうぼう駆けずり回って、三百両のニセ小判を集めて参ります。これをケチ兵衛さんといっしょに菜漬の樽に収めまして、無事お弔いがすみます。
さて、こんなこととは知らないケチ兵衛さん、ニセ小判の入った頭陀袋を持ちまして、十万億土目指してとぼとぼと歩いております。
ケチ兵衛 | ああ、どうでもいいけど、ずいぶんと遠いものだねぇ。いったい、いつになったら着くんだろう。おや、あんなところで腰を下ろしてる人がいる。ちょいとあの人に聞いてみよう...もし、ちょいとものを尋ねますが... |
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亡者 | へい、何でしょう。 |
ケチ兵衛 | 三途の川の渡しというのはどの辺でございましょうな。 |
亡者 | 三途の川の渡し...ああ、それならこの道を真っ直ぐ行きますとね、そこんところが土手になってます、その向こうっ手がそうですよ。 |
ケチ兵衛 | ああ、どうもありがとうございます。 |
亡者 | で、お前さん、今から地獄へ行くのかい? てぇへんだねぇ... いやね、おれもさ、地獄でもって三年お勤めをして、やっと放免になってね、今こうやってぶらぶらしてるところなんだけどね。 |
ケチ兵衛 | ああ、そうですか...あれですが、やっぱり地獄ってところは恐いところなんですかねぇ。 |
亡者 | いや、なに、そう心配するこたぁねぇよ。おれみたいにすかんぴんの銭無し亡者はだめなんだ、骨と皮だけになるまでいいようにコキ使われるんだけどね、あんたは見たところ身なりもいいや、ちゃんとしたお店の旦那風だし、さぞかし金もあるんだろ? 心配するこたぁねぇよ。 地獄も最近は財政難でさ、借金抱えて火の車なんだ。針の山なんざ針を引っこ抜いちゃ荒物屋へ横流ししてるくらいだからさ、針の無くなった山に桜を植えてさ、今や花見の名所だ。血の池なんざ水を入れ替えて舟遊びやら釣り堀やら、金のある亡者を客にして儲けてるってくれぇのもんだ。 あんた、金に余裕があるんなら、地獄暮らしくれぇ楽しいものはねえよ。 |
ケチ兵衛 | はぁ...娑婆で聞いて来たのとは大違いですな。賽の河原なんか、どうなってます? ...はぁ、亡者の子供たちのために保育園が...それはいい、親御さんも安心して子供を預けられますな、ほう、そりゃ結構ですな。 で、お金があればいい、って話ですが、あたくし、三百両持って来たんですが、こんなもので足りますか? |
亡者 | さ、三百両! そりゃいいや、それを閻魔に見せてご覧よ、ことによると極楽にご優待ってことになるかもしんねぇよ。 |
ケチ兵衛 | ...どうもありがとうございました... へっへっへ、ありがてぇね。目の前がパァッと明るくなってきたってぇやつだ。おや、こんなところに立て札が立ってる。三途の川の渡しだよ... おや、あんなところでオニが居眠りしてるよ... ち、ちょいとものを尋ねます...ちょぃと、そこのオニさん、オニぃさん! |
オニ | な...なんでぇ...どうでもいいけどよぉ、「オニぃさん」と真ん中を伸ばして呼ぶのやめてくれ、締まりが無くっていけねぇ...何か用か? |
ケチ兵衛 | 地獄行きの船はいつ頃出ますかな? |
オニ | ああ、それならそこの「地獄(じこく)表」に書いてある。 |
なんて、バカな洒落などいいながら、ぼちぼちと地獄へやってまいります。ケチ兵衛さんが恐るおそる閻魔の庁の門をくぐってまいりますと、正面に閻魔大王、左右に馬頭牛頭、見る目嗅ぐ鼻、冥間十王、赤鬼、青鬼なんてぇなぁ絵でしか見たことの無いような面々が控えてございます。
閻魔大王 | 赤螺屋ケチ兵衛というのはその方じゃな。間違いは無いな...よろしい... おい、ケチ兵衛が来たから、みんなこっちへ集まりなさい。 |
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これから閻魔大王を中心になにやらごちゃごちゃと作戦会議てぇやつをしておりましたが、
閻魔大王 | おいおい、ケチ兵衛、そう怖がることはない。心配ないからもう少し前へ出なさい。 お前は何だな、娑婆でずいぶんと悪いことをしてきたな。お前の悪事の数々はすべてこっちはお見通しだ。お前なんざ、本来は向こう三年ただ働きの刑が当然だがな、ここがお前とわしとの相談だよ。地獄の沙汰も金次第という言葉を知ってるだろう? お前、いくらか持ってるだろ? それによっちゃいろいろと相談に乗るから。 |
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ケチ兵衛 | あの、わたくし、三百両持ってきました。 |
閻魔大王 | 三百両! さんびゃくりょう! お前、持ってるのか? 今! おいおい、赤鬼、青鬼、ケチ兵衛さんにおざぶをお出ししなさい、それからお茶とお菓子だよ、 グズグズするんじゃねぇぞ、野郎ども!! |
えらい騒ぎでございます。ころっと態度が変わりまして、ケチ兵衛さん、地獄の財政難を救った功績で極楽へ行けることになりまして、通行手形を受け取りますと、極楽行きの船が出る船着き場へやってまいりました。
亡者 | おや、あなたも極楽へ行くんですか? |
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ケチ兵衛 | ええ、実はねあたしゃ地獄行きのはずだったんですがね、閻魔に三百両握らせて、極楽へ行けることになったんですよ。何ですか、極楽ってところはずいぶんといいところだってぇますが、本当ですかね。 |
亡者 | いいところなんてものじゃないよ、ああた、なんせ娑婆で活躍した役者や力士はみんな極楽へ行ってますからね、話でしか聞いたことの無いお役者の芝居や昔の力士の相撲が、三百六十五日、ただで見られるってぇ話ですよ。初代歌右衛門なんてものぁ娑婆じゃ見られるもんじゃないですよ。 |
ケチ兵衛 | おおっ、その「ただ」ってぇところが気をそそりますなぁ。 |
亡者 | ...あんた、今から極楽行こうってときに、そうしみったれたことを言ってちゃだめだよ。 |
ばかなことを言っております。
一方の地獄の方も、時ならぬ小判の花が咲いたってんで大変な景気、大賑わいでございます。この話が極楽の方へも伝わりますが、「あの自転車操業の地獄がそんなに景気が良くなるはずが無い」ってんで、捜査に乗り出します。
弁天様、吉祥天女なんてところがミニスカートにルーズソックスなんて、絵にも描けねぇ目の眩むような女子高生になりまして、街角でモノ欲しそうな顔で立っておりますてぇと、馬頭、牛頭なんてところがケダモノのように、まぁもともとがウマやウシの面なんですが、えぇ、やって参りまして、清らかな援助交際を申し込んだりいたしまして、そこで使われた小判がニセモノだったってェことで検挙されます。こいつらをキリキリ締め上げますてぇと、地獄でニセ小判が大量に出回っているということが発覚いたして、閻魔大王を初めといたしまして、見る目嗅ぐ鼻、冥間十王、赤鬼青鬼なんて強面(こわもて)の連中が一網打尽で極楽の拘置所にほうり込まれてしまいました。
とうとう、地獄のこわーい連中が誰もいなくなりましたとさ...
死ぬなら...今...
引用元:「東西落語特選」
http://www.niji.or.jp/home/dingo/rakugo2/
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