掛け取り
今は月の名前に一月だの二月だのと、番号を振ったような味気ない名前がついておりますが、昔はそうじゃございませんでした。むつき、きさらぎ、やよい、うづき、さつき...いいもんですな。なんか、若いご婦人の名前のような、何とも言えない響きがございます。むつきちゃん...やよいちゃん...うづきちゃんなんて、なんかお尻のあたりがウヅウヅしてきまして、どうもまことに、エェ、趣き、といいますか、色気がございますな。
英語の方でも一月はじゃにゅあり、二月はふぇぶりゅありという具合に呼びます。決してふぁーすとまんすじゃございません。日本も昔の呼び名を復活したら、情緒のあるお国柄がぐっとよみがえってくるのではないか、と考える今日この頃でございますが、皆様はいかがお過ごしでしょうか。
さて、一年の締めくくり、総決算の月である十二月を師走と呼びます。お師匠さまも駆け出す忙しさ、というような意味ですかな。なんか後ろから負いかけられてるような気分になりましてね、みなバタバタと駆け回りますが、それも押しつまりまして、いよいよ十二月も三十一日となりますと、俗に言うところの大晦日ですな。いまは大晦日の掛け取りなんてことはなくなりましたが、節季という「キ」が立ちまして、借金取りという「トリ」が飛んで来て、「カエセー、カエセー」と鳴く、と昔の噺家は申しました。
女房 | どうするんだよ、お前さん、朝から何人借金取りが来たと思ってンだい? それをあたしゃそのたびに頭ペコペコ下げて、 「すいません、亭主が留守なもんですから...」 って、一所懸命断ってたんだよ。金算段もできてないんだろ。もう、あたしゃ、ヤダよ。今度、借金取りが来たら、お前さんが断っとくれよ |
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亭主 | えぇ? あぁ、分かったよ。おれが断るよ...えぇ、いや、そんなことをお前が云わなくったっていいんだよ。金が無いくらいのことは分かってるよ。いいから、お前は黙ってな。おれが断ってやる |
薪屋 | こんばんわー、薪屋でござんす。こんばんわー... |
亭主 | ほーら、来たきた、薪屋だよ...えぇ、いいよ。返事しなくったっていいよ。黙ってりゃ留守かと思って帰っちまうから |
薪屋 | こんばんわー...薪屋でござんすがなぁ...お忙しゅうござんすーっ...こんばんわー... しょうがねぇなぁ、このうちは...昼間来たらおかみさんが「夜なら...」ってぇから、夜来たら、今度は留守かい? ったく、バカにしてやがる... こんばんわー、薪屋でございますーっ...こんばんわああっ...び、びっくりした、いやぁ、そこにいらしたんですか。いゃぁ、へっへっへ、どうも...お返事がないんで、お留守かとおもいまして、へへっ、どうもこんばんわ |
亭主 | なんだよ、おめぇ、「こんばんわ、お忙しゅうござんす」ってぇのは、うちのことをそう云ってたのかィ? |
薪屋 | へぇ、そうでござんす |
亭主 | おめぇ、「お忙しゅうござんす」ってぇからうちじゃねぇと思ったんじゃぁねぇか。うちゃぁ、忙しくねぇんだよ |
薪屋 | あぁ、そうでござんすか。はぁ、すっかりお片付きで |
亭主 | いや、片付くもなにも、うちゃぁ、これっきりなんだよ。他にどうしようもねぇんだよ |
薪屋 | いえ、ね、昼間伺いましたところ、おかみさんが「夜に」とおっしゃったんで、いま、たまたま門口を通りかかりましたものですから、お寄りしたようなわけでして... |
亭主 | 門口ィ? どこの門口? |
薪屋 | いや、お宅様の門口で |
亭主 | へぇ、おめぇ、よくうちの門口通れるねぇ...へぇ、うちは路地の突き当たりだよ。いったいどうやって門口通りかかれるんだよ |
薪屋 | いえ、その路地ンところを通りかかったもんですから... |
亭主 | それじゃ「路地口」じゃねぇか、えぇ? わざわざ路地口を通ってうちへ来たんだろ? |
薪屋 | え、えぇ、さいでござんす |
亭主 | で、いったい何しに来たんだよ |
薪屋 | いえ、その、お勘定... |
亭主 | くれるのかい? |
薪屋 | 冗談云っちゃあいけません。いただきに来たンすよ |
亭主 | なら、早くそう云えやイ。つまり、おめぇは貸してある勘定を取りに、路地を入ってわざわざうちへ来たんだろ? |
薪屋 | へぃ、そういうことになりますなぁ |
亭主 | あぁ、そりゃぁまぁ、おれだって借金抱えたまま年越したくはねぇや。そりゃぁきれいサッパリしてぇやな。きれいさっぱり払っちゃおうじゃぁねぇか |
薪屋 | へへっ、ありがとうござんす |
亭主 | なぁ? おめぇは借金を取りたい。おれは借りてるものを返したい。な、ここまではたいへんに具合がいいんだ... |
薪屋 | へぃ、へぃ |
亭主 | ここから後が、ちょぃと具合が悪いんだなぁ... |
薪屋 | え? そうなんですか? |
亭主 | あぁ、無いんだよ |
薪屋 | へ? |
亭主 | 一文も無いんだよ! 逆さに振っても鼻血も出ないの。ね、まぁ、無い物は仕方がねぇわなぁ。まさか、着ているものを剥いで持ってくわけにもいかねぇしなぁ。よしんば、おれの着物、引っぺがして古着屋に叩き売ったとしても、自慢じゃねぇが一文にもなりゃぁしねぇよ。まぁ、人間、諦めが肝心だよ、な。だからさ、きょうはもうお帰りよ。さよなら |
薪屋 | ...なんだよ、親方、そういう言い草は無いだろう、えぇ。言い訳するにしてもさ、「おめぇとこ、払いたいとは思うんだけど、暮れが押しつまってもどうしても算段がつかねぇんだよ。春になったらいの一番に持ってくから、今日のところはちょっと待ってくれ」くらいのことを云われりゃぁ、おれだって帰りやすいじゃねぇか |
亭主 | あぁ、そうか。じゃ、それでいいや |
薪屋 | な、なんだよ、その「それでいいや」ってぇのは。バカにしやがって、こうなったら... |
亭主 | おいおい、なんだよ。上がって来ちゃいけないよ。帰れってんだよ。お帰りよ |
薪屋 | 帰れないね。冗談じゃないよ、親方、えぇ、「金はないよ、お帰りよ」「はい、それでいいよ、さようなら」なんて、ガキのお使いじゃあるまいし、大の大人が帰れるかってんでぇ、ふざけやがって! えぇ、人間、普段が肝心、てのはここだよ。そうじゃないか。お前さん、二、三日前だったよ。往来であったときに、あたしと顔があったろう。あの時、スーッと顔そむけたね。ヤなことしなさんな。あのうちに借りがあるな、と思ったら「こんちわ」くらいのこと云ったらいいじゃないか、えぇ? あん時、あたしの顔を見てねぇ、 「いやぁ、いよいよ暮れも押しつまって来たが、どうにも銭の算段がつかねぇ。すまねぇが、今年はちょっと待ってくれねぇかなぁ」 くらいのこと、云ってみな。あたしゃこんな無駄足なんぞしやぁしないんだ。こっちは顔が合ってんのに、向こうでツーッと顔を背けるから、こりゃやましいことがあるんだろうか、ことによると夜逃げでもするんじゃねぇか、といらねぇ心配をするから、こうやって朝からなんべんも足を運んでるんじゃねぇか。 おう、こちとら江戸っ子だよ! 言い出したら五分だって後へは引かねぇ、因業な男なんだ! おぅ、おれぁな、勘定もらうまで、五分だってここを動かねぇからな!! 払ってもらおうじゃぁねぇか! |
亭主 | ......へっへっへ、いいねぇ。江戸っ子だねぇ... 言い出したら五分だって後へは引かねぇ...勘定もらうまで、五分だってここを動かねぇ... いいねぇ。おれぁ、そういうの、大好きなんだ...ちょっと待ってろよ... おっかあ。そこの薪じゃっぽ、持って来い...へへっ。おぅ、これ見てみな |
薪屋 | なんだよ、そんなものぁうちにいくらだってあらぁ! |
亭主 | そりゃそうだ。お前んち、薪屋だもんな。へへっ、お前、勘定もらうまで五分だってここを動かねぇって云ったな。おれも江戸っ子で、因業なんだぞ。おれぁ、言い出したら五分どころじゃねぇ、一分だって動かねぇんだからな。おめぇが勘定もらうまで五分だってそこを動かねぇってぇのならな、おれは勘定払うまで一分だってお前をそこから動かさねぇ。おめぇ、ぴくりとでも動いてみやがれ。この薪じゃっぽで、おめぇの頭、ボカーッといくからな、覚えときゃがれ |
薪屋 | ......だから、払ってくれよ |
亭主 | 銭がねぇって云ってンだろうが、銭が |
薪屋 | ...んん、じゃぁ、い、いつできるんだよ |
亭主 | さぁ、いつできるかなぁ。とにかくなんとかして払うまで、そこから一分だって動くなよ |
薪屋 | いゃ、おれも忙しいから、長いことは困るよ |
亭主 | 何を云ってやがんでぇ! なにが「長いことは困る」だぁ? 甘ったれたことを云うな! おめぇが言い出したんだろうが、えぇ? 銭、もらうまで、五分だって動かねぇんだろぅ? 動くな! |
薪屋 | ......エホン...で、いつ、勘定ができるんだよ |
亭主 | さぁ、いつンなるかなぁ...五日か十日でできりゃぁ、まだ早いほうだろうなぁ...半月、一月かかるか、三月、半年かかるか...とにかく、銭ができたら、真っ先におめぇに払ってやる。その代わり、銭ができるまでは、そこから一分だって動くなッ! えぇ、おう! 人間、日ごろが肝心てぇのはこのことだぞ。二、三日前におめぇ、おれと往来で会ったろう。そん時、おめぇ、スーッと顔背けたろう |
薪屋 | いや、顔背けたのは親方の方だろ! |
亭主 | なにぃ? おれが顔背けた? なに云ってやがんだ、よしんば、おれが顔背けたとしても、おめぇがグルーッと回ってくりゃぁ顔と顔が合うだろう。えぇ? ヤなことするなよ。あのうちに貸しがあるなぁ、と思ったら「こんちわ」くらい云ったらいいじゃぁねぇか、えぇ? あん時になぁ、「いよいよ、暮れも押しつまって参りました。晦日には勘定取りに伺いますのでよろしくお願いします」と、一言云いゃぁ、おれだってうちのもの質においたっておめぇんちの勘定だけは耳を揃えて待ってるじゃねぇか。それをツーッと顔を背けるからさ、「あそこのうちには借りがあるはずがが、おれの顔を見て顔を背けるところをみると、これは勘定取りに来ないんじゃないかな」と... |
薪屋 | 冗談云いっこなしだぜ、そんなバカな話しが... |
亭主 | へっ、日頃が肝心だって、そう云ってんだ。とにかくナ、おめぇが勘定取るまで五分だって動かねぇって云うんならな、おれは勘定払うまで一分だっておめぇをそこから動かさねぇから、そのつもりでいろ。腹が減ったからったって、おれんとこは炊き出しなんてしねぇんだよ。飢え死にしたって知らねぇぜ。ま、いいや、長年の馴染みだ。屍だけはおめぇんちへ届けてやらあ。動くなよ |
薪屋 | ...エホン...弱っちゃったなぁ...じゃぁ、親方、おれ、忙しいから、町内、もう一回りしてから... |
亭主 | おぃおぃおぃ、おめぇ、五分どころか、一尺ほども動いたじゃぁねぇか! もらわねぇうちは帰らねぇって云ったろう! 動くな! |
薪屋 | いや、おれもさぁ、他に用があるんだもの... |
亭主 | 知らねぇや、動かねぇって云ったんだから、動くな! |
薪屋 | ...じゃ、じゃぁ、親方、こうしよう。お互いさぁ、カッカしてるから、云わなくてもいいことを云っちゃったけどさぁ、おれも忙しいから、今日のところはもらったことにして... |
亭主 | なんだ、この野郎! 「もらったことにして」とは何だよ! もらわねぇうちは帰らねぇって云っただろう! もらったのか、もらわねぇのか、ハッキリしろい! |
薪屋 | いや...まだ、もらわないよ |
亭主 | もらわねぇんなら、坐ってろ! |
薪屋 | ンンー、じゃぁ、いいや! もらったよ! |
亭主 | なにぃ? |
薪屋 | もらったよ! |
亭主 | ナニを? |
薪屋 | 勘定を |
亭主 | いつ? |
薪屋 | だから、いま |
亭主 | どこで? |
薪屋 | ここで! |
亭主 | ここで? 勘定を? いま? おれが、おめぇにか? 払ったかなぁ? ...ここで、勘定を、おめぇに...あぁ、あーあーあー、おれ、このごろ物覚えが悪くなっちゃってナぁ。おれ、いま、ここで、おめぇに勘定払ったよなぁ |
薪屋 | もらったよ! |
亭主 | 確かにもらったな? |
薪屋 | 確かにもらったよ! じゃぁ、帰っていいんだろ? |
亭主 | おぃおぃ、待てよ。勘定もらったんなら、受け取り置いてけよ |
薪屋 | そんな、もらわねぇ勘定の受け取りなんざ書けるわけねぇだろぅ!? |
亭主 | もらわねぇんなら、動くなよ! |
薪屋 | ......わぁったよ! ほら! 受け取りだよ! |
亭主 | おぃ、ほおったりするんじゃないよ。商売だろうが...ひとつ、金、八円二十銭なり...これっぱかりの勘定、早く取りに来いよ...うちだって、始末がつかねぇじゃねぇか...右、まさに受取り申し...あ、ダメだ。判が押してねぇじゃぁねぇか |
薪屋 | ......親方、それ、本気で云ってんのかい!? |
亭主 | 受取ったんなら判、押せよ。受取らねぇんなら、動くな! |
薪屋 | ......わぁったよ...へっ、こんなバカバカしい話しがあるか? 勘定ももらわねぇで(トン)、判おして(トン)、世間に話しもできねぇ(トン)。夕べの夢見が(トン)おかしかったんだよ(トン)、ブタがスリッパ履いて(トン)、うちん中へぇって来やがった(トン)、おかげで(トン)、トントン判ついてりゃ世話ねぇ(トントントントントンッ)... |
亭主 | おいおい、いったいいくつ判つく積もりなんだよ! 受取りが真っ赤ンなっちまうじゃねぇか! |
薪屋 | いいだろ、いくつついたって! きれいでいいじゃぁねぇか! |
亭主 | いいから、こっちよこせ! ったく、あぁあ、真っ赤だよ...しょうがねぇなぁ...おぃおぃ、お前も商売だろうが、愛想がねぇなぁ。勘定もらったら「ありがとうこざいます」くらいのこと、云ってけよ! |
薪屋 | ......ありがとうござんしたねぇ!! |
亭主 | なんてツラしやがんだよ...おぃ、ちょっと待て! ちょっと待て! |
薪屋 | まだなんかあるのかい!? |
亭主 | ツリはどうしたんだよ、ツリは? |
薪屋 | ツリ!!?? |
亭主 | いま、十円札で払った |
薪屋 | 冗談いっちゃいけねぇ! |
掛け取りというバカバカしいお噂でございました。 |
引用元:「東西落語特選」
http://www.niji.or.jp/home/dingo/rakugo2/
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