火焔太鼓
昔々、江戸時代にはご商売というのは、その種類ごとに集まって商いをしていたそうですな。金物屋さんは金物屋さんで、八百屋さんは八百屋さんで、一箇所に固まっていた。今はデパートなんて、一箇所でなんでも売っているなんてぇことがごく当たり前ですが、その頃はそうじゃなかった。神田に古本屋さんが多い、とか、秋葉原に電気屋さんが多い、とか...これは関係ないかもしれませんが...
浅草辺りにはずらりと道具屋さんばかりが軒を並べて商売をしていた街があったそうですな。
道具屋さんというのは、これは一朝一夕になれる商売ではございませんで「いい仕事してますねぇ」なんて言えるようになるにはそれなりの修行が必要ですな。なぜかって言いますと「名人が名人を識る」という言葉もございます通り、名人の仕事が「ああ、名人の仕事だなぁ」と分かるには腕の方はともかくとして目だけは名人と同じ域に達してないとだめなんだそうですな。
◯邪魔するよ。どうだい、何かいいの、入った?
●いらっしゃい。いやぁ、もう何もないんですよ。いいのはあぁたが全部持ってっちゃうから。あたしゃ、他のお客から責められっぱなしなんですよ、ははは...そうだねぇ...古い時代の手紙なんてのはどうです?
◯お、手紙。いいねぇ。巻き紙に墨で書いた手紙なんてのは額に入れて飾るとたいそう映えるものなんだよ。で、どんな手紙?ちょっと見せておくれ
●時代は古いですよ。なんせ小野小町が清水の次郎長にあてた恋文ですから
◯ああ、そりゃぁ面白いねぇ! 小野小町から清水の...って、時代がぜんぜん違うじゃないか! そんなものあるわけないだろ!
●ええ、そりゃもう。めったに無いから値打ちがあるんですよ
なんてバカにされてるようなものですな。
△ごめんよ。実はね、こないだここで買った振り子の取れちゃった掛け時計ね、趣があるし、静かでいいと思って掛けといたんだけどさ、やっぱり振り子が無いとぜんぜん動かないんでね、「いま何時かな」と思うたびに「時計見せてください」なんてお隣へ行かなきゃなんないんでね...せっかくで悪いんだけど、引き取ってもらえないかな
▼ええ、いいですよ。ちょうどいい。あの後、振り子だけ入ったんでね
なんて、品物バラバラにして商ったりなんかして...いろんな店があったそうですな、昔は...今のお店はそんなのはありゃしませんが...念のため...
ただ、こんなお店には、何かの間違いでとんでもない掘り出し物があったりもしたんだそうですな。古い書画骨董なんて、大変な値打ち物じゃないかなんて、なにやら見事な筆跡で書かれた古い軸物なんか見つけまして、道具屋とさんざん交渉して、ようよう買い求めて帰った。さて、うれしや、何と書いてあるのか、と、明るいところでホコリを払ってよく見ると「売り家」なんて書いてあったりして...
ま、こんな店がずらりと並んで商いをしている。なかに、脚の一つとれた京机だとか、穴の開いた屏風だとか雑然と置いてある一軒の古道具屋。いっこうに片づけようとか修理しようとかいう気も無い。そもそも商いをしようという気も無いんですな、そういう有り様ですから。ついでに生きてるなんていうようなポーッとした人でね。なんかきっかけがあったら一もうけしようなんて、そんなことばかり考えてる。こういううちはおかみさんの方がしっかりしておりまして...
おかみ | ちょっと、どうしてお前さんはそう商売が下手なんだよ! |
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道具屋 | な...何がだよ |
おかみ | 何がじゃないよ! 何だっていまの、あのお客を逃がしちゃうの! |
道具屋 | 何だって...逃げちゃうものはしようがないだろ、えぇ? 当人が逃げるって言ってるものは仕方ないじゃねぇか。ふん捕まえて、無理に売りつけるってぇほど強い商売じゃないんだ... |
おかみ | 何を言ってんだよ、お前さんが逃がしちゃったんだよ。 あのお客はね、うちのお店の箪笥(たんす)をみて惚れ込んで入って来たんだよ、えぇ。ニコニコ、ニコニコしながら入ってきて、お前さんのところへ行ったじゃないか。そんでもって、お客が 「おやじさん、この箪笥、いい箪笥だねぇ」 って言ったとき、お前さん、なんて答えたよ。 「ええ、いい箪笥ですよ。うちに十六年ありますから」 ...そんなことを自慢する人があるかい? 十六年も売れ残ってる箪笥を買う人がどこにいるよ!? 「ちょっと開けてみてくれないか」 ってったら 「いえ、これがすぐに開くくらいなら、とうに売れてます」 「じゃ開かないのかい?」 「いや、開かないわけじゃないんですけど、こないだ無理にあけて腕をくじいた人がいます」 「そんな危ない箪笥は買うわけにゃいかないね」 って言われてお前さん、何てったよ。 「そんなことはありませんよ。腕を揉む人を一緒におかかえなさいな」 ...どうしてそういうバカなことを言うの? あんまりバカバカしいから、あのお客さん、「えっ?」て言ったきり、お前さんの顔をじっと見て固まっちゃったじゃないか。お前さんはお前さんでお客の顔をボーッと見てたろ。ふたりでしばらくの間、見詰め合ってた。そのうちにお客の方がハッと我に返ってプイッと出ていっちゃった。 ほんっとうにしょうがないねぇ。売れるものを売らないで、そのくせ売らなくていいものを売っちゃうんだから。え? なにがったってそうじゃないか、去年の大晦日だよ。お向かいの米屋の旦那がうちに遊びに来たときに、うちの座敷で使ってる長火鉢みて、 「甚兵衛さん、この火鉢はいい品だねぇ」 って言ったときに 「じゃぁ、売りましょうか」 って売っぱらっちゃったろう。おかげで、冬のさなかにうちは火鉢が無くなっちゃって、寒くて仕方がないから、お向かいに当たりに行ったりして...お向かいの旦那、言ってたよ。 「甚兵衛さん付きで火鉢買ったような気がする」 って。ほんとうに仕様が無いんだからねぇ。どうせまた損するんだよ。あたしゃねぇ、どうせまた損するんだから、ってここんところ食う物も食ってないんだよ。すっかり胃が運動不足になっちゃった。時にはあたしの胃に運動させてみちゃどうだい!? |
道具屋 | ぐ、ぐずぐず言うんじゃないよ。亭主のすることにいちいち口を出すんじゃねぇ |
おかみ | 何を言ってんだよ。お前さんが一人前の人だったら、あたしだって何にも言いやしないよ。うっちゃっとけないから何か言うんじゃないか! 今朝も市へ行って来たんだろ。いったい何を買って来たの? 見せてご覧 |
道具屋 | え...いや、何でもいいじゃねぇか... |
おかみ | よかないよ! よかないから、言ってご覧! 言わないか! やい! |
道具屋 | な、なんだよ、その「やい!」ってのは...言うよ、別に悪いことをしてきたわけじゃねぇや...太鼓だよ |
おかみ | 太鼓!? それがお前さんはおかしいって言うんだよ! 太鼓ってぇ物は際物と言ってね、お祭りだとか初午だとか、そういう太鼓を使う行事がある時でないと売れないんだよ。もーっ、弱ったもんだねぇ... で、いったいどんな太鼓を買って来たのさ、こっちへお見せ! お見せなさい! お見せなさいよ! あたしが普通に言ってるうちに見せたほうが身のためだよ |
道具屋 | ...ほ、ほんっとうにヤな女だねぇ...えぇ? 見せるよ。今見せるよ。ったく...ほら、これだ! ど、どうだ |
おかみ | ゥンッマァ~ッ! きったない太鼓じゃないかぁぁぁぁぁっ!!! |
道具屋 | いや、それがおめぇは素人だってぇんだ。いいか、これは汚いんじゃないんだ。これは時代が付いてるってぇんだ。いいか、これだけ古いものだってぇときっと儲かるぜ |
おかみ | そんなことないよ! お前さんが古いもの買ってきて儲かったたちしがあるかい? こないだだってそうだよ。平清盛のしびんての買ってきて大損したじゃないか! |
道具屋 | いや、あれは...だけどさ、おれが古いので損をしたって言ったら、たいしたことないよ、その清盛のしびんだろ...巴御前の鉢巻きだろ...頼朝の五歳のときのしゃれこうべだろ... |
おかみ | ばかばかしいからおよしよ!! もう、ほんっとーに...いったいいくらでもって買って来たの? |
道具屋 | ...い、一分だよ |
おかみ | 一分!? もう、おあしをどぶに捨ててるようなもんじゃいなか! そんなもの、店に出しといたって売れやしないよ! |
道具屋 | 売ってみせるよ! おれが買って来たんだ、ガタガタ言うな! おい、定! サダ公! おめぇもおめぇだ! 伯父さんが品物買って来たんだ。ボヤボヤしてないで、はたきでもってホコリくらい払え! |
おかみ | だめだよ! ホコリ払ったら、太鼓が無くなっちゃうよ! その太鼓、ホコリが固まってできてんだから |
道具屋 | バカいうな! いいから、とっとと表へ持ってってホコリ払え! |
定吉 | へーい... 伯父さんと伯母さん、のべつケンカしてんだもん...ヤんなっちゃうな。けど、これほんとに汚そうだなぁ...はたきで、えぃっ...うわぁ、凄いや、ホコリで向こうが見えなくなっちゃった...伯父さん、これホコリが凄いや |
道具屋 | うるせぇ! おめぇまでホコリ、ホコリ言うな! |
定吉 | へーい... 怒られちゃった。ホコリはたこう... (ドンドンドンドンドンドンドン) あれ? 面白いや。 (ドドドン、ドドドン、ドドドン、ドン) |
道具屋 | お前のおもちゃに買って来たんじゃない! ホコリをはたけ! |
定吉 | いや、伯父さん、はたいてんだよ。太鼓叩いてんじゃないんだよ。まわりの枠のところを叩いてんだよ。それなのにこういう音がするんだよ。これ不思議な太鼓だよ。いいかい (ドンドンドンドンドンドンドン...ドンドンドン...ドン) ほらね (ドドン、コ、ドン、ドン...ツードンドン) |
道具屋 | 遊んでるじゃねぇか! |
共の侍 | 許せよ |
道具屋 | ヘッ...これはいらっしゃいまし...定、お前はこっちへひっこんでろよ... |
共の侍 | いま、太鼓を叩いていたのはその方の店であるか? |
道具屋 | へぇ... |
共の侍 | お上 がお駕籠で御通行のおり、太鼓を叩いたのはその方の店に間違いはないな? |
道具屋 | ...ロクなことをしねぇんだ、馬鹿野郎...こっちへ引っ込んでろ...ったく... いや、あっしじゃねぇんです。こいつなんです。いや、うちの子って訳じゃなくて親戚の子なんですけどね、なまけてばっかりでどうしようもないんです、へえ。人間がどだいバカですから。顔をごらんなさい、バカな顔してましょう? 「バカ顔」と申しまして、夏になったら咲いたりするんです。とにかく「はたけ」と「叩け」がわからない。もうこの界隈一のバカなんです、この辺の小僧の中で...こんな大きななりしてましょ? でもほんとは十一なんですよ。まだほんの子供なんです。こんな子供のしたことですので、どうぞご勘弁を... |
共の侍 | いや、別に太鼓を叩いたことをとやこう言っておるのではない。その方で叩いた太鼓の音をお上がお聞きになって、どのような太鼓か見たい、とおっしゃっておる。ことによるとお買い上げになるやもしれんぞ |
道具屋 | ...あ...あぁ...へへっ、うまく叩きゃぁがったな...へへっ。いや、あいつが叩いたんです、へぇ、うちの親戚の子なんです。こいつが、よく働くんです、えぇ、へへっ。いい顔してましょ? なんせ人間が利口なんです。この界隈の小僧の中で一番利口なんです。年より小さくみえましょう? 今年、十五になるんです |
共の侍 | さきほど十一と申さなんだか? |
道具屋 | 十一のときもあったという話しで |
共の侍 | 何を申しておる! はっはっは、面白い奴じゃ。屋敷は分かるか? |
道具屋 | へい、お屋敷はどちらさんで? ...あぁ、よく存じております。へい、へい、かしこまりやした、へぃ! どうも、ありがとうございましたぁっ! へぃっ、では後ほどうかがいやすっ! へっへっへ...どうでぇ...店に出すか出さないかのうちに、もう売れちまったじゃねぇか。ざまぁみやがれ |
おかみ | 売れちゃいないよ! お前さん、あれで売れたと思ってんの? だから、お前さんは甘いってんだよ! えぇ!? 損ばっかりしてるくせに! いいかい、お前さん、よーく考えなさいよ。お殿様はお駕籠の中で音だけ聞いたんだよ。金蒔絵かなんかしてあるようなどんなきれいな太鼓だと思ってるところへあんな汚いホコリの固まりみたいなもの持ってってごらんよ、 「こんなむさいものを持って来た無礼な道具屋! 逃がすでないぞ!!」 御家来衆も急に機嫌が悪くなって、お殿様のご機嫌をそこねちゃいけないと思うから、 「はっ、かしこまりました! 道具屋! こっちへ来い!!」 なんて寄ってたかってズルズル引きずられて庭へ引き出されたりするんだよ。途中でぶたれたり、蹴られたり、酷い目に合わされて... ああいうところってのはお庭に大きな松の木が植わっててさぁ、その枝に吊るされて、お前さん当分そのまま晒し物だよ。そうするとね、クモが顔のうえをこう、這ったり、アリやハチに刺されたり、ヘビが出てきてお前さんの首に絡み付いたり、足の裏を舐めたり、いろんな目にあうんだよ...お前さん、ヘッ...面白いねぇ。 いっといで! |
道具屋 | ...おれ、やだ。もうおれ、止すよ! |
おかみ | ふっ、そんなことはないよ。無いけどね、お前さんが「売れた、売れた」なんて浮かれてるからクギを刺すためにそう言ったんだよ。 いいかい、何でも人間てものは物事は内輪、内輪に考えるの。いいかい、あのお侍は「ことによるとお買い上げになる」ってそう言ったんだよ。いいかい、「ことによると」ってぇことは「ことによらない」とお買い上げにならないってことなんだよ。だから、売れたと思うといけないの。太鼓を見せに行くんだって思いなさいってこと。で、万が一「道具屋、この太鼓はいくらだ?」なんて言われたとき、また欲の皮つっぱらかして儲けようなんて考えちゃだめだよ。 「この太鼓は一分で仕入れました。口銭はいりません。一分で結構でございます」 と、こう言いなさい。いいかい。そうしないと、ここでこの太鼓売りそこなったら、もう二度と売れないよ。もうこの太鼓、ずーっとあるよ。あたしとお前さんが死んじゃってもこの太鼓だけジーッと残るよ。何百年でもここにあって、この店の主になっちゃうよ。終いにはしっぽが生えて、化けるよ |
道具屋 | そ、そんなことあるわけねぇじゃねぇか! |
おかみ | それくらい大変なことになるってことだよ。だから、いいかい、この太鼓売っぱらっちゃいなさい |
道具屋 | 分かったよ、じゃ、おれ、行ってくるよ。太鼓しょわしてくれ |
おかみ | もう、世話が焼けるねぇ...よいしょ... |
道具屋 | ああ、おれに任せとけ。ちゃんと売って来るから |
おかみ | いいかい、頼んだよ。さっきも言った通り、あたしゃここんところまともに物を食べてないんだから。おへそが背中に出ちゃうよ。もう、今日お前さんが損をして帰って来るようなら、お前さんにも当分なにも食べさせないよ |
道具屋 | ど、どうしてだよ |
おかみ | 口で言っても分からないんだから、食べ物で教えるんだよ! |
道具屋 | 犬じゃねぇ!! こん畜生! |
おかみ | いいかい、何でも内輪、内輪で考えるんだよ! だいたい、お前さん、自分で一人前だと思ってること自体が図々しいんだから。いいかい、お前さん、バカなんだから、バカが今太鼓をしょって歩いてるってことを... |
道具屋 | やかましい!! ったく...「バカが太鼓をしょって歩いてる」たぁどういう言い草でぇ。畜生、亭主のことを何だって思ってやがんでぇ。冗談じゃねぇや。だいたい、下手に出てるからああやってのさばるんだよ。ちょっと脅かしてやろうじゃねぇか... ぅるせぇや! こん畜生! 女なんてなぁ世間にいくらでもいるんだ! ガタガタ抜かしやがっと向こう脛かっとばっぞ! って...へへへ、こんちわ... 人が変な顔で見てるよ... えー、お頼みもうします |
門番 | む、何だ、その方は |
道具屋 | へい、道具屋でござんす |
門番 | おお、その方か、聞いておるぞ。よいから奥へ通れ |
道具屋 | へい... へへ、おれが来るのがちゃんと分かってんだよ。へへ、恐れ入ったね、どうも... へぇ、きれいなもんだねぇ...こういうお屋敷へ入ったのは初めてだけどねぇ、へぇ、砂利なんか一粒ずつ揃えたようだねぇ。きれいなもんだ、うん。大変だよ、こういうのは...植木の手入れなんかも、手間も暇もかかるよ... 屋敷がきれいな割にゃぁ...太鼓、汚いなぁ...こりゃ買わないかもしれねぇなぁ... まぁ、いいや。今日は見せに来ただけなんだから... あぁ...大きな松の木があるよ...はぁ... ヤなこと言いやがったなぁ、カカァの野郎...でも帰ってもいずれ迎えが来るんだろうなぁ...ま、いいや。「この無礼者!」ときたら「ごめんなさい」って、太鼓置いて逃げて帰っちゃおう... ったく、人を脅かしやがって... えー、お頼み申します! |
屋敷の侍 | どうれ! む、なんじゃ、その方は |
道具屋 | えぇ、ど、道具屋でございます |
屋敷の侍 | なに、道具屋とな...ちょっとそこへ控えておれ ええ、道具屋が参っておりますが、どなた様か... |
共の侍 | ああ、拙者じゃ。いや、いつもの通り、殿が...はっはっは。いやぁ、これは先ほどの道具屋。よく参った。まあ、こちらへ上がれ。遠慮せずともよい。上がれ |
道具屋 | いや...ここの方が、いざというときに... |
共の侍 | 何を申しておる。で、太鼓は持って参ったか? |
道具屋 | も...持って来ましたよ...持って来ましたよ、持って来ちゃぁいけねぇってんですかい!? |
共の侍 | な、何を怒っておる。たいそう気が高ぶっておるな。いや、拙者の方が持って参れと申したのじゃ。お前ひとりが来たのでは何もならん。今一度、拙者があらためる。こちらへ出しなさい...ほほぅ、さきほど店先で見たときよりも一段と時代がついておるな |
道具屋 | じ、時代...へぃ、時代とくりゃあ、この太鼓は他のにゃグウの音も出させねぇんで...なんせ、この太鼓から時代とるでしょ、そうするとね、太鼓が無くなっちゃう、それくらいのもんで |
共の侍 | おかしな世辞を申すな...うむ...よし。ではさっそく殿にお見せしよう |
道具屋 | え!? この太鼓、殿様に見せるんすかぁ!? よしましょうや、そりゃだめだ。殿様しくじっちゃうよ。よそうよ...ね、お侍さん、あぁた、買ってください |
共の侍 | いや、拙者か買うわけには参らん。殿がお求めになる。とにかく殿にお見せする間、ここで待っていなさい |
道具屋 | 重いでしょ...重いのと汚いのは請合います...おもきたないってやつで... ありゃあ、だめだ...買わねぇな...「こんな汚い...」ってのが聞こえたら、ダーッと逃げちゃおう...あ、帰って来た... どうでした...殿様、怒ってたでしょう、買わないでしょう? |
共の侍 | いや、まことに御意に召してな、お買い上げになる |
道具屋 | え...ほんとですか!? ...はぁ |
共の侍 | な、なんじゃ、気の抜けたような声を出して。たいそうがっかりしておるな...売らんのか? |
道具屋 | いや、売ります! 売りますよー |
共の侍 | で、いくらなら手放すな? |
道具屋 | へ? いくら...? いくら、というくらいだから、ああた、いくらか、ということを聞きたいんで? |
共の侍 | そうじゃ。いくらなら、手放すな? |
道具屋 | いくら、というのは...いくらくらいでしょうな? |
共の侍 | 何を訳の分からんことを...あぁ、言いそびれておるな。いやいや、このようなことを言うてはお上に対して申し訳ないが、商人というものは儲けるときに儲けておかんと後で損がいくからな。いいから、手いっぱい申せ |
道具屋 | 手いっぱい...ですか? じゃ、じゃぁ、手いっぱい言いますから、そのかわり、まけろってぇのなら、いっくらでもまけますから、そう言ってください...じゃ、これだけ |
共の侍 | なんじゃ、手いっぱいと言ったからといって、手をいっぱいに広げて。いったいいくらじゃ? |
道具屋 | えぇ...と、十万両 |
共の侍 | それは高い! |
道具屋 | 高い、そりゃそうですよ。手いっぱいだから。あとはまけ放題だから、いくらでも値切ってください。トントン、トントンまけて今日一日だってまけますよ |
共の侍 | そんな商いがあるか。では、どうじゃ、道具屋。拙者、あの太鼓、三百金で買い受けたいと思うが、どうじゃ。三百金で、手放す気はあるか? |
道具屋 | な、なんです? いま、何とおっしゃいました? |
共の侍 | 三百金じゃ |
道具屋 | あ、そうでござんすか。さんびゃっきん...と言いますと、どのような...さんびゃっきんで... |
共の侍 | 分からん男じゃな。三百両じゃ |
道具屋 | あぁ、なるほどね...さんびゃくりょうね...さんびゃくりょうというのは...えぇ、いったいどういうようなさんびゃくりょうで? |
共の侍 | 何を申しておる。早い話しが小判で三百枚の三百両じゃ |
道具屋 | えぇ、小判て言いますと、こう、小判型をして、ピカピカ光ってて、なんか物が買える、あの小判でさんびゃくりょうでございますか? |
共の侍 | そうじゃ |
道具屋 | あぁ、あの三百両でございますか、はっはっははははは...さんびゃ...は...うは...うぇ...うぇっ、うぇっ... |
共の侍 | な、なんじゃ、泣いておるのか? |
道具屋 | うぉーぃ、おぃおぃ...三百両! 三百両下さい! |
共の侍 | これこれ、すそを引っ張るな! その前に受け取りを書きなさい |
道具屋 | 受け取りなんぞいりません! |
共の侍 | こっちがいるんじゃ! |
道具屋 | あぁ、そうですか...あ、判子持って来て無いんで...あ、爪印でいい、あぃスイマセン...へぃ、あ、ここに...いくつくらい押しましょうか? 一個でいい? あの、おまけでもう十個くらい...ポンポンポン...あ、要らない? そうっすか... へい、じゃ、これでお願い申します |
共の侍 | なんじゃ、これは...真っ赤ではないか...まぁ、これでいい。よし。では金子を渡すによって、よう確かめよ。その方に三百金、渡すぞ。間違いの無いようにな |
道具屋 | へい! |
共の侍 | さ、まずは五十両じゃ! |
道具屋 | へい...ご、五十両... |
共の侍 | 百両! |
道具屋 | ひ、百両ぅぅっ... |
共の侍 | 百五十両! |
道具屋 | ひ、ひ、ひゃくごじやうりやう... |
共の侍 | 二百両じゃ! |
道具屋 | にひやくりやうぅぅぅっ...ぅぅぅぅっ |
共の侍 | また泣いておるな。それ、二百五十両じゃ! |
道具屋 | に...ひ、ひ、ひゃく...ごじゅううぅぅぅぅっ ...すいません、水をいっぱい... |
共の侍 | 世話の焼ける奴じゃな...それ、これを飲め |
道具屋 | へい、ありがとござんす...(グィグィグィ)こ、これで終わりですか |
共の侍 | まだあるぞ。あと五十両 締めて、三百両じゃ!! |
道具屋 | さんびやくりよううぅ! |
共の侍 | これこれ、しっかりいたせ! そこの柱に捉まれ |
道具屋 | こ、こ、こ、これ...ほ、ほんとうにあたくしがもらってっていいんでござんすか? |
共の侍 | その方の商いによって得た金子じゃ。持って帰るがよい |
道具屋 | ああ、そうですか...あ、あの、断っときますが、うちの店はいちどお売りしたものはもう二度と決して引き取らないことになってますから、よろしゅうございますか? ...これはじいさんの代からのしきたりでごさんすから、よろしゅうございますね! ...で、ちょぃと教えてもらいたいんですが...あんな汚い太鼓がなんで三百両で売れたんでございましょうか? |
共の侍 | なんじゃ、その方も知らんのか。拙者もよくは分からんがな、お上はこのようなものにたいそうお目が高い。あの太鼓はな、「火焔太鼓」と申すもので世に一つ、二つという銘器だそうだ。よく掘り出したな |
道具屋 | は、じゃほんとに売れたんっすね...ありがとうござんす...失礼いたします |
共の侍 | これ、風呂敷きを忘れて行くな |
道具屋 | あなたに上げます |
共の侍 | いらん! |
道具屋 | あ、そうっすか...へい...どなたさんも失礼さんで... |
共の侍 | 大丈夫か、しっかりいたせ。金子を落とすな |
道具屋 | 冗談言っちゃいけねぇ! 自分落としたって金は落とさねぇ |
門番 | おお、先ほどの道具屋がフワフワ飛んで来た。どうじゃ、道具屋。商いになったか? |
道具屋 | へぃ、おかげさまで |
門番 | いくらに売れた? |
道具屋 | 大きなお世話で! 冗談じゃねぇや、人の懐狙ってやがる...カカァの馬鹿野郎、一分で売れって言いやがった...ざまぁ見やがれ、腹が減ってしょうがねえってやがる。見てやがれ、これから無暗とおまんま食わせて、動けなくしといてから、くすぐってやるんだから! やい、こん畜生め! いま帰った! |
おかみ | まぁ、この人は、顔色変えて。しくじったんだろう、いいから早く、裏へお逃げ、裏へ。あたしが上手い具合にごまかすから |
道具屋 | そうじゃねぇゃ、畜生め! やい、あ、あの...あ、ああ...まぁ、落ち着け! |
おかみ | お前さんが落ち着きなよ |
道具屋 | あ、あぁ...いいか、お屋敷に行って驚くじゃねぇか。あの太鼓は大変な太鼓なんだ...なんとかいう太鼓で、この世に一つ、二つてぇ銘器だってぇじゃねぇか |
おかみ | で、お前さん、一分って言ったんだろ |
道具屋 | 言おうと思ったら、舌が突っ張らかって言えねぇんだよ |
おかみ | 肝心の時になると舌が突っ張るんだねぇ、この人は...こんど、舌抜くよ |
道具屋 | 何言ってやがんでぇ! 舌抜くたぁどういう言い草でぇ! こっちがなにも言えねぇでいるとね、向こうが「手いっぱい申せ」ってぇんだよ。それでね、おれ、こうやったんだ |
おかみ | なんだよ、それ。高いこと言わなかったろうねぇ |
道具屋 | いや、十万両って |
おかみ | バカだねぇ、お前さん、バカが固まっちゃってるよ! |
道具屋 | 向こうが高いって |
おかみ | 当たり前だよ! |
道具屋 | それからトントン、トントンまけてな、三百両で売れちゃった! |
おかみ | この人は...なんでそういうウソをつくかねぇ...ははぁ、損して帰ったってえとおまんまが食べられなくなると思って...そんなにおまんまが食べたいかねぇ。まあ、お前さんも可愛いところがあるよ |
道具屋 | このやろう...ここに持ってんだ、おれは。懐が膨らんでんだろう? |
おかみ | ほんとに? うそなんだよ、どうせ。持ってるなら見せろ。早く見せろ、このバカ |
道具屋 | バカァ!? このやろう...よーし、いま見せてやる! おれぁ、ここんとこに三百両並べてみせてやる! てめぇ、ビックリして座りションベンしてバカになるなよ! |
おかみ | 大丈夫だよ |
道具屋 | へっ、さ、どうだ! 五十両だ! |
おかみ | ま! お、お前さん、本当なの!? |
道具屋 | ほんとなんだ、どうだ。 百両だ! |
おかみ | まぁ、百両だなんて...ヤダァ |
道具屋 | ヤダァじゃねぇや、こん畜生め! そら、百五十両だ! ほれほれ、百五十両だ。どうだ |
おかみ | まぁ、百五十両だなんて...弱るよ、あたしゃ...あ、あぁぁぁぁ |
道具屋 | おいおい、しっかりしろ、後ろの柱に捉まれ |
おかみ | え? こ、こうかい? |
道具屋 | ああ、それでいいや。いいか? それ、二百両だ! |
おかみ | あぁ、お前さん、商売上手! |
道具屋 | 何を言いやがる! そら、二百と五十両だ! |
おかみ | あらー、やっぱり古いものはいい! |
道具屋 | へっ、さぁ、三百両だ! |
おかみ | まあ~ぁっ...お前さん、水を一杯飲ませておくれ! |
道具屋 | それ、見やがれ! おれだって水飲んだんだぞ。定、もって来てやれ! ...さ、どうだ? |
おかみ | (グビ、グビ、グビ)はぁーっ...お前さん、ありがとう...けど、よくあんな汚い太鼓が三百両で売れたねぇ。やっぱり音がしたから気が付いたんだねぇ |
道具屋 | そうともよ、やっぱり音がしなきゃだめだ。おれぁ、今、半鐘仕入れようと思ってんだ |
おかみ | 半鐘? だめよ、おじゃんになっちゃう! |
引用元:「東西落語特選」
http://www.niji.or.jp/home/dingo/rakugo2/
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