お見立て
昔、大門をくぐって吉原というところへ参りますと、張り店なんてもうしまして、格子戸の中にお女郎衆が並んでおりまして、若い衆が「よろしいところをお見立てを願います」なんて申しておりました。ま、女の子を実際に見て選べるんですな。
今の...いわゆる特殊浴場ですが、これは小さな写真が並んでおりまして、それで選べってんですが、この写真というやつは、写真写りの善し悪しというのがございまして、写真で見るとゾクッとするような美人が、生で見ると、ゾッとするような...まあ、いろいろございます。まぁ、何にせよ、実際に本人を目の前にして選べるというシステムはずいぶんと具合がよろしゅうございました。
こういうところの若い衆というのは、実際にはみな若いわけじゃございません。中にはずいぶんと年の行った若い衆もおりました。
喜瀬川 | どうした、喜助どん |
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喜助 | へい、花魁 、実は半年ぶりで、例の杢兵衛お大尽がお見えになりました |
喜瀬川 | なに...杢兵衛お大尽が...あの杢の字が...来たの、来ちゃったのォ... |
喜助 | へい、おいでになりました |
喜瀬川 | 嫌だねぇ...喜助どん、あたしゃ嫌だよ、ヤダねぇ...嫌だよ、顔見るのも嫌なんだから |
喜助 | 顔を見るのも、って、花魁、嫌な客の相手もしなきゃならないのが苦界の辛いところじゃありませんか |
喜瀬川 | 苦界も十階もないんだよ、あたしゃ、本当に嫌なんだよ、今言った通り顔を見るのも嫌なんだ、あんなシロモノに触られた日にゃあたしゃ死んじまうよ。まだ熊のかみさんにでもなった方がましだよ |
喜助 | そんな、顔を見るのも嫌だ、嫌だなんて、それならなんで夫婦約束なんぞなさったんです? |
喜瀬川 | そんなこと言ったって仕方ないじゃないか、おと年の暮れは何かと首の回らない借金がかさんでさ、ちょいと融通してみたんだよ |
喜助 | いや、あぁたの方は融通でもね、先様は本気なんですから、あぁたの亭主になるつもりで通ってんですから |
喜瀬川 | 困ってるんだよ、その気になっちゃってさぁ...じゃ、こうしておくれ、患って寝てる、ってそう言っておくれ |
喜助 | そりゃ、よござんすけどね、夫婦約束した女が患ってる、そりゃ大変だ、見舞っていこうなんてことになったらどうします? |
喜瀬川 | まったくしつこいねぇ...ほんっとにヤな客だねェ...死んじゃったって言っとくれ! |
喜助 | へ!? |
喜瀬川 | 死んじゃったってさ、なんとだって理屈はつけられるだろぅ? |
喜助 | そりゃ、ね、四百四病ってくらいで、そのうちどれを患っても心がけ次第できっちり死ねることになってますけどね...いったい何を患ったことにしやす? やっぱり肺病か何かで? |
喜瀬川 | 肺病ねぇ...景気が悪いねぇ |
喜助 | そんな、景気のいい病気なんてもの... |
喜瀬川 | 喜助どん、いったい何年ここに奉公しておいでだい? そうだろ? 半年の間あのお大尽、ご無沙汰だったんだよ、その間あたしがさ、花魁の喜瀬川がお大尽に会いたい、お顔を見たい、恋焦がれて、焦がれ死にいたしました、ってそう言ってごらんよ。そうすりゃ向こうだっていい気分になって帰れて、もう二度とこないじゃないか。いいかい、そう言っとくれ |
喜助 | いやぁ、焦がれ死にたぁ気がつきやせんでした...じゃ、まぁ行ってきます。 しかし、まあ花魁がああ言うのも考えてみりゃ無理ぁねぇやなぁ...あのお大尽の顔ってもなぁ、どう見たって女っ惚れのする顔じゃねえもんなぁ。世の中に鼻があぐらかいてるってなぁ、よく聞くけど、あのお大尽のは、あぐらなんてもんじゃねぇもんな。鼻がねそべってるてぇのかねぇ。丸い穴がふたっつあいてるだけなんだもんなぁ、そそっかしい鳩は巣と間違えて飛び込むねぇ。 おまけにおでこが黒くなってんだ。花魁に聞いてみたよ「あのお大尽のおでこは、あれはあざか何かあるんですかぃ」「冗談じゃないよ、喜助どん、こんどお大尽が煙草吸うところよっく見てご覧」言われておれぁじっくり見てたよ、そしたらなるほどわかったよ、お大尽が煙草吸ったってケムが下へいかねぇんだ、みな上へ上っちまうんだ。おでこがすすけてんだよ、デコの薫製だ。おでれぇたねぇ、まったく... どうもお大尽... |
杢兵衛 | おぅ、誰かとおもぅたら、われ、喜助でねぇけぇ...ええからこけぇこぅ...こけぇこぅ。われとおらがの仲でねぇけぇ、まぁ、遠慮さぶつこたぁねぇ。...はっはっは、ええからこけぇこぅ、ここ、こけぇこぅ |
喜助 | ニワトリだね、まるで... 実はお大尽、喜瀬川さんのことでちょっとご相談が... |
杢兵衛 | わかっとる、わかっとる。おらはそんな野暮な客でねぇって。おらが来るたびに喜瀬川が蒼いツラしてぶっつわっとるよりゃあ方々飛びまわってるってなほうがなぁ...へっへっへ、亭主の肩身がどれくれぇ広ぇことか、分かるけぇ、喜助 |
喜助 | へぇ、恐れ入ります...それがでございますねぇ、お大尽がここ半年ばかりのご無沙汰でございました、その間のことでございますが、喜瀬川さんも言えば若い娘でございます、女の子が惚れるなんてなぁ恐いくらいのもんでございますな...「お大尽は...お大尽は...」 朝起きるとお大尽、夜寝るとお大尽、お大尽はいつおいでになるかしら、お大尽はご無事かしら、お大尽はどうしていらっしゃるのかしら...寝ても覚めてもお大尽のことばかり、そのたびに癪をお起こしになりまして... |
杢兵衛 | 癪なんて、あれぁわがまま病いだぁ |
喜助 | お大尽...あなた、罪なお人だ...わがまま病いにゃちげぇありやせんがね、そう言っちまったら花魁があんまり...(グスッ)可哀相だ。 いぇね、二階に床をとって寝付いていたんですがね、だんだん痩せて行かれましてねぇ...ある日のことでした、あたくしの手を...こう、お取りになりましてねぇ...「喜助どん、お大尽は...いつお見えになるかしら...たった一目でもいい...あの人に...会いたい...あの人に...」ホロホロッと涙を流したのがこの世の別れ、まもなく息も絶えにけり、南無阿弥陀仏。 というわけですので、さようなら |
杢兵衛 | な、なんだ、その「さようなら」ちゅうのは。 喜助、われ、人が悪くなったなぁ。おらがちょっとくれぇ無沙汰したからっちゅうて、われ、縁起でもねぇ冗談こくでねぇ! |
喜助 | いやいや、洒落や冗談、こういう商いでございますからちょいちょい申しますが、人の生き死にでございます。本当に...(グスッ)花魁、可哀相でございました... というわけですので、さようなら |
杢兵衛 | その「さようなら」ちゅうのやめぃ! 喜助、われ、冗談ぶっこいてんのでねぇのけぇ? 喜瀬川がおっちんだ? 喜瀬川が...そらまたどしたてこんだ、そらまた...そらまた...どしたてこんだ、どしたて... |
喜助 | ま、どうしたてこんですかね、とにかく息をしなくなりましたんでねぇ... というわけですので、さようなら |
杢兵衛 | なにが「さようなら」だ、この野郎! 可哀相なことしたでねぇか。(グスッ)そんなことさなってるなら、どうしてわれ、おらのとこさ使ぇにこねぇ! どう都合したって一度や二度こられねぇことなかんべぇに... 可哀相なことした...さだめし、おらがの顔が見たかったろうに... |
喜助 | へっへっへ... ま、というわけですので、さようなら |
杢兵衛 | なにが「さようなら」だ、われ、ぶっとばすぞ...追い立てるようなこと言いやがって... まぁええ、われどついたちゅうて喜瀬川が生きけぇるちゅうもんでもねぇ... われ、面倒みてくれたか? |
喜助 | へぇ、へぇ、そりゃもう、大変お世話になった花魁でございますから、お医者様から召し上がりものからお召代えまで、手前が一通り、こう... |
杢兵衛 | そのくれぇのことしたってバチゃあたりゃぁしねぇぞ、われぇ! 可哀相なことした...寺はどこだい? |
喜助 | 谷中でございます |
杢兵衛 | ほう、近ぇでねぇか。しょっちゅう来るわけにはいかねぇ。来たついで、と言っちゃバチあたるがな、墓参りすべぇ |
喜助 | 墓参り... 墓参りとは気がつかなかった... |
杢兵衛 | なんだ? |
喜助 | いや、花魁とご相談を |
杢兵衛 | なに、誰と相談ぶつって? |
喜助 | いや、その...そういうことになりますと、いったん吉原の大門を出ることにあいなりますので、いちおうご内所へ参りまして主の許しを得ませんことには、後々具合の悪いことに相成りますので...えぇ、決してお大尽の悪いようにはいたしませんので、ど・う・ぞ しばらくお待ちを願います... さぁ、えらいことになったね、どうも...墓参りまでは気がつかなかったよ... 花魁、ちょいと失礼しますよ |
喜瀬川 | あ、喜助どん、どうだい、うまくいったかい? |
喜助 | それが、うまく行き過ぎちゃったんで...あぁたが死んだって聞いてオイオイ泣き出しちゃって、もうあの顔で泣くもんだから、そりゃひでぇもんですよ。で、せっかく来たんだから、ついでに墓参りして行こうなんて... |
喜瀬川 | まぁ、けっこう優しいところがあるんだねぇ...それで、寺は遠いって言ったんだろ? |
喜助 | それが、谷中と... |
喜瀬川 | なんだい、それ、お前...バカだねぇ、何だってそう...バカだねぇ、もうちょっと...バカだねぇ、だいたい...バカだねぇ |
喜助 | そんなバカだ、バカだっておっしゃいますけどね、いきなり「寺はどこだ」、思わずあたしんちの親父の墓を思い出しちゃって...今考げぇると蝦夷か唐天竺くらいにしときゃよかった... |
喜瀬川 | まぁ、いいよ。行ってお上げなさいよ |
喜助 | そ、そんなこと言ったって...墓なんざありゃしませんぜ |
喜瀬川 | 無くたっていいよ、あっちこっち引っ張りまわしていい加減くたびれた頃に、手ごろなのを見繕ってあてがっときゃいいよ |
喜助 | そんな、お昼のおかずを買いに行くんじゃないんですよ... |
喜瀬川 | そんな事言わずにさぁ、こんどあんたが何か困ったことがあったらあたしが手を貸すからさぁ、今度ばかりは頼むよ、助けとくれよぉ...ンねぇ |
喜助 | そんな、あたしに鼻声だしてどうしようってんですよ...ま、どうにかやってみますがね...もう、知りませんよ、どうなるか... へぃ、お大尽 |
杢兵衛 | おぅ、喜助、どうだった |
喜助 | へぃ、ご内所へ参りまして主に話しましたところが、主が大変に喜びまして、「死んだ後までもそういうごひいきはめったに無い、喜瀬川が生前勤めが良かったんだろう、喜助、お前がお供をしていきなさい。お前がお供をしていけば、あれだけのお大尽だから、決してただ、ってことはないよ、御祝儀をたんまりくださるに違いないから...」「イヤ、あたくしは決して御祝儀がどうの、骨折りがどうの」「いや、骨折りはきっと」「いや、あたくしは御祝儀は...」 |
杢兵衛 | なんだ、この野郎、骨折り、骨折りとゼニのことばかり言いやがって...誰が人をタダで使ったことがある? ゲタなんぞ揃えてくれなくってもええ... あぁ、寂しいなぁ...喜助... |
喜助 | へぃ、いい花魁でございました |
杢兵衛 | 大人しくて、いい女だった...ここは谷中でねぇか? |
喜助 | へぃ |
杢兵衛 | 寺はどこだ |
喜助 | この辺にはまだ寺は無いんでございますがね、この坂を下りますてぇと、もう軒並みお寺になっておりまして... |
杢兵衛 | そんなに無くてええだよ。喜瀬川の寺はどこだ |
喜助 | 寺は...どこにします? |
杢兵衛 | どこにします? |
喜助 | ええっと、このお寺、立派でござんしょ...もう、どこから見たってお寺でごさいますよ |
杢兵衛 | 宗旨は何だ |
喜助 | ええっと...禅寺 |
杢兵衛 | 禅寺ってことがあるか。「葷酒山門にいるを許さず」これは禅宗だな。そこに店がある。花と線香を買っとけ |
喜助 | お花とお線香...お大尽、あとで骨折りといっしょにいただきますからね、細かいのはあたしが立て替えときます。...どうぞこちらへ...そこんところ、段になってますから、お気を付けて...はっはぁーっ、ずらーっと墓が並んで、眺めのいいこと |
杢兵衛 | 何が「眺め」だ、バチ当たりな! 喜瀬川の墓はどれだ? |
喜助 | えぇーっと...へ、へぃ、こ、これでございます、お大尽。ただいまお掃除など...花魁、お大尽がお見えですよ...えぇ、そりゃもうずいぶん小言を言われました。へっへっへ、どこの墓だか知らねぇが、なんと間のいい墓だろうね... (グスッ) さ、お大尽、お参りを |
杢兵衛 | 喜瀬川の墓...われ、変わった姿になっちまったじゃねぇかい...こりゃまたどうしたこんだ、こりゃ... 喜助、今だからおもいあたることがあるけんども、おらが夜中に「まま食いてぇ」っつったらこいつ、文句ぶったもんだ。「生意気なこと言うもんでねぇ、みっつの時からまま食ってるでねぇけぇ」ちゅうて文句ぶっただよ。 それがこの前別れるときはそうでねぇ。おらが夜中に「まま食いてぇ」っつったら、「夜中のままは毒だから、雑炊こしれぇてやるべぇ」っつって、ふたり差し向けぇでズルズル、ズルズルすすっていたっけが、喜瀬川の野郎、涙ポロポロこぼしてるでねぇけぇ。 「バカなことこくもんでねぇ! おらそんな薄情な男でねーよー」うれしそうな顔してたのが、また泣き出すから「こんどは腹でもいてぇか?」 「われ、縁起でもねえ冗談言うもんでねぇ」って怒ってやったが、それを言い当ててこんなことに...(グスッ)なんまんだぶ、なんまんだぶ...なんまんだぶ... 立派な墓を作ってもろうたなぁ... なんて戒名だ...陸軍男爵...俗名 松平清隆ァ? これ、男の墓でねぇかっ! |
喜助 | うぁっ、間違った! |
杢兵衛 | 間違ったて、 墓、まちげえるアホがどこにおる! |
喜助 | こっちです、こっち...お大尽、こっちです |
杢兵衛 | 散々となりで泣かせやがって...えれぇちいせえ墓だな、コリャ...戒名は...安門養空童子...童子ってば、こどもでねぇか! |
喜助 | あぁっ、間違った! |
杢兵衛 | 間違った、間違ったって、いってぇ喜瀬川の墓はどれだ!? |
喜助 | へぃ、ずらっと並んでおります。よろしいところをお見立てを願います |
引用元:「東西落語特選」
http://www.niji.or.jp/home/dingo/rakugo2/
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