日本の歴史に名を残す剣豪・武将・大名・志士が所有した名刀を一覧にまとめました。
天下三名槍(てんかさんめいそう)
蜻蛉切(とんぼぎり)
徳川四天王の一人 本多忠勝が愛用した。
あまりの鋭さのゆえに、槍の穂先に止まった蜻蛉が切り落とされたため、蜻蛉切という名がついた。
日本号(にほんごう)
樋(刃中央の溝)に倶梨伽羅龍の浮彫があります。
正親町天皇から室町幕府十五代将軍・足利義昭に与えられ、織田信長、豊臣秀吉、福島正則へと受け継がれました。
御手杵(おてぎね)
室町時代に下総国結城の大名・結城晴朝の愛槍。
東京大空襲によって焼失、三名槍で御手杵だけが失われた。
天下五剣(てんがごけん)
童子切安綱(どうじぎりやすつな)
足利義昭から豊臣秀吉に贈られたとされ、さらに徳川家康とその子である徳川秀忠へと受け継がれた。慶長16年(1622年)には勝姫が越前国福井藩主である松平忠直へと嫁ぐ時の引き出物であったといい、忠直から松平光長を経て津山藩の松平家に継承されたとされる。
大包平と共に「日本刀の東西の両横綱」と称される最も優れた名刀とされている。
日本の国宝に指定されている日本刀。酒呑童子を斬ったという伝説がある。
三日月宗近(みかづきむねちか)
豊臣秀吉の正室高台院が所持し、その後、寛永元年(1624年)に遺品として徳川秀忠に贈られ、以来徳川将軍家の所蔵となった。
平安時代の刀工・三条宗近の作で、刀身に鎬と反りのある形式の日本刀としてはもっとも古いものの一つである。「天下五剣」の中でも最も美しいとも評され、「名物中の名物」とも呼び慣わされた。
鬼丸国綱(おにまるくにつな)
北条家の重宝であったが、北条高時自刃の後に新田義貞の手に渡り、新田義貞が討ち取られた際に鬼丸も鹵獲され、足利尊氏の下へ義貞の首級と併せて送られた。以後足利家の重宝として伝来し、その後は足利義昭より織田信長を経て豊臣秀吉へ伝わったという説と、直接秀吉へ贈られたという二説があるが、ともあれ秀吉の所有となり、後に本阿弥光徳に預けられた。さらに大坂の役の後に徳川家のものとなったが、徳川家康・徳川秀忠共にそのまま本阿弥家に預けたという。その後、後水尾天皇に皇太子が誕生した節に御所に献上されたが、皇太子が死亡したので「不吉な太刀である」とのことで再び本阿弥家に戻されたという。
現在は御物として皇室の所蔵となっている。
大典太光世(おおでんたみつよ)
足利将軍家の家宝であったが、足利家の没落により流出し豊臣秀吉の所有となった。その後、豊臣秀吉から前田利家に贈られたとも、豊臣秀吉が徳川家康に贈り、徳川秀忠から前田利家に譲られたとも伝えられる。以降、前田家第一の家宝として代々伝えられた。
数珠丸(じゅずまる)
日蓮が所持していたとされる太刀で、日蓮が甲州身延山へ入山したとき、護身用として信者から贈られたと伝えられ、柄に数珠を掛けていたことからこの名が付いたとされる。
現在は、杉原邸の近所にある兵庫県尼崎市の本興寺に寄進され、現在も本興寺が所蔵している。
名刀一覧
無銘 金重(むめいかねしげ)
宮本武蔵の愛刀。吉岡一門と戦った刀とされる。
愛染国俊(あいぜんくにとし)
豊臣秀吉が所持したと伝え、
忠政が亡くなると徳川家光に献上し、以後、前田家に伝来。
石田貞宗(いしださだむね)
関ヶ原の合戦で敗れた石田三成が捕えられる寸前まで所持していた。
石田正宗(いしだまさむね)
石田三成が所持していた刀。茎棟の部分に切り込み痕が残る事から石田切込正宗とも呼ばれる。
人間無骨(にんげんむこつ)
和泉守兼定作。 表の首に「人間」、裏の首に「無骨」と彫られている十文字槍。
織田信長配下で、「鬼武蔵」と呼ばれるほどの猛将であった森武蔵守長可が使っていた槍。
一期一振(いちごひとふり)
正宗と並ぶ名工とされる粟田口吉光作の太刀。
戦国時代、朝倉氏が所有していたが、朝倉氏滅亡後は毛利氏の物となり、毛利輝元より豊臣秀吉に献上された。その後、豊臣秀頼に相続され、大阪城落城により一期一振は焼身となるも、徳川家が取得し、越前康継(年代的に二代目、もしくは三代目)に打ち直させた。こうして焼き直された一期一振は、その後、尾張徳川家に伝えられた。幕末に至り、文久3年(1863年)、第15代尾張藩主徳川茂徳より孝明天皇に献上された。以後、歴代天皇が相続した。
大包平(おおかねひら)
江戸時代に岡山藩主の池田家に伝わっていた。
大倶利伽羅(おおくりから)
伊達家伝来の刀。 秀忠より下賜されてから、戦後まで一度も伊達家を出ることはなかったそうです。
瓶割刀(かめわりとう)
一刀流剣術の始祖・伊東一刀斎の愛刀。
代々一刀流の宗家に受け継がれた。
鉋切り長光(かんなぎりながみつ)
近江守護佐々木家に伝わる太刀。佐々木家、織田信長、丹羽長秀、蒲生氏郷と渡り、氏郷の死後、徳川家に献上された。
黒ん坊切り景秀(くろんぼきりかげひで)
伊達政宗が文禄年間に秀吉の命令にて朝鮮の役にて使用した太刀。
政宗の愛刀の中で最高傑作といわれる。
三十四、郷義弘(ごう・よしひろ)
明智光秀所用。明智光秀秘蔵の脇指。
後家兼光(ごけかねみつ)
別名を備前長船兼光といい直江兼続の愛刀。豊臣秀吉が死んだ際に遺産として兼続に譲られ、兼続が死去後に上杉家に献上されたため、「後家兼光」と呼ばれる。
五虎退(ごこたい)
上杉家御手選三十五腰の一振り。
上杉謙信が正親町天皇より拝領され、以降上杉家に伝来している。
小反り兼光(こそりかねみつ)
上杉家御手選三十五腰の一振り。
燭台切光忠 (しょくだいきりみつただ)
織田信長が所有していた刀で、豊臣秀吉を経て伊達政宗が所持した。関東大震災で被災し焼刀となる。
太郎太刀(たろうたち)
戦国時代朝倉家の猛将・真柄直隆が使用したといわれている。
津田遠江長光(つだとおとうみ ながみつ)
信長の愛刀でしたが、本能寺の変後に明智光秀が奪う。
七十五、泛塵(はんじん)
真田幸村の愛刀。
飛竜丸(ひりゅうまる)
長宗我部家伝来の太刀。日露戦争後、東郷平八郎に贈ったといわれている。
日向正宗(ひゅうがまさむね)
関ケ原の戦いで、水野勝成が石田三成から奪った。
不動国行 (ふどうくにゆき)
織田信長の愛刀。表の腰に不動明王の浮き彫りがある。
江戸大火で失われた。
骨喰藤四郎(ほねばみとうしろう)
粟田口藤四郎吉光の作。征夷大将軍、足利尊氏の愛用した薙刀。
妖刀村正(むらまさ)
血を好み、血を吸う刀「妖刀」として知られる。
徳川家との因縁がある刀で、たくさんの逸話が残されている。
柳生の大太刀(やぎゅうのおおだち)
代々尾張柳生宗家に受け継がれている日本刀。
柄長だけでも2尺3寸(約70cm)という長大な刀で、どれだけ腕力のある者でも、持つことはできても構えることはできなかったと伝えられている。
来國長(らいくになが)
武田信玄所用の佩刀と伝えらる。
六股(ろくまた)
大久保忠世所用。三人の両股を一度に斬ったことから名がある剛刀。
新選組 隊士の愛刀 一覧
維新志士 | 愛刀 |
---|---|
近藤 勇 | 長曾祢虎徹(大小) 陸奥大掾三善長道 播州藤原宗貞 三善道長 |
芹沢 鴨 | 備後三原守家正家 |
伊東甲子太郎 | 濃州住志津三郎兼氏 |
山南敬助 | 赤心沖光 |
土方歳三 | 和泉守兼定 堀川国広 葵御紋康継 大和守秀国 |
沖田総司 | 加州住清光 菊一文字 |
永倉新八 | 播州住手柄山氏繁 |
斎藤 一 | 摂州住池田鬼神丸国重 |
松原忠司 | 加州住藤島友重 |
武田観柳斎 | 越前住常陸守兼植 |
井上源三郎 | 奥州白河住兼常 |
藤堂平助 | 上総介兼重 |
鈴木三樹三郎 | 鬼神丸国重 備前長船 |
原田左之助 | 江府住興友 |
浅野藤太郎 | 武州重住藤原是一 備前介藤原宗次 |
蟻通勘吾 | 播磨住昭重 |
安藤早太郎 | 南海太郎朝臣朝尊 |
伊木八郎 | 越後新発田住兼則 |
大石鍬次郎 | 大和守安定 加州住清光 |
奥沢栄介 | 武州鴻ノ巣住 雲竜子景勝 |
尾崎弥八郎 | 奥州会津住兼友 |
葛山武八郎 | 濃州関住兼家 |
加納道之助 | 無銘 |
河合耆三郎 | 濃州住御勝山永貞 |
川島勝司 | 越中住兼明 |
木内峯太 | 美作津山住信孝 |
近藤周平 | 作州津山住城慶子正明 |
酒井兵庫 | 作州津山住兼光 |
佐々木蔵之丞 | 越中住兼明 |
篠塚岸三 | 雲州住家貞 |
島田 魁 | 奥州仙台住源兵衛国包 |
竹内元三郎 | 関善定兼方 |
谷万太郎 | 月山弥八郎貞吉 |
富山弥兵衛 | 相州国次作 |
中村金吾 | 江府住細田直光 |
新田革左衛門 | 勢州住長心子直久 |
林信太郎 | 備前国横山茂平祐春 |
松本喜三郎 | 摂州尼崎住雲仙子貞秀 |
三品仲治 | 備州長船住藤原祐平 |
毛内有之助 | 天 国 |
山崎 烝 | 和泉守国貞(真改国貞) |
維新志士の愛刀一覧
維新志士 | 愛刀 |
---|---|
坂本龍馬 | 陸奥守吉行(むつのかみよしゆき) |
西郷隆盛 | 伊勢千子村正(いせせんごむらまさ) |
桂小五郎(木戸孝允) | 備前長船清光(びぜんおさふねきよみつ) |
田中新兵衛 | 奥和泉守忠重(おくいずみのかみただしげ) |
高杉晋作 | 安芸国佐伯荘藤原貞安 |
岡田以蔵 | 肥前忠広 |
中岡慎太郎 | 信国 |
以上、『武将・剣豪の名刀・名槍一覧と新選組・維新志士の愛刀一覧』を紹介しました。
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