東海地方沿岸部
- 台風が来ると軒先に鎌を付けた竹竿を立て、大黒柱の下に米を盛る
- 悪い風の吹く日は、窓に鎌をつける
鎌をつけるというのは風を切るという意味があるらしい。
某神社に赤い蝋燭を立てると海が荒れる
昔海沿いにある社のふもとで蝋燭を売って暮らしを立てていた年寄り夫婦がいた。参拝客はそこでろうそくを買い、社に供えていったという。ある晩、爺さんが海岸を歩いていると赤ん坊をみつけた。
この赤ん坊には普通の人間とは違い足がなく、代わりに魚のひれがついており、どうやら人魚の子であるらしかった。しかし、子供のいない夫婦はその赤ん坊を海神からの授かりものだとして、大事に育てることにした。やがて人魚の赤ん坊はすくすくと育ち美しい娘になり、夫婦の仕事を手伝って蝋燭に絵を描くようになった。その絵が非常に見事なことと、娘の美しさが評判になりろうそくは飛ぶように売れた。やがて社には国中から参拝者が集まるようになり、さびれた漁村は大いに活気づいたそうだ。
あるとき噂を聞きつけた香具師が江戸からやって来た。その香具師は一目で娘の正体を見破り、娘を売らないかと夫婦に持ちかけた。始めはかたくなに拒んだ夫婦であったが、人魚は不吉なものだという香具師の言葉と、なによりすさまじい大金に目がくらみ娘を売ることを承諾してしまう。
この話を聞いた娘は、どうか自分を売らないでくれと泣いて頼んだが、金に目のくらんだ夫婦は聞く耳を持たず娘を香具師に引き渡した。それでも娘は連れて行かれる寸前までろうそくに絵を描き続け、残されたろうそくの中に一本だけ真っ赤に塗られただけのものが混じっていたそうだ。
おそらく最後まで絵を描き続けた娘が最後の一本に残った絵具を塗りつけたのだろう。それを見て、娘が急に不憫になった夫婦は、その蝋燭を社に供えて娘を供養することにした。
するとその晩、海が荒れて多くの船が海に沈んだ。乗っていた人間は誰一人助からなかったそうだ。沈んだ船の中には娘を乗せた香具師の船も混ざっていたという。
その後、あたりは急速にさびれ、社の存在も忘れ去られてしまったが、今でも赤いろうそくを備えると海が荒れるため漁師の間では禁忌となっているらしい。
東海地方
- 子供は夕方に後向きに歩いてはいけない、ヤノヤニ様に連れていかれるから
- 守り神が猿なので犬を飼ってはいけない
- 生き物の死骸に情けをかけたら寿命が縮む
- 葬式は白装束
東海地方山間部
- 山道を塞ぐように張られた蜘蛛の巣は破ってはいけない。通る場合は一礼してくぐる
- 2月12日~3月1日まで女性は入ってはいけない竹林の山があって、その間男性が厨房に立ち、男性が炊いた飯を山に備える
山から鈴の音が聞こえてきたらすべての戸を閉める
まれに鈴の音に誘われて女性が山に入ると竹の神様の子供を妊娠してしまう
うちの曾祖母さんが子供の頃には「竹の子」と呼ばれる女性が実在した
- 通夜と葬式では4人にトゲの付いたタラの木の杖を持たせる
黄泉の旅路で餓鬼を追い払うのに使うと考えられている
- 爺ちゃんにいわれた事
稲刈りの時期には8歳になる男の子が山頂付近にある天狗の面を着けて里におりてきて、稲刈りが終わったら米を持たせて元の場所に面を戻させていた…らしい
カミコ
うちの曾祖母さんの生まれた村にはカミコって呼ばれる神事を取り持つ巫女(厳密には男でもなれるから巫女じゃないけど)がいたんだけど、カミコさんになる条件は、1つが双子の妹である事、もう1つは先に生まれた姉(兄)の肉を11歳の時に食べる事
曾祖母さんの代に最後のカミコさんがいたらしい
食人にあたる風習はかなり調べたけど日本ではこれしか知らない
てか俺が民俗学に興味を持ったのもこの話がきっかけ
曾祖母さんが死ぬ2ヶ月前に親父も爺ちゃんも知らないこの話を俺にだけ聞かせてくれたのにはそれなりに訳があったんだと思う
普通に村では農耕してたみたいだけど、さっきも書いたけど地名がアイヌっぽい響きだからもしかしたら狩猟民族の末裔かもしれない
柳田國男の山の一生によると青森から三重までアイヌの流れを汲む民族が転々としていたらしい
ちなみに双子の姉は生まれた時点で「オニコ」として実の母親によって首ちょんぱして11年間塩漬け保存
カミコさんには食べさせるまで事実を伏せるという徹底ぶり
11年目の肉を食べさせる日の事をオニコカエシって言う
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